国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

残された銀の腕時計。もう、彼には時間が必要なかったのかもしれない…

2011年07月21日 | ビル・エヴァンスについて
1980年8月15日、
この日、ビル・エヴァンスはドイツのライン地方、
バッド・フーニゲンという温泉地にいた。
もちろん温泉に浸かりに行っていたわけではない。
ここに住む建築家、フリッツ・フェルテンスが何と1年前から
エヴァンスを自宅に招いてコンサートをやりたいと画策していて、
それが叶った日であるのだ。
奇しくもその日はヨーロッパ公演最終日であり、
生涯におけるヨーロッパでの最後の演奏にもなってしまう。

この日、ベーシストのマーク・ジョンソンと
ドラマーのジョー・ラバーバラが先に会場入りし、楽器の準備とステージを整えた。
その後到着したエヴァンスは見た目からして
非常に体調が悪そうだったと言う。
その最後のヨーロッパ録音が本日のアルバムである。

どういった経緯で録音されていたのかは不明だが、
音はかなり聴きやすくなっているし、拍手の音なども省いている部分もあるので
きっちりと編集はされているようだ。
一方でところどころに小さな話し声やざわつきがあることから
かなりフランクな感じの会場であったこともうかがえる。

エヴァンスの写真といえば『ポートレイト・イン・ジャズ』の真面目で
シュッとした神経質そうな表情であるが、
後年になりエヴァンスは驚くほどにヒゲを蓄えるようになる。
これはドラッグの影響で顔がむくれたのを隠そうとしたからだそうだ。
『ポートレイト』のころのイメージは既に無く
どことなく厳つさも備わってきてしまう。
顔はヒゲで隠すことができたが、どうしても隠せなかったのが指や手のむくれである。
ピアニストであるエヴァンスにとって
指がむくれるというのは、他の鍵盤を叩いてしまう危険性も高くなる。

それでも何故か晩年のエヴァンスには
技術を超越した凄みの備わった演奏が多くなる。
この時の演奏もそうで、強引にでも曲をねじ伏せようとするエネルギーを感じる。
身体はボロボロでありながらも、
どこからこれほどの力が生まれるのかというぐらいに
聴く者の耳をとらえてはなさない。

1曲目の「レター・トゥ・エヴァン」から
まるで行く先を急ぐかのように音数を多くしながらも性急な演奏が続く。
荒々しく、しかも構造的な美しさは感じられない。
それでもエヴァンスはエヴァンスたる演奏をしていくのだ。
7曲目「ユア・ストーリー」のソロ演奏では、
賛否両論あるだろうが、「何か」に取り憑かれたかのようなエヴァンスの姿が
浮かび上がってくるほど、無為の力で演奏をしている。
10曲目の「ワルツ・フォー・デビィ」では、
初期のころの初々しく愛らしいステップは消え失せ、
一歩一歩重たく、無理に歩を進めようとする強引さを感じずにはいられない。

翌16日はエヴァンスの51歳の誕生日であった。
真夜中、エヴァンスにメッセージ入りの銀の腕時計がプレゼントされた。
エヴァンスはそれに対して何度もお礼の言葉を言ったという。
だが、エヴァンスたちが去り、観客たちがいなくなった会場に
残されたパーティー食の食器に埋もれるように
そのプレゼントが見つかった。
かろうじての演奏はできたとしても、エヴァンスに残された時間は少ない。

この1ヶ月後、ビル・エヴァンスはいなくなってしまう。