TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

表層生活/大岡玲

2018年01月28日 | 読書とか
表層生活
大岡玲
文藝春秋

1990年、第102回芥川賞受賞作。VRやAIの存在を示唆するようなモチーフが出てきて、しかもその描写が根本的なところでかなり的確で驚いた。軽快なテンポをもちつつ読後感のしっかりした一作だった(ワインの話みたいだけど)。ところで登場人物の“計算機”が、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』の五反田君のデジャブに思えるのは僕だけでしょうか。
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それ、無理なんで大丈夫です。

2018年01月21日 | 気になるコトバたち
若い世代の言葉づかいが、とか言い始めると年寄りっぽいのだが(ま、実際それなりの歳だし……ブツブツ)、いわゆる「無理」と「大丈夫」の微妙な加減というか距離感が興味深い。この両者、語義上ではほぼ逆の意味なのだけど、今時の用法では同じ否定―"No"として使われるているからだ。

違いを見出すとすれば「無理」はニュアンスとしてかなり強く、「ありえない」に近い気がする。「相手の親と同居とか無理」と。一方で「大丈夫」は少しやんわりしていて"No thank you"的な響きがあるのでは。「お弁当、温めますか?」「大丈夫です」みたいな。

で、別に良し悪しとか言うつもりは全然ないし、どちらかというと言葉がアレンジされていく様子は面白く思っている。この辺は素直に、若い感覚には脱帽なので。

でもちょっと気になるのは、皆んな物言うのに苦労してるな、ということ。さらっとNoが言えないと―あるいは受け止められないと―妙にコミュニケーションがこじれることもあるからだ。ニュートラルな意見の違いがいつの間にか攻撃的な批判になったり、単なる意見の違いをモラルや人間性にかこつけてディスってみたりと、こういうのあまり生産的じゃないなぁ、と。

別に日常での「無理」も「大丈夫」も全然アリだと思うけど、その言葉を選ぶことで、何か自分の気持ちから逃げたり誤魔化したりはナシにしたい。これって無理?大丈夫?
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ディスってガッテン!?

2018年01月20日 | 雑感日記

いわゆる意識の高い人って、自分より劣っている人間や、無駄・間違いを犯す者を見過ごせず、ついディスられずにはいられないのだろうか。その対象としては、「サラリーマン(あるいは社畜)」「投資に臆病で蓄財は定期預金のみ」「持ち家に高いローン」「通勤に時間をかける」「最新の技術を使わない」「お花畑みたいな話ばっかり」「いまどきタバコ吸ってる」等々あるけど、これはこれで分類していくと面白い。

見方によっては、何をディスるかで、その人自身の分析ができると思う。ある意味、褒める対象は共通になりがちで、たとえばイチロー選手のことは、いろんな人が、さまざまな角度で褒めるので、あまり特徴や個性を読み切れないのでは。ま、対立するAさんとB氏が同じ人物を褒め称えていたりして、それはそれで興味深いのだけど。なんか「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」みたいな話だなぁ(これ、野村克也氏のオリジナルではなく、「松浦静山の剣術書『剣談』からの引用」という説も)。

もちろん玉石混合、というと上から目線かもしれないけれど(汗)、中身やレベルはまちまちだ。たんに好き嫌いみたいなものから、その奥の深い思想にデスクの前で正座しちゃいそうな素晴らしいものまで多様性のオンパレードでもある。ただ、社会に根付いた一定のあり方や存在を、執拗なまでにディスるのは読んでて気分のいいもんじゃない。「サラリーマンはクソ」みたいな本の出版にあたっては、企画面から製品としての物理的な本作りに至るさまざまな「サラリーマン」が関わっているわけだし。

で、なんでディスるのかと思うのだけど、比較的多くの事案で直感的に感じるのは、不安や恐れの反動としての攻撃性。「こんな奴が群れにいたら、この先アブねーだろ!」みたいな叫びだ。多くは「嗤っちゃうぜw」な立ち位置でマウンティングな口調をとっているけれど、なんか余裕とか落ち着きみたいなものは感じられない。ま、あとはその攻撃性が芸風になっている、ある意味ポジショントークみたいな面もあると思うけど。

だいたいフォロワーが多い人は、専門分野に特化した話でもなければ、程度の差こそあれ攻撃的だ。それは全然OKなことで、むしろ闘いにウブな多くの日本人にはとても必要な、スパイス的な存在でもあると思う。ただ、スパイスの使い方を知らない人が手にすると、料理にかけ過ぎちゃったり本来の味を台無しにしちゃったりするんだよなぁ。

ということで、スパイスは素晴らしいものだけど、引用や真似をするときは自分のレベルを考えなくっちゃね、ということを本日の教訓といたします。知らんけど。



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ライフハッカーはカイゼンの夢を見るか

2018年01月18日 | 雑感日記
いわゆる「ライフハッカー」な方々たち、それも割と辛口系の人たちのコメントを読んでいると、ときどきデジャブな感じに襲われることがある。たとえばこういった物言いだ。

〇〇を使えば手間が1分省けるのに、やらないのはバカ。
この1分を漫然とムダにする人間は、最終的には置いていかれる。


こういった、「マメにやらんかい、ボケッ!」みたいな口調、従来の日本企業のひたむきな取り組みの焼き直しのようにも思えてくる。ええ厳しいですよ、大手は。秒単位での効率化、銭単位でのコスト削減が追求される世界。あれ、でもこういうスタイル、ライフハッカーな人たちが率先して批判していた世界じゃなかったっけ?

で、それはそれで良いと思う、いや正直。しょせん自分がどこまで頑張るか、という話だし。だけど、そういったスタイルが「いまいち合わないなぁ、おいらは」という類の人間なりの生き方を探していたつもりが、いつの間にか先人と同じ道を歩いているような。

なんか、「老舗のやり方に反発して飛び出した跡取りが、結果的には先代のスピリットを受け継いで家業繁栄。めでたしめでたし」みたいな話にも思えるのですよ。ま、それはそれで素敵なことかもしれない。結局のところ、自分で道を耕して歩いていくしかないしね。

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