国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

もし、ジャズを聴いたことがない人に、「ジャズを聴かせて」と言われたら(もしジャズ) 3

2011年07月23日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
あまり連絡を取っていなかった中学校時代からの友だち、
O次郎氏から電話があった。
「今日、飲み会するんだけどヒマ?」
彼は生粋の洋楽好きで、洋楽に関してはかなり詳しい。
このブログでもよく登場するガナさんと一緒に飲み会をすることになった。
話題はフジロックやサマソニなど夏フェスの話題から
ラーメン、果ては黒沢清の『CURE』まで多岐に渡るのだが、
やはり音楽系の話が多い。

別れ際になってガナさんが
「『OKコンピューター』聴きにいっていい?」と聞いてきた。
彼は5月ぐらいに一度家に来て、
レディオヘッドの『OKコンピューター』を聴いていった。
僕もその時初めて新しくしたオーディオ装置で『OKコンピューター』を聴いたのだが、
こう言ったら何なのだが、かなり凄かった。
友だちが来ているということで
普段よりも少しボリュームを上げてみたのだが、
つまっている音が一気に吹き出すように、ギターの弦の揺れからドラムの音、
処理された音の全てが十二分に伝わってきて、
「こりゃあ、名盤と言われるのも分かる」と思ったぐらいだ。

まぁ、オーディオで音楽自体が変わるわけではないが、
それでもまとまっていた音が一本一本丁寧に絡まりが解かれたかのように
聞こえてくると、やっぱり違うのだ。

持ち主がそう思ったぐらいなのだから、ガナさんもそう思ったのだろう。
断る理由もなく、O次郎氏とは飲み屋で別れて、自宅に向かうことになった。

レディオヘッドのアルバムにはどうしても「影」のイメージが付きまとう。
正直『キッドA』を聴いたときは、
あまりの気味の悪さに気持ちが悪くなったぐらいだ。
そんなイメージを払拭してくれたのが『OKコンピューター』だ。
実際にはこちらの方が先に発売されていたが、購入したのは最後である。
ぐっとボリュームを上げてみると、
本当に細かいところまで処理がきっちりとされ、音楽的にもレベルが高いことが分かる。

今回もガナさんは満足がいったようだ。
そこでガナさんが一言。
「ねぇ、何かジャズも聴かせてよ」

残された銀の腕時計。もう、彼には時間が必要なかったのかもしれない…

2011年07月21日 | ビル・エヴァンスについて
1980年8月15日、
この日、ビル・エヴァンスはドイツのライン地方、
バッド・フーニゲンという温泉地にいた。
もちろん温泉に浸かりに行っていたわけではない。
ここに住む建築家、フリッツ・フェルテンスが何と1年前から
エヴァンスを自宅に招いてコンサートをやりたいと画策していて、
それが叶った日であるのだ。
奇しくもその日はヨーロッパ公演最終日であり、
生涯におけるヨーロッパでの最後の演奏にもなってしまう。

この日、ベーシストのマーク・ジョンソンと
ドラマーのジョー・ラバーバラが先に会場入りし、楽器の準備とステージを整えた。
その後到着したエヴァンスは見た目からして
非常に体調が悪そうだったと言う。
その最後のヨーロッパ録音が本日のアルバムである。

どういった経緯で録音されていたのかは不明だが、
音はかなり聴きやすくなっているし、拍手の音なども省いている部分もあるので
きっちりと編集はされているようだ。
一方でところどころに小さな話し声やざわつきがあることから
かなりフランクな感じの会場であったこともうかがえる。

エヴァンスの写真といえば『ポートレイト・イン・ジャズ』の真面目で
シュッとした神経質そうな表情であるが、
後年になりエヴァンスは驚くほどにヒゲを蓄えるようになる。
これはドラッグの影響で顔がむくれたのを隠そうとしたからだそうだ。
『ポートレイト』のころのイメージは既に無く
どことなく厳つさも備わってきてしまう。
顔はヒゲで隠すことができたが、どうしても隠せなかったのが指や手のむくれである。
ピアニストであるエヴァンスにとって
指がむくれるというのは、他の鍵盤を叩いてしまう危険性も高くなる。

それでも何故か晩年のエヴァンスには
技術を超越した凄みの備わった演奏が多くなる。
この時の演奏もそうで、強引にでも曲をねじ伏せようとするエネルギーを感じる。
身体はボロボロでありながらも、
どこからこれほどの力が生まれるのかというぐらいに
聴く者の耳をとらえてはなさない。

