ルーティーンが大切、と言われるが、読書にもルーティーン的なものと、より研究、創造的なものがある気がする。前者は常に読み続ける基本的な学術本(特に長いもの)や語学力強化のためのテキスト関係。後者は、自分のテーマに沿って批評的、あるいは探索的に読むもの。それぞれ目的意識を切替えながら読む必要があるのかもしれない。
初めて学会というものに参加、ささやかながら短い発表もさせてもらった。この学会、直接自分のテーマとつながっている訳ではないが、アカデミズム初心者としては(汗)、研究の進め方みたいなものを学べるのではないかと思っていた。
人前で話すこと自体は仕事で経験しているし、準備さえできていれば不安はない(アドリブ的なものは苦手なのだけど)。しかし研究者の人たち、あるいは「学術業界」の目の付けどころは違うのだなと感じた。割とあっさりした報告(修士時代のレポートを再検証したもの)だったのだけど、先行研究の精査についてとか、ある意味でいっちょまえの研究としてあれこれ突っ込まれた。ちょっと大げさだけど、アマチュアがプロの世界に入って「洗礼を受けた」みたいな話に近い感じもある。
また人の発表を聞いているのも面白い。正直(というか無責任に)言って、発表のスキルは結構荒っぽくてグダグダなものも目についたし、タイムマネージメントやあるいは質問者の問題の投げかけの的確さなど、ビジネスで持っている感覚からすると「こういうのアリ!?」と思った瞬間もあった。ただ、ここは学ぶ姿勢で考えると、こういう発表の場で学術的に問題にされるのは、「それが研究として正しく、また見落としなく進んでいるか」ということなのだろう。
もちろん、これが論文などの「完成形」となると内容の是非を含め、より詳細な掘り下げが行われるのだろう。学術的研究とは「同業者」とのせめぎ合いを越えて世に出ていくものかもしれない。
しかし日暮れて道遠し、自分の研究のことを考えると頭がくらくらする。完成したら◯○しよう、という巨大な人蔘が必要だなぁ。
人前で話すこと自体は仕事で経験しているし、準備さえできていれば不安はない(アドリブ的なものは苦手なのだけど)。しかし研究者の人たち、あるいは「学術業界」の目の付けどころは違うのだなと感じた。割とあっさりした報告(修士時代のレポートを再検証したもの)だったのだけど、先行研究の精査についてとか、ある意味でいっちょまえの研究としてあれこれ突っ込まれた。ちょっと大げさだけど、アマチュアがプロの世界に入って「洗礼を受けた」みたいな話に近い感じもある。
また人の発表を聞いているのも面白い。正直(というか無責任に)言って、発表のスキルは結構荒っぽくてグダグダなものも目についたし、タイムマネージメントやあるいは質問者の問題の投げかけの的確さなど、ビジネスで持っている感覚からすると「こういうのアリ!?」と思った瞬間もあった。ただ、ここは学ぶ姿勢で考えると、こういう発表の場で学術的に問題にされるのは、「それが研究として正しく、また見落としなく進んでいるか」ということなのだろう。
もちろん、これが論文などの「完成形」となると内容の是非を含め、より詳細な掘り下げが行われるのだろう。学術的研究とは「同業者」とのせめぎ合いを越えて世に出ていくものかもしれない。
しかし日暮れて道遠し、自分の研究のことを考えると頭がくらくらする。完成したら◯○しよう、という巨大な人蔘が必要だなぁ。