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TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

「好き/嫌い」と「推し(押し)/引く」の間に

2022年12月25日 | 気になるコトバたち
言葉遊び的考察ではあるけれど、「あんなこと言われたら引くわー」とかの「引く」と
「○○推し」の「推し」の心理的な背景は近いんじゃないだろうか。
「推し≒押し」という前提で考えると、今の時代は「好き/嫌い」ではなく
「押す/引く」という距離感の取り方が好まれているように感じるのだ。

その違いは、前者(好き/嫌い)という感情がある程度のコミットメントを伴う一方で、
後者(押す/引く)は第三者的な立ち位置を維持できことだ。
感情を発露するシステムとして「コスパ」が良いというか。

ただこれ、良し悪しとかではなく、変化への観察として捉えたい。
そういうあり方を要請している世の中への対応であり、
これもまた「生存戦略」のひとつではないだろうか。
そして今の疑問は、「推し」を極めると「好き」になるのか、ということ。
おっと、宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』をまだ読んでなかったぜ。

「有名税」なんて払わなくていい

2019年08月30日 | 気になるコトバたち
先日話題になったあるアマチュアのアスリート、自分ではなく家族を批判するようなSNSの投稿に不満を述べたら、「有名税だから我慢しろ」みたいな内容のリプがあった。何だそれ。

有名無名関係なく、言われて嫌なことは嫌に決まっている。もちろん、プロのお笑い芸人が「ギャグつまんねー」と言われるのは違う。その人間が勝負している本筋以外の部分、特に家族などのプライベートに突っ込んでくる権利は誰にもない。

もうひとつ言っておくと、何かくだらないことを言ってくる人間だけでなく、「有名税だから仕方ない」と当事者でもないのに容認する傍観者もタチが悪い。消極的にではあるけれど、そういう行為を認めていることになるのが分かっているのだろうか。

ともかく、こんな思考停止ワードの落とし穴には気をつけようよ。まあ、俺は一生無縁だと思うけど。

"Again"について

2019年06月09日 | 気になるコトバたち

ある番組で、最近ニューヨークで立ち上がったウェブサービスの話を見た。その内容はともかく、創業者の"make shopping fun again"という言葉が耳に残った。オンラインでのモノの購入が一般的になってきた今の世の中で、もう一度買い物の楽しさを提供したい——なかなか素敵な試みだなと思った。

で、それはそれとして、前述の言葉に現在の米国大統領トランプ氏のキャッチフレーズ"make America great again"を思い出した。もちろん件の創業者の言葉は、それとは無関係だろう。単に一般的な英語のフレーズとして発せられただけだと思う。

ただ、この"again"という発想は要注意だなとも感じた。世の中は動き続け、後ろに戻ることはない。温故知新も古きものの良さを再認識するのも、素晴らしいことだと思う。ただしそれは、あくまで現状に照らし合わせてアップデートされている必要がある。たとえば伝統技術の伝承において、徒弟制度的なシステムの良さもあるだろう。ただ今の世の中で、昔とまったく同じ倫理観は通用しない。

それからもうひとつ、"again"という言葉は、実際にはそうでもなかったことも「そういえば、そうだったかも」と思わせてしまうことがある。昔は本当にそうだったのか?どこかで根拠なきノスタルジーとの混同はないか。"Again"とか「〇〇を再び」のような言説の奥に何があるのか、それはそれで気をつけておきたい。




カードとしての「代案出せ」

2019年01月05日 | 気になるコトバたち
どうもそう言われたら、『アニー・ホール』のダイアン・キートンはいいですよね、と答えている場合じゃなさそうだ。たとえば最近では、終末医療についてある対談を起点とする議論に関して「日本の医療費はもう限界で、まさに『無理ゲー』。反対するなら代案を出せ」みたいな発言を目にした。正直、またか、と思った。問題発生の初期段階には、論理的、常識的、直感的、感情的などなどあらゆる角度からの見解が提示されるべきで、まずできるだけ多くの要素をテーブルの上に置くことが不可欠だ。それを並べている最中に結論の不在を批判するのは、なんていうか鍋料理の最初から締めのおじや(味によってはラーメンも美味しいですね)を出せと言っているみたいにも聞こえる。

もちろん、単なる反論のための反論は建設的ではない。ただし議論には(ちょっと誤解を招くかもしれないけれど)「型」というものがあって、それは意見の異なる他者が言説を共有するためのシステムでもあるはずだ。近頃の「代案出せ」カードの使われ方には、芽を出し始めた思考や感情をいきなり踏みつけてのしたり顔(最近は「ドヤ顔」って言うんだっけ?)が浮かんでくる。ともかく状況と課題を提示して、参照可能な知見を並べていきやしょうぜ。決して楽しい宴とはいかないかもしれないけれど、まずは新鮮な具材の揃い踏み、というのが鍋料理の醍醐味でもある訳で。あー、お腹空いてきたなぁ。

「ダブルスタンダード」という思考停止

2018年11月12日 | 気になるコトバたち
SNSなどでのやりとりで「それはダブルスタンダードだ」という向きの批判や非難(場合によっては言いがかり)を目にすることがある。Twitter上では「ダブスタだろ!」っていう言い方も見かけますね。

確かに「二重規範」は、公正な世の中の発展を妨げる。特定の属性の人々を侮辱しつつ「国をひとつに」などと述べる某指導者に対しては、特大サイズのフォントを使って投稿したい。誰もが納得する基準なんてないけど、どこかできちんと握っていこう、そしてそのうえで最大限のハッピーをつかもう、というのが大人なやり方だと思う。

ただ、なんか誰かに絡みたいだけの「ダブスタ発言」を見ていると、それは違うんじゃないかと思う。具体例は出さないけど、人なら当然の迷いや、物事の前提条件を無視した発言は、その概念の悪用でしかない。飲食店でさんざん迷惑なふるまいをしておいて「客にはサービスするもんだろう」って暴れる連中と、根っこの部分では同じだ。

ちなみに俺自身の基準でいうと、「公に関わる客観的な事柄は厳密に。個人の心情的な部分には、それを理解する姿勢を」という感じ。もちろん個人の心情であっても、それが間違っていると考えるのであれば批判もまた当然の行為だと思う。

ところで例の消費税(食品の持ち帰りは8%でイートインなどは10%)、あれはどうなるんでしょうね。もしかしたらテーブルや椅子を備えたスペースが「有料休息所。ただし○○で商品ご購入の方は無料」みたいな感じでオープンしたりして。なんだかパチンコの景品交換システムみたいだけど。