1曲目の「レター・トゥ・エヴァン」から
まるで行く先を急ぐかのように音数を多くしながらも性急な演奏が続く。
荒々しく、しかも構造的な美しさは感じられない。
それでもエヴァンスはエヴァンスたる演奏をしていくのだ。
7曲目「ユア・ストーリー」のソロ演奏では、
賛否両論あるだろうが、「何か」に取り憑かれたかのようなエヴァンスの姿が
浮かび上がってくるほど、無為の力で演奏をしている。
10曲目の「ワルツ・フォー・デビィ」では、
初期のころの初々しく愛らしいステップは消え失せ、
一歩一歩重たく、無理に歩を進めようとする強引さを感じずにはいられない。

翌16日はエヴァンスの51歳の誕生日であった。
真夜中、エヴァンスにメッセージ入りの銀の腕時計がプレゼントされた。
エヴァンスはそれに対して何度もお礼の言葉を言ったという。
だが、エヴァンスたちが去り、観客たちがいなくなった会場に
残されたパーティー食の食器に埋もれるように
そのプレゼントが見つかった。
かろうじての演奏はできたとしても、エヴァンスに残された時間は少ない。

この1ヶ月後、ビル・エヴァンスはいなくなってしまう。

着物を縫う「針」と黒い円盤をなぞる「針」

2011年07月19日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
最近、コンビニのコミック本で
石森章太郎の『佐武と市捕物控』(小学館)を楽しみにしている。

そもそもコンビニでコミック本を買うことはあまり無いのだが、これは別物だ。
元々、平岡正明氏の『昭和ジャズ喫茶伝説』の中で
『佐武と市捕物控』に触れられていたのが知ったきっかけであったが、
実際に手にとって見ようとは思わなかった。
それがコンビニの棚にぽつねんと並んでいるのだから、
「手に取るべし」と読んでみたのが面白かったわけだ。

下っ引き(岡っ引きの子分のようだ)の佐武と
盲目でありながらも剣の達人である市が江戸で起こる不思議な事件を解決していく。
ミステリアスでありながら、アクションもあり、
しかも人間ドラマもあるというかなり濃厚なマンガだ。

月に一度コンビニに並ぶのだが、買っておいた最新刊をようやくこのごろ読んだ。
その中に「針」という話があった。
針をきっかけに起こる事件に市が巻き込まれていくのだが、
やるせない終わり方で物語が終わる。
それがたまたま先日、レコード針を買い換える前日に読んだものだから、
すぐに結びついてしまった。

レコードを聴くまでは「針なんて何を使っても同じだろう」という意識でいたが、
やっぱり使ってみると針一つででも音が違って聞こえてくる。
『ベイシー』のマスター、菅原氏の著作の中にも出てくるが、
同じメーカーの針でも一本一本で聞こえた方が違ってくるそうだ。
だから同じメーカーの同じ針を買っても、「アタリ」と「ハズレ」があるという。

もちろん僕にはそこまでする財布がないためそれなりに悩むことをする。
今まではデノンの「DLー103」を使っていた。
これも一般的だし、お手ごろ価格なのでいい。
だが、やっぱり最高峰といわれる音も聴いてみたい。
となればオルトフォンといくのが自然の流れだろう。

使っているデノンのプレイヤー「1300M」の
カウンターウエイトも重いものが手に入った。(オルトフォンの針は重い)
そこでオルトフォンの「Cadenza Red」にしてみた。
シェルリードも奮発してオーグライン社のものにしてみる。

聴いて一聴瞭然である。
それまでよりもくっきりと音が分かれて聞こえてくる。
圧倒的に情報量が増えた感じがしてくるのだ。
「なるほど、これがオルトフォンか…」と妙に納得できてしまう音だ。

それまで使っていた針はケースにしまう。
これまでの苦労を考えれば、当然ながら然るべき形で供養も必要になるだろう。
そんな「針」の話である。

新たな視点からジャズの歴史を考えてみよう(『いーぐる』連続講演から) 2

2011年07月18日 | 他店訪問
ヨーロッパ全地域にも広くアラブの音楽が広まっていったのは
一つにイスラム教徒のイベリア半島支配によるものだと思う。
これは僕の勝手な仮説だが、もう一つにロマなどの移動型民族による
音楽文化の広がりというのは考えられると思う。
まぁ、単一的に「これ!」という答えを得ることはできない問題であるが、
様々な要因が組み重なり、結果として今の音楽文化があることは周知の通りである。

さて、ヨーロッパでもイングランドやアイルランド、スコットランドへいくと
音楽の感じが変わってくる。
ケルト音楽の専門家のおおしまゆたか氏曰く「こぶし」が回らなくなってくるそうだ。
そして「コーラス」の概念がなくなるのも特徴であるそうだ。
新大陸へ移動をしていったピルグリムファーザーズが
イギリスの清教徒たちであることを考えてみると
これらのケルト系の音楽要素も一緒に新大陸へ移っていったと考えることはできる。

