TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

地震が教えてくれたもの、とか3

2011年03月20日 | 雑感日記

早いような長かったような、地震から9日目の今日。
一昨日の金曜は、日本ユニバ震災対策チームの方に衣類を少々寄付。
夜はパブで一日遅れの聖パトリックの祝日にギネスを一杯。
お店の募金箱に同額を投入して、一週間の締めくくり。
昨日は岩手県人会の人々がやっていた街頭募金に少しだけ。
(東銀座のいわて銀河プラザ前でした)
本当にささやかな行いをさせてもらいました。

……でも、そろそろ戻らなきゃ.
そんな気持ちがむくりと起きあがってきた気がする。

もちろん、被災された方のケアや原発の行方。
難しい問題がスカイツリーより高く積まれている。
で、俺にできることは何なんだよ。

すいません、今回の衝撃で、ちょっと足止めてました。
ホントみっともなくて恥ずかしいけど、その振動の中で、
少し休んじゃってたのも事実だと思う。

さて仕事して、見るもの見て聴くもの聴いて書くもの書いて、
自分らしく(?)落ち着きのないワサワサした毎日に戻るのだ。

つい涙腺に針刺さされちまった素敵なエピソードも
巨大ゴキブリホイホイに放り込みたいようなクソ野郎の戯言も
どっちもたっぷり読んだし、聞いてきた。
でもそろそろ、自分の物語を叩き起こさなくちゃ。

もちろん、節電とか寄付とか場合によってはボランティアとか、
何かできる機会は窺っていく。日常の隙間を狙ってね。
それから、身体を張って困難に向かい合っている人々への感謝も。

まずはこのシリーズ(?)ここで締めくくります。
ちょいとチューニングの狂った話、読んでくださって有難うございます。
明日からは、またあれこれ書き散らしていく所存でございます。
毎日って訳にはいかんでしょうが、よろしければお立ち寄りください。

ところで最初の一杯分寄付、なぜかお酒が美味しくなるのです。
しばらく続けていくつもりですが、
お酒じゃなくもお菓子とか、自分の好きなものでも効果ありでは。
血気盛んな貴殿はキャバクラ代でも可(最初のセット料金分とか)。
よかったら一度お試しあれ。

東北に、はやく本当の春が来ますように。

地震が教えてくれたもの、とか2

2011年03月16日 | 雑感日記

こう見えても(?)ストレスには強かったりもするのですが、
ふと気がつくと、そろそろ溜まりはじめているのかもしれません。
久しぶりに浅い眠りのまま目が覚めました。

揺れが収まっても、なんだか足元がぐらぐらしている気がする。
他の人の言動の響き方がいつもと違う(気にする性質ではあるのですが、その感じが)。
ああ、こうやって何かを損なっているのだなぁ、と思います。

もちろん、実際に被災された方や現地で支援にあたられている方、
そして原発施設で極限の困難と向き合っていらっしゃる方、
政府、自治体、公共機関のスタッフの皆さんたちに比べたら、
とるに足りないレベルでしょう。ご飯もお風呂も問題ないし。

でも災害の影響というのは、いろいろな形でやってくるのだとも感じます。
まずは自分がニュートラルでいよう、と思うばかり。


ところでちょっと読み始めた本に、興味深いところがありました。
佐藤優氏の「日米開戦の真実」という文庫本で、
1942年出版の大川周明著「米英東亜侵略史」を読み解くという趣旨です。

書籍の本筋ではありませんが、この中には日本人の気質への記述が時折。
たとえば目前の状況には入れ込むが時間が過ぎると気にもかけないとか、
希望的な先送り指向の存在とか(直接引用ではありません)、
「今とあまり変わらないかも」と感じるところがちらほちと。

今回、いろいろな人のストレスの一因には、
天災は受け入れざるを得ないけれど人災は嫌だ、
ということもあるのはないでしょうか。

起こったことへの対応や、その伝え方。
ここに垣間見える体質みたいなものを、
(それは立場によって全然違ってくるのでしょうが)
考え直す機会でもあると感じます。

さて、今日も仕事に行かなくては。
現場で役に立たないオヤジとしては、
せいぜい稼いで募金するのだ。


日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く (小学館文庫)
クリエーター情報なし
小学館


地震が教えてくれたもの、とか

2011年03月14日 | 雑感日記

いや、「くれた」なんて、ぜんぜん過去形じゃないですね。
たとえ地震そのものが収束したとしても、被災後の困難は長く続くはず。
ホント、ブログとか書いてる場合かよ、という気もしないではありません。

でも、やっぱり書かなくては、という気になったのは、
結果的にいろいろなことを考えさせられたから。
こういうの、言葉にして出さないと辛いのですよ。

twitterでもちょこちょこ呟いたりはしているのですが、
いつものように(?)つらつら垂れ流す書き方のほうが
その「いろいろ」を整理するにはしっくりくるのです。

まず最初、自分のみに振りかかったのは、金曜午後の揺れ。
会社は都内にあってビルも比較的丈夫なようなので、
(その分揺れましたが)そのときはただ驚くばかりでした。

しかし電車が止まり銀座の人通りが尋常じゃない混み具合になり、
自宅まで歩かざるを得なくなったあたりから、ひしひしと実感が。
結構遠いのですよ、私の場合。それに思ったより寒いし。

で、家にたどり着いたのが午前4時過ぎ。
もちろん暖を取ったりして休みながらでしたが、
ふくらはぎが嫌な感じでパンパンになりました(軽い炎症みたいな)。

ひと休みできる場所が意外にあって、
公共機関に加えてとのマクドナルド(営業は停止)や、とある柔道場も。
入口に立つガタイのいい兄さんが頼もしく見えた。

「帰宅難民」という言葉は以前からあったけれど、
やはり体感してみないと分からないことが随分と。
人の波は、歩く者にとっては壁でもあるのだなぁとか。

そして都心を離れるにつれて人の姿も減ってくる。
それでも少し距離をおいて、何人かの見知らぬ同行者。
だんだん何かの修業のような気分になってくる。

田舎の母はときどき四国八十八ヶ所詣でに出かけるが、
あれって、自分が帰る場所を探すことなのかもしれない。
(最近足が弱ってきましたが、元気です!)

