国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

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そんな仮想の音楽喫茶

新たな視点からジャズの歴史を考えてみよう(『いーぐる』連続講演から) 2

2011年07月18日 | 他店訪問
ヨーロッパ全地域にも広くアラブの音楽が広まっていったのは
一つにイスラム教徒のイベリア半島支配によるものだと思う。
これは僕の勝手な仮説だが、もう一つにロマなどの移動型民族による
音楽文化の広がりというのは考えられると思う。
まぁ、単一的に「これ!」という答えを得ることはできない問題であるが、
様々な要因が組み重なり、結果として今の音楽文化があることは周知の通りである。

さて、ヨーロッパでもイングランドやアイルランド、スコットランドへいくと
音楽の感じが変わってくる。
ケルト音楽の専門家のおおしまゆたか氏曰く「こぶし」が回らなくなってくるそうだ。
そして「コーラス」の概念がなくなるのも特徴であるそうだ。
新大陸へ移動をしていったピルグリムファーザーズが
イギリスの清教徒たちであることを考えてみると
これらのケルト系の音楽要素も一緒に新大陸へ移っていったと考えることはできる。

同時に新大陸へはアフリカ大陸から大量の奴隷が送られることにもなる。
地中海はアフリカ大陸の北側とも接しているし、イスラム教徒圏でもある。
そうなるとイベリア半島で影響を与えたアラブ系の音楽要素も組み込まれていくだろう。

ここに中央に住むアフリカ人たちも奴隷として加わってくる。
果たしてどれだけアラブ系の音楽とアフリカ土着系音楽が結びついたのかは
想像するしかないのだが、
少なくともそれらが新大陸へと移っていったのは事実である。

マイルス・デイヴィスの『カインド・オブ・ブルー』は
コードからモードへの転換的アルバムであると紹介される。
例えば1曲目「ソー・ホワット」はコードを2つしか使っていない。
それまでのビ・バップではコード進行を重視しての演奏であったが、
コードという和音の考え方から、モードという旋律の考え方へと移行をしている。
アフリカ系の音楽は元々楽理など無く演奏されていたものであるが、
どうもコードは無いに等しく、一つのパターンを変形させながら音楽にしていっている。
こうした様子に惹かれて、
マイルスは『カインド・オブ・ブルー』へと進んだと考えられている。
何せマイルス自身が
「アフリカの親指ピアノを見て、コンセプトを考えついた」と言っている。

こうしたコードを少なくし、
繰り返しの中で変化を付けていく音楽の一つにブルースもある。
ブルースはボブ・ディランなどを考えてみれば分かりやすいと思うのだが、
こぶしの回ったような独特な発声で歌っている。
どことなく引っかかるような歌声は、黒人の歌い方とだけではなく、
スペインやフランスなどにまで起源を求めることができる。
それは結果としてアラブ系の音楽を元にしているとも考えられるだろう。

そう考えていくとユーラシア大陸とアフリカ大陸で
影響を与えあった音楽が、新大陸に移り、
結果として『カインド・オブ・ブルー』のコンセプトでもある
モードの演奏にまで結びついていったという仮説が生まれ出てくる。

実際にケルト系とアメリカでの演奏などを聴いていると似通ったものもあったり、
アフリカの音楽とブルースやモード演奏が近かったり
聴いていて面白い講演だった。
結論は出ないが、「音楽」を考える一つの指針になるのは確かであろう。