同時に新大陸へはアフリカ大陸から大量の奴隷が送られることにもなる。
地中海はアフリカ大陸の北側とも接しているし、イスラム教徒圏でもある。
そうなるとイベリア半島で影響を与えたアラブ系の音楽要素も組み込まれていくだろう。

ここに中央に住むアフリカ人たちも奴隷として加わってくる。
果たしてどれだけアラブ系の音楽とアフリカ土着系音楽が結びついたのかは
想像するしかないのだが、
少なくともそれらが新大陸へと移っていったのは事実である。

マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』は
コードからモードへの転換的アルバムであると紹介される。
例えば1曲目「ソー・ホワット」はコードを2つしか使っていない。
それまでのビ・バップではコード進行を重視しての演奏であったが、
コードという和音の考え方から、モードという旋律の考え方へと移行をしている。
アフリカ系の音楽は元々楽理など無く演奏されていたものであるが、
どうもコードは無いに等しく、一つのパターンを変形させながら音楽にしていっている。
こうした様子に惹かれて、
マイルスは『カインド・オブ・ブルー』へと進んだと考えられている。
何せマイルス自身が
「アフリカの親指ピアノを見て、コンセプトを考えついた」と言っている。

こうしたコードを少なくし、
繰り返しの中で変化を付けていく音楽の一つにブルースもある。
ブルースはボブ・ディランなどを考えてみれば分かりやすいと思うのだが、
こぶしの回ったような独特な発声で歌っている。
どことなく引っかかるような歌声は、黒人の歌い方とだけではなく、
スペインやフランスなどにまで起源を求めることができる。
それは結果としてアラブ系の音楽を元にしているとも考えられるだろう。

そう考えていくとユーラシア大陸とアフリカ大陸で
影響を与えあった音楽が、新大陸に移り、
結果として『カインド・オブ・ブルー』のコンセプトでもある
モードの演奏にまで結びついていったという仮説が生まれ出てくる。

実際にケルト系とアメリカでの演奏などを聴いていると似通ったものもあったり、
アフリカの音楽とブルースやモード演奏が近かったり
聴いていて面白い講演だった。
結論は出ないが、「音楽」を考える一つの指針になるのは確かであろう。

新たな視点からジャズの歴史を考えてみよう(『いーぐる』連続講演から) 1

2011年07月17日 | 他店訪問
今年になってから『いーぐる』の連続講演は
あるテーマを持って行われている。
それは「ジャズ史の再考察」だ。
ジャズ史といえば、油井正一氏の『ジャズの歴史物語』が名著である。
だが、これは油井氏のジャズ史観によって書かれている。
歴史というのは一本道で見ていくのが分かりやすいが、
実際には一本道ではない。
多くの分岐点やもしくは知られていない別の視点が存在している。
だが、学校で教わる歴史というのはいつも一本調子であるから
あたかもそれ以外の出来事はなかったかのように受け取ってしまったりもある。

ジャズに関してもそうで、
「ジャズの始まりはニューオリンズ」というのが一般の歴史本に書かれた定説であるが、
実のところそれが本当なのか、それとも違うのかは
よく分かっていないのが実状でもある。

そこで新しいジャズ史の見方として、
村井康司氏が雑誌『JAZZ Japan』と連動して
「ジャズ史で学ぶ世界の不思議」という講演を行っている。
昨日はその第2回目で
「アラブ発、ヨーロッパ・アフリカ経由、アメリカ着:
 ブルースとモード音楽の不思議な旅」と題して
アラブ、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカと結ぶ音楽の流れを音源付きで話した。
ゲストとしてケルト音楽専門のおおしまゆたか氏も参加をして、
アラブ系の音楽とヨーロッパ(スペイン、フランス、ケルト)の音楽の
つながりという壮大なテーマについて考察をした。

聴いてみて驚くのが13世紀のスペインやフランスには
アラブ系の音楽の旋律が垣間見られる。
これはスペインがイスラム教徒に占領されていたという
歴史的背景を考えてみれば当たり前のことかも知れないが、
十字軍の音楽にもその影響が残っているのは驚きである。
しかも唱歌では、いわゆる「こぶしを回す」というような
喉を絞って高い声を出す歌い方が共通している。

それにプラスして地中海の島々出身の歌手やミュージシャンたち、
そして北アメリカの音楽家との比較もした。
ここら辺が世界史ともつながり、非常に納得できる流れだ。