……とか、歩くと何かと考えるものなのですね。
ひと苦労ではありましたが、経験になりました。
しかしそんな感慨も、ニュースを見たら吹き飛んでしまいました。


またあらためて、続きを書きます。
自分の頭を整理するための日記になってしまいましたが、
読んでくださって有難うございました。

明日の東北地方はいちだんと冷えるようです。
祈ります。考えます。生活します。
このおじいちゃんに胸張れるように。

どこへ向かって死ぬか/片山 恭一

2011年03月03日 | 読書とか
どこへ向かって死ぬか
片山 恭一
日本放送出版協会


副題は「森有正と生きまどう私たち」。
ご存じ「世界の中心で、愛を叫ぶ」の著者による森有正論だ。

ある書評には『そのミスマッチに惹かれて読んだ』というコメントが。
その感覚よく分かるし、その「わかる」が読むきっかけのひとつだったと思う。
仮に『セカチューの片山氏とは別の一面を』みたいに書かれていたとすると、
ふーん、とか言って読まなかったような気がしないでもない。
なんだか既製品の枕詞のような感じがしてしまうのだ。

もし書評の目的が、その本をより多くの人に読んでもらうことだとすると、
そういった素直さからくる共感って大事なんじゃないかなぁ。
もちろん、読む人が全員そう反応するとは限らないけれど。

書評の話はさておき、この一冊、森有正という現象を通して
著者が自分自身との対話を試みたもののように思えた。

その中心にあるのは「孤独」という概念。
しかしそれは氏にとって情緒的、刹那的な感情ではなく、
自我の代償として近代人が持たざるをえなくなった機能だったのでは。

文章はおしなべて読みやすいが、その分ピリッとした記述が印象に残る。
気持ちにアンダーラインを引かれるような箇所が幾つもあった。
たとえば少し覚え書き的に。


「孤独なしには、何一つ成し遂げる事は出来ない。私は、かつて私の為の一種の孤独を作った。
これについては誰も知らない」ということを、どこかでピカソが言っているそうです。

孤独っていうのは本質的に、自分自身とコミュニケートすることでしか
埋まっていかないと思うんです。自分とコミュニケートするための言葉っていうか、
そういう内面的な言葉をもつことが、とても大切だと思うんですけどね。
(注:ここは対談形式のパート)

孤独だけが可能にする自由で独立した感覚から、
人間を人間として定義する精神性や思想性が生まれてくる。

日本は本当のむつかしいことで苦労してはいない。それを避けて易きに就いている。
だから他の国に比べてどんどん進歩するのである。それが僕は恐ろしい気がする。
(森有正『砂漠に向かって』から引用)



こんな風に、気になる言葉がところどころに。
でも決して重い著作物ではなく、
神保町あたりでカフェオレ飲みながら、つらつら読むのにトレビアン。

で、読み終えたら今度は森有正ご本人の本を探しに行きましょか、
という感じの一冊なのでした。

謎の会社、世界を変える。/須田 将啓、田中 禎人

2011年03月02日 | 読書とか
謎の会社、世界を変える。―エニグモの挑戦
須田 将啓,田中 禎人
ミシマ社



溜まった本を整理していて手に取ったこの一冊、実は以前も書いたもの。
相変わらず読後感は爽やかだったが、別に新たな発見があった訳ではない。

でも考えてみたら、エニグモ設立の2004年はフェイスブックも始まった年。
もしも何かが少し違っていたいたら、あのサービスは日本から……などと、ふと思ったりして。

でもまぁ、それはないのだろう。プログラミング能力の差ももちろんあるが
日本はああいったプラットフォームが根づく最初の場所ではなかったのだろう。

たぶんこの頃、インターネットを使った新しい仕組みを考えている人間は
世界のあちこちにいたのだろう(今もまだいるはずだが)。
その中のひと握りの者だけが認知され、そして世の中を少しだけ変えていく。
読んだ当時は小気味良いベンチャー物語だと思っていただけだが、
今あらためて読むと、その周囲の時代みたいなものも見える気がする。
そういう別の感慨を抱かせてくれる一冊でした。

そんな風に感じるのは、この本にチャレンジする者の勢いがあるからなのだろう。
しかしそれは、著者だけでなく出版社であるミシマ社のものでもあるような気がする。

精神論をカマすつもりなどないけれど、その出版社の発想や思いもまた、
本の中に反映されるものじゃないきだすうか。
紙とか電子とか言ってる前に、本の作り手としての思いを見つめ直すことが必要なのかも。
講談社の若社長、その辺いかがですか?

話は変わってはたまた思いだしたのが、以前読んだサイバーエージェント藤田社長の
ジャパニーズ・ドリーム』。こちらと比べると、なんだか対照的な印象がある。

エニグモの2人が「やりたいことがあって、会社を起した」のに対して、
藤田氏は「会社をやりたくて、やることを探した」ように感じてしまうのだ。
両者それぞれだと思うが、俺が刺激を受けるのは前者の方。
まだまだやるじゃん、日本人!と思いますです。
映画「ソーシャルネットワーク」を楽しんだ方は、読んでみてはいかがでしょう。