国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

あくまでも仮想の「ジャズ喫茶」です

2011年07月16日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
とりあえず今日もいろいろな事があった。
まぁ、毎日色々なことはあるものだが、
それでもひさしぶりにジャズな一日を過ごすことができた。

「詳細はまた後で」などと書くと気分が萎えてしまって
書かなかった時が