TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

これわすごい!@コニーアイランド、NY

2006年08月30日 | NYが好きだ
えーっと、先週は夏休みでワシントンDCとNYに行っておりました。ロンドンのテロ未遂以来、空港の手続きがめんどくさくて…というのはともかく、久し振りに(つっても2回目なんだけど)ブルックリンのコニーアイランドを訪れた。なんつーか時代のとまったような空間で、ビーチというより海水浴場(あんまり人は泳いでないけど)という方が似つかわしい。例のホットドッグ大食い選手権が開かれるのもここで、小林さんという日本人のチャンピオンの写真もありました。もちろん食い意地の張った俺が、そのネイサンズという店のホットドッグにパクついたことは言うまでもありません。

で、ちょっと面白かったのがこの駐車禁止の看板。"DON'T EVEN THINK OF PARKING HERE"―ここでの駐車は、考えることすらダメだ、みたいな思いっきりの否定。思わずスイマセンって退散しちゃいそうだ。しかしコニーアイランドって、いまだにフリークショー(畸形の人の見世物小屋)とか動く人間にカラーボールを投げるゲームみたいな古くて乱暴な出し物が残っている。ほのぼのとした外観の木製ジェットコースター、サイクロンはなんかちびっちゃいそうな恐さだし。(その古さが恐いというのもあるけど)ともかく皆さん、NYを訊ねる際は半日ほど時間をつくって足を伸ばしてみるべし。だいたいのところから地下鉄で行けるしね。

アレクサンダー・ゲルマン

2006年08月10日 | ♪&アート、とか
ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催されている「アレクサンダー・ゲルマン:ニューヨーク・コネクション」を見に行った。2001年にはMOMA(ニューヨーク近代美術館)の選ぶ「あらゆるメディアにおいて、世界でもっとも影響力のある現代のアーティスト」の1人に選出されたそうだが、まったく予備知識はなかった。でもやられた。すごいよ、この人。

ここに展示されているのは「ここ20年間の活動の中で明かしきれなかった実験的な作品、中でも『element visual narratives』(意:元素視角文学)と題された初公開の映像を始め、数々の新作、進行中のプロジェクトを紹介する」(パンフレットより)という作品群。シンプルだが大胆な(英語のboldという感じに近いけど)グラフィックが数枚のシリーズとなって構成されると、それが豊かな物語を語りはじめる。トランス系のビートが少しずつ音を変えながら鳴り続けているような感覚。頭蓋骨の中に浮いた脳みそを、ゆっくりと回されているような錯覚が起こる。

あー、しかしどんなに書いてもうまく伝えられない。(伝える必要もないのかもしれないけど)本人が来るギャラリートーク(8月24日)に行ってみたかったのだが、なんとその日は俺の方が(多分)ニューヨークにいるという皮肉。でもひさしぶりに、斬新なグラフィック・パワーを見せてもらったなぁ。

物語としての親子―亀田家の明日はどっちだ!?

2006年08月09日 | 雑感日記
亀田一家の人気が高まってきた頃、こんなことを思った。ゴルフの宮里藍や横峯さくらの人気は、彼女たちの実力とキャラクターにくわえて父親や兄弟の存在が大きいのではないかと。(もちろん彼女たちが一流のプレイヤーであることが前提だけど)選手ひとりの力やスター性だけでなく、そこに家族という「物語」があることがいまの日本人を惹きつけたのだろう。

彼女たちの物語は、いまのところラフやバンカーに入ることなくまっすぐ進んでいるようだ。一方で亀田家の物語はちょっと場外に出ちゃったかな、という感じ。しかし無責任に言えば、これはこれで興味深い展開だ。今回の騒動は、うまく納まる(=ボクサーとして結果を出していく)と最終的にプラスに転ぶ可能性もある。

ただいつまでもこういう「物語」にひたっていてもいいのだろうか、僕たちは。ボクシングでもゴルフでも、競技そのものを楽しむ姿勢。K-1やHERO’Sも煽り映像とかなしで闘いそのものを見たい。(所英男が「戦うフリーター」としてキャラづけられたのはファイターとしてはプラスではない気がしてならない)人間にとって物語というのはとても大切なものだけど、ことスポーツに関してはなんか未成熟な感じがしてしまう。思い起こせばデラホーヤ(最終戦はフロイド・メイウェザーとやるんだろうか、ワクワク)の試合とかはファイトそのものが物語だった。ああいうのは良いよね。

これって子供依存症?―亀田史郎パパの場合

2006年08月08日 | 雑感日記
先日の世界戦をめぐって漫画家のやくみつる氏と亀田家の父史郎氏が舌戦を繰り広げたそうだ。(スポーツ報知)やくみつるのパフォーマンスもどうかと思う(見てないけど)が、引っかかったのは史郎氏の「子どもは親が守る」「興毅と一緒に戦っている」というスタンスだ。

一見、いまの時代に珍しくなった熱血系の愛情のようにも思えるが、そこには「社会のルールやマナーを教える」という意識が感じられない。「判定はジャッジが決めること、あとはリングで答を出す」とだけ言っておけばいいわけで、今回の反応はどうもヒステリックに過ぎる。

なんだか史郎氏の姿が、娘にブランドものの洋服を着せていい学校をお受験させ、教育にすべてをつぎ込む母親たちの姿とダブってきた。ハイソなママさんと浪速のおっさんのコントラストは強いが、案外根っこは似ているのではないだろうか。

そのココロは、子どもへの依存。目指すところは違っていても、自己の情熱を一心に注ぐそのベクトルは同じだ。あの自分なー(関西弁で相手への呼びかけ)もしかしたら、ちょっと子離れが必要かもしれへんで。

桜庭和志の痛い門出~HERO'S

2006年08月05日 | 格闘のお時間
亀田の試合ですっきりしない気分を吹き飛ばしてくれよHERO'S、などと的はずれな期待も抱きながらのテレビ観戦。しかしその気分は晴れなかった。

パンチをもらって意識が飛んでいたのに、最後は腕ひしぎで一本勝ちした桜庭。会場も沸いていたようだし、さすがサク!と言いたいところだが、今回はちょっと待った、である。開始早々のスミルノヴァスのパンチでダウンした場面は、いままでならストップされていて不思議ではない。相手がシウバのような破壊的な強さであれば間違いなくとめていただろう。

テレビ画面なので全然断定できないが、レフェリーは一瞬躊躇したように思えた。「鳴り物入り」の桜庭がこういう負け方ではマズイ、そんな思惑が働いたのではというのは勘繰り過ぎだろうか。

フラフラに(つーか意識ないでしょ)なりながらも相手をしとめたファイターとしての本能は素晴らしい。しかしそれを素直に喜ぶには、疑問の残るレフェリングだった。トーナメントにサクが残ってすごく嬉しい、んだけどさ。(ただやっばりカラダはキツそうだ。所もそうだけど、組み技系の選手が打撃を学ぶというのは両刃の剣だと思う)

他にも秋山と金ちゃん。確かに腕はきまっていただろうが、関節技の効き具合には個人差もあるわけだし、もうちょっと見ても良かったんじゃないだろうか。桜庭の場合と逆な感想を持った。

それからノゲイラの試合、ダイジェストで良いから見せてくれよとか(彼に勝って所はブレイクしたわけだし)、ちょっとすっきりしない大会では会った。でも宇野薫はお見事!キツイ状況の中できっちり仕事をやり遂げてくれた。あのお猿さん顔の奥にプロとしての魂を感じたよ、ウキーッ。