国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

魔法や薬草が有ったとしても、それでも「溺れて」しまうものなのだ。

2011年07月10日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
ここ数日、ブログも書かず、
つぶやきもせずにいた(ちょっとはつぶやいていたが…)。
本業の方が忙しかったことと休みが取れなかったことが重なり、
どうやら思った以上に身体がダウン状態だったようだ。

昨日、今日とぐっすり眠ることで
人間がいかに眠れるのかというのを体感してしまった。
マンガなんかで眠って起きたら、数日経っていたなどというエピソードがあるが、
「なるほど…」とうなずける。

まぁ、それにプラスして
最近はエヴァンスしか聴いていないという状況がある。
ジャズについて書くというのは難しい。
僕は本業でライターをしているわけではないから、
歴史的検証も、音楽的批評も交えて書いているわけではない。
いわば自分勝手な感想、プラス「思ったこと」なのだ。

そうであってもやはり一回で理解ができるわけではない。
エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビィ』など、
ここ何週間かは車の中でもかかりっぱなしだし、
家でもCD、レコードと手を変え、品を変え聴いたりしている。
それでも飽きないし、違った音が聞こえてくると
まだまだ全体図が見えていなかったことに気づいたりもする。
ベースの音が聞こえたり、聞こえなかったり、
ドラムのブラッシングの音が妙に耳に残ったり、
スティックで叩く音が聞こえなかったり、
耳は聴いているようで、やはり聴いていない音が多いのだ。
それに何よりもエヴァンスのピアノ。
全部を聴き取るにはかなりの集中力と、その時の状態が重要である。

1枚のアルバムにしてこうなのだ。
全てを聴き、書き取るというのがかなり難しい作業であることはお分かりだろう。

僕にしてみればジャズを通した自己表現なのだ。
そんなむやみやたらなお付き合いを今宵もしてくれるのはありがたい。
興味を持ったら、ぜひこの1枚も聴いてみて欲しい。
何度も何度も…
それが「ジャズに溺れる」ということなのだ。
そしてそれが本当の意味での「音を楽しむ」ということなのだろう。