どうもそう言われたら、『アニー・ホール』のダイアン・キートンはいいですよね、と答えている場合じゃなさそうだ。たとえば最近では、終末医療についてある対談を起点とする議論に関して「日本の医療費はもう限界で、まさに『無理ゲー』。反対するなら代案を出せ」みたいな発言を目にした。正直、またか、と思った。問題発生の初期段階には、論理的、常識的、直感的、感情的などなどあらゆる角度からの見解が提示されるべきで、まずできるだけ多くの要素をテーブルの上に置くことが不可欠だ。それを並べている最中に結論の不在を批判するのは、なんていうか鍋料理の最初から締めのおじや(味によってはラーメンも美味しいですね)を出せと言っているみたいにも聞こえる。
もちろん、単なる反論のための反論は建設的ではない。ただし議論には(ちょっと誤解を招くかもしれないけれど)「型」というものがあって、それは意見の異なる他者が言説を共有するためのシステムでもあるはずだ。近頃の「代案出せ」カードの使われ方には、芽を出し始めた思考や感情をいきなり踏みつけてのしたり顔(最近は「ドヤ顔」って言うんだっけ?)が浮かんでくる。ともかく状況と課題を提示して、参照可能な知見を並べていきやしょうぜ。決して楽しい宴とはいかないかもしれないけれど、まずは新鮮な具材の揃い踏み、というのが鍋料理の醍醐味でもある訳で。あー、お腹空いてきたなぁ。
もちろん、単なる反論のための反論は建設的ではない。ただし議論には(ちょっと誤解を招くかもしれないけれど)「型」というものがあって、それは意見の異なる他者が言説を共有するためのシステムでもあるはずだ。近頃の「代案出せ」カードの使われ方には、芽を出し始めた思考や感情をいきなり踏みつけてのしたり顔(最近は「ドヤ顔」って言うんだっけ?)が浮かんでくる。ともかく状況と課題を提示して、参照可能な知見を並べていきやしょうぜ。決して楽しい宴とはいかないかもしれないけれど、まずは新鮮な具材の揃い踏み、というのが鍋料理の醍醐味でもある訳で。あー、お腹空いてきたなぁ。