TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

たちばな@銀座

2010年03月31日 | 食べたり飲んだり
いんげん胡麻あえがこんなに旨いなんて。
実は魚も絶品。何食べても顔がゆるむ。
なんだか昔の映画の中に紛れ込んだような気分。
お店の気さくなオヤジさんたちが、
出るときには粋な兄さん衆に見えた。
やっぱ男は(&女も)仕事だね。

場所などはこちらを。

マリオン・ブリッジ@シアターグリーン

2010年03月30日 | ♪&アート、とか

すでに終わってしまった公演(3月22日最終日)なのだけど、なかなか書くことができなかった。詳細などはこちらをご覧頂きたいのだけれど、見てよかったな、と思ったお芝居だった。

とか言っても演劇はまったくの門外漢。評価なんておこがましいことはできないのだけど、予想以上(失礼!)に舞台上の世界に引き込まれた。出演者3人のうち、アグネス役の石井・花・マリーザさん以外はプロの役者さんではない。実はルイーズ役松田アシーナさんは仕事上ちょっと知っている人で、映像関係の優秀な方なのだけど、お芝居はまったく初めてだそうだ。

しかしこのルイーズ、舞台に出てきたときから「変わり者の末娘」だった。ストーリー上、彼女が最後に登場したのだけど、三姉妹が舞台に揃ったところで世界観が完結した。こういう物の語り方もあるのだなぁ、とド素人は思うのでした。一緒に観劇したTさんも、ルイーズのキャラの完成度には驚いていた様子。CMプロデューサーの彼もそう感じたのだから、大したものです。

ある意味お芝居って、とてもアナログな形態だと思うのだが、そのぶん表現のヒミツがいろいろ詰まっている気がする。その辺、K越さんにいろいろ教えて欲しいなぁ(今回は人名多いですな)。ホント、いろいろ見たり聞いたしなくては、と改めて思う池袋の午後なのでした(最終日)。



ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね/岡崎 京子【追記あり】

2010年03月29日 | 読書とか
ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね
岡崎 京子
平凡社

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この本を手に取った理由は、何よりもタイトル。記憶を掘り起こされる、というよりも記憶たちの方が勝手に、ゾンビが墓から蘇るように出てきてしまう呪文のようにも思えた。

以前、どこかの駅でノートの切れ端を拾った。そのまま通り過ぎようとしたのだが、少し見えた手書きの文字が気になってしまったのだ。薄いシャープペンで書かれた文章は、十代の女の子が恋人に向けたメッセージのように始まりながら、徐々にエロテッィクな内容になってくる。その言葉は瑞々しく卑猥で、きつい山葵をあおったときのようなツーンとした感じが残った(結果的に盗み見したことの罪悪感も加味していたのかもしれない)。

「ぼくたちは……」を読んでいると、そのときの感覚を思いだす。もしかしたら、あのノートの彼女が東京でバージョンアップして書き記したのがこの本なのではないだろうか、みたいな妄想がふと頭をよぎる。もちろん、そんな訳ないけど。

「『BOOK』データベース」によると「事故の直前まで描かれつづけた、幼いほどに残酷で、どこまでも切なく哀しい、岡崎京子唯一の物語集」なのだそうだ。しかし思うに、物語としては完成していない――完成させるつもりもなかったのだろう――作品だし、後半はだんだん飽きてきちゃったりもするのだけれど、そこから透けて見える「幼さと残酷さと切なさと哀しさ」(この記述は的確だと思う)は、岡崎氏の漫画の世界にすーっと通じていると思う(ちゃんとした読者ではないですが)。

なんていうか、とても魅力的な料理のレシピや調理メモに近いのかもしれない。それはそれで結構シズル感があって、食欲をぐいぐいと刺激されてしまう、そんな一冊だった。完成されたひと皿には決定的に及ばない何かがあるとしても、この言葉の躍らせ方は忘れられないなぁ。

【追記】
後で気がついたのだけど、この文章はあるPR誌に連載されたものらしい。なるほどな、と思ったのは、1回ごとのテンポ感がそういう出現の仕方に合っているように感じられたからだ。メディア論みたいな話になっちゃうけど、どういう環境で読まれるかも表現にとって大事なのかも(もちろん形体を選ばず面白い!というのも素晴らしいと思うのですが)。

