久しぶりにNYを訪れている(もう帰るけど……シクシク)。
今回も結構地下鉄のお世話になった。
観光客タイムで動いているので、それほど混雑には出くわさないのだが、
時間帯によって多少は「も少し詰めてくださいなプリーズ」みたないことも。
ただ、ツーリストとしての気楽さもあるのだろうが、
なぜか日本のラッシュほど苛立つ感じを覚えない。
大好きな街とはいえ「やっぱりNYは違うなぁ。何もかも素敵!」と
ポーッとするほどウブではないが、
この「やれやれ、ちょいと混んでるけど、ま仕方ないか」という感覚。
もしかしたら、「いろんな人が乗っている」という単純な理由かもしれない。
いやホント、今更いうことでもないけれど、
人種やファッション、立ち振る舞いのバリエーションは見飽きない。
このバリエーションが、なんていうか
「自分は自分」という気持ちにさせてくれる。
(その分、突きつけられるものもあるけど)
一方で多少のバリエーションはあるとはいえ、
かなり均質感の強い日本の電車にいると、
自分もこの一部という錯覚にとらわれることがある。
その辺が冒頭の疑問の回答なのかもしれない。
でも一方で、他のアジアの国の場合、
見た目的な均一性は日本と変わらないと思うのだけど、
苛立ち感は異なるのではという気もする。
単に見た目の問題だけじゃないのかなぁ。
えーっと、いくらNYが好きでも、
「NY最高!日本残念」という人間ではないので
(逆にそういうお方とは距離を置いておきたい)
ふと思った雑感と思ってくださいませ。
やはりこの街の移動には地下鉄が便利なのだけど、
狭い街とはいえそれなりに時間もかかる。
特に最近盛り上がっているといわれる
ブルックリン、それもブッシュウィックあたりに行くと、
そこそこの乗車時間だ。
なので、この多様性はちょいとありがたいなぁ。
ま、気楽な観光客の戯言ではあるけれど。