TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

佐藤雅彦展(ギンザ・グラフィック・ギャラリー)

2005年08月28日 | ♪&アート、とか
ギンザ・グラフィック・ギャラリーに来る人のは多くは広告やデザイン、メディア関係者(学生も含む)のようでそれほど混んでいたことは記憶にないのだが、今回は賑わってましたねー。佐藤氏のコメントでまず印象的なのは、「『自由』という感覚が嫌い。むしろ『制約』の中に新しいアイデアを見つけたい」というくだり。これは「感性」的なものへの彼らしいアンチテーゼであるとも思うが、実は本当に自由にものを考えているのは佐藤氏なのではないかという気がする。物理的な枠はあるけれど発想には固定観念がないとういか。ところで解説上手な氏のおかげでひとつひとつの作品は面白いし、「ああ、そうなのか」ととても納得のいく展示になっているのだけど、そう思わせる本当の秘訣というか奥義みたいなものはまだ隠れている(もしくは説明不能)ような気がしてならない。明解であるようで、実はまだまだ深いところを探っている佐藤氏の活動は、やっぱり目が離せません。

アイデンティティー/リービ英雄 (講談社)

2005年08月24日 | 読書とか
著者の「星条旗の聞こえない部屋」は興味深くも不思議な小説だった。日本語を話し、日本文化に興味を持つ「ガイジン」としての疎外感は小説のテーマとしては充分普遍的なものだと思うのだが、どこか日本語小説のパロディを読んでいるような微妙なずれを感じてしまった。言っておくけどノン・ジャパニーズが日本語で書くことへの偏見や違和感は持っていない(言語学、文化学的な興味はあるけど)し、彼らが持ち込んでくれる別の視点を尊重するべきだと思う。例えばここに引用する文章は、視点の新しい角度を感じさせてくれた。

そのときの「東北」で感じたことの一つは、地方都市を離れれば離れるほど、こちらの人種が問題にされなくなる、ということだった。(中略)よそ者に対する劣等感と優越感と排他主義から成るあの「コンプレックス」は、日本人の土着的な「気質」ではない。(東北の出会い)

(生粋の東京育ちの)女丈夫は、怒るというよりも、あんたは日本のことが何もわかっていない、というような表情を浮かべながら笑った。「新宿は田舎の人の行くところなのよ。東京の人は銀座とか新橋、田舎の人は新宿。わたしたちは東京の人だから、新宿には行きません」と言った。(新宿とは何か)

とにかくぼくは人生に一度だけの「高級マンション」に住むことになった。都心の古い屋敷町の新しい2LDK、オートロックにルーフバルコニー。(中略)ふた月目に入ると、突然文章が書けなくなった。小説の文体が、突然滞ってしまった。(高級マンション、叫び声)

「新宿に行くのは田舎の人、東京の人は銀座や新橋に行く」(しかし新橋というのが時代を感じさせるなぁ)と「地方に行くほど他者への壁が低くなる」というくだりの対比から感じる「日本人ってオープンなところもあるんじゃないか」(そう単純なものじゃないけど)という仮説や、古くさい和風のアパートでは出てくる日本語が高級マンションの「ワシツ」(インテリア雑誌に載ってるような)では書けなくなった話が示唆する言語と環境の関係など、興味深いネタは多い。ただ全般的にどこかひと時代前の概念という印象はあって、この辺は出身だけでなく世代もまた別のアイデンティティとして彼の視点に関っているのだろうと思う。この後著者の「日本語の勝利」(日本文学や韓国への興味深い記述多し)と「天安門」(中国再訪にまつわる自伝的小説?)も読んだのだが、比較文化的視点ではこの「アイデンティティー」がいちばん面白い。そういう読まれ方すら氏の望むところではないのかもしれないけれど。

沖で待つ/絲山秋子(文學界9月号)