フリー 〈無料〉からお金を生みだす新戦略/クリス・アンダーソン

2010年03月28日 | 読書とか
フリー~〈無料〉からお金を生みだす新戦略
クリス・アンダーソン
日本放送出版協会

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この本、アメリカでは出版前にウェブ上で無料公開して話題になった。
日本でもメディア業界の注目を浴びたけれど、「デジタル時代の
価格破壊」と読んでしまうと、これからのビジネスを見誤るだろう。
単なる価格ではなく、もっと根本的な仕組みの変化の話だからだ。

ここで説かれている考え方は、いま広告の世界で起こっていることとも
シンクロしている。情報は送り手から受け手へ一方向に流れるのではなく、
共通のコミュニティの中で共有されるものに変わりつつある。

表現という「作品」を届けるだけのやり方は、もう機能停止しはじめている。
言い方を変えれば「コンテンツ」を作るか「コンテクスト(文脈)」を
生んでいくか、広告屋のぼくたちはその分岐点にいるのかもしれない。
そういう意味では、示唆に富んだ刺激の強い一冊だった。

でもこう書いちゃうとコンテンツ作りは古い、みたく思われるかも
しれないけれどそうではない。本当に実のあるモノを生みだす力への
ニーズはますます大きくなっている。ただそこには自覚が必要で、
昔のように「いいものさえ作ってれば」なんて気楽な台詞は通じない。
だいたい「いいもの」って何なんでしょうね。

プレイヤーでいるかプロデューサーとして歩むか、どちらにしても
覚悟がいるのだなぁ。アー・ユー・レディ?……って境さんの
焼け跡ブログみたいではあるけれど(勝手に引用、すみません!)。

ところで日本版を出しているのがNHK出版、というのがちょっと皮肉。
親元さまにおかれましては、放送は無料にしてオンデマンドで収益という
モデル、ご検討されてはいかがでしょうか?




K-1MAX2010~日本代表決定トーナメント(TV観戦)

2010年03月27日 | 格闘のお時間

K-1はMAXが面白い!毎年言ってる気がするけれど、今年もそうでした。
とはいえ佐藤は別枠、小比類巻が欠場&引退の日本代表トーナメント、
どこか小粒な感じは否めない気がしていたが、試合はどれも熱かった。

出場者全員が懸命なファイトを見せてくれた(城戸はもっとがむしゃらに、
名城はもうちょっと作戦があってもよかったのでは、とは思うけど)。
お互い敵でありながら、同じ目的のために殴りあう仲間のようにも見えた。
いやー、なんかいいもの見せてもらいました、今回も。

殊勲賞は長島☆自演乙☆雄一郎。体力もアップし、パンチの連打も
速くなっていたが、それ以上に勝ちへの執念が素晴らしかったと思う。
何度か見せた、カポエラのようなハイキックは不思議だったけど。

21歳の中島も、面白い!中学時代はピッチャーで頑張ってたそうだが、
あの右の伸びと威力は、その影響なのだろうか(そんな気しませんか?)。
今後、選手たちは投球練習を取り入れてみてはどうでしょう。

日菜太も惜しかった………ミドルにこだわるのはいいけれど、
K-1という競技をもうひとつ大きな目線で見てはどうだろうか。
ぜひ理系の優秀な発想をプラスして欲しい。まだまだ伸びるよ。


とはいえもちろん、世界のレベルを考えると差は大きいと思う。
長島のパワーもそこでは並かそれ以下だし、中島もあんなに打たれては
もたないと思う(そこはむしろ日菜太の上手さのほうが通じるのかも)。
でも一方で、いい試合を見せてくれそうな気がする。ともかく思いっきり。

それから、「闘う電通マン」大渡さん、引退試合お疲れさまでした。
残念ながらテレビで試合は見られなかったけれど、これまでも有給で
海外トレーニングに行ったりしつつ、多忙ながらも続けてこられたことに
敬意を表してやみません。甲子園もいいけど、大人のMAXも素敵かも。

まあこのMAXにしても、今後の心配が囁かれたりしているらしい。
テレビ局の経営が厳しい今、パブリックビューイングなども含めた
新しいビジネス展開を考えていくべき時期なのではないだろうか。
どうかこの火をどうか絶やさないよう。オイラも拍手し続けます。