2005年08月22日 | 読書とか
ある雑誌の対談で、作家の角田光代氏は「バイト以外に勤めの経験がないので、会社を舞台に書くとき困る。部長と課長のどっちが上か知らなかった」(それも不思議だけど)と話していた。その点絲山氏の語るサラリーマン&ウーマンの世界は、自らばっちり現場の経験があるせいか活き活きとしていて気持ちいい。

脇の登場人物に味があることも大事なポイントだ。副島先輩や九大出身の石川(で、夏目とはどうなったんだ?)たちがどんな奴だかちょっと気になる。まあ、こんな支社なら仕事の後のビールもうまそうだなぁ。

その気持ちよさがあるからこそ、太ちゃんの話が切ないのだろう。なんか可笑しくて哀しくて。著者にはめずらしいですます調の文章も、及川が思い出を大事に語りながら、他者とかすかな一線を引いているようで効いている。敢えて言うと、「沖で待つ」の意味がわかったときの「あーっ!」という驚きは、もっといけたかも。「憎めないナイスなデブ」がパソコンのHDDやノートに秘めていた毒や愛情は、話の中で格好のスパイスとなったかもしれない。

しかし及川の締めのひと言は素晴らしい。ふたりの「同期愛」の濃さをしっかり感じさせたうえで、なおかつ笑わせてくれる。なんと言っても、男と女なんだけど触れてるような触れてないような、そんな情感の描き方は抜群だ。嘘くさい涙や感動の物語にゲロゲロなあなたにはお薦めですよ。

公園ビール

2005年08月21日 | 雑感日記
たまたま近所に住んでいる古い友人と、たまたま地元の図書館で顔をあわせた。日曜の夕方、ということでちょっとビールでも、と話はまとまったのだが、彼のほうは小2の娘さん同伴。そんなわけで近所の公園(商店がも隣接されていて結構賑わっている)で子どもを遊ばせながらベンチで一杯と相成った。で、酒屋に行くと、なんと簡単なビールサーバーがあって生ビールが買えるんですよ、これが。オヤジふたりは紙コップの生、娘さんはアイスクリーム(お母さんには内緒だよ、というセリフを現実で初めて聞いて面白かった)で日曜の夕べを過ごしたのでした。

ブルークラッシュ(2002/VIDEO)

2005年08月20日 | 映画とか
Blue Crush
Dr: John Stockwell DP: David Hennings

俺のサーフィン経験は一度だけ。でも見た目小さな波なのにあんなに力があるのかと驚いたり、インストラクターにタイミングを計ってもらって乗れたときの気持ちよさはバツグン。はまる人が多いのもむべなるかな(雅語)、なのだ。なかにはいき過ぎてちょっと宗教がかってくる人がいるのはコワイけどね。

サーフィンシーンはダイナミックで爽快だ。たしかその方面の第一人者ドン・キング(髪を立てたボクシングのプロモーターじゃないよ)が撮影チームに入っていると聞いた気がするのだが(IMDBでは検索できず)パイプライディングのシーンなどリアルで迫力がある。しかしお話自体は安手のテレビドラマみたいで、大人の見るもんじゃねー、みたいな感想を持った。落ちこぼれでサーファーの3人は設定いいとして、彼女たちを排他的に扱う地元の悪ガキ兄ちゃんや、主人公アン・マリーにひと目ぼれするNFLの白人ナイスガイとか、キャラクターの設計は随分と安易だ。最悪なのは、黒人フットボーラーたちの「うるさくてお行儀が悪いけど、実はノリのいいナイスな連中」みたいな描き方。それゃほとんど人種差別じゃないか?

見たのはWOWOWだけど、DVDに収められているメイキングなどのおまけには、あの驚異的な撮影手法をはじめ興味深いネタがいろいろ入っているらしい。ちなみに女優たちのサーフィンシーンは顔の部分をすげ替えた合成。モーションコントロールを使っているのだろうが、参りました!という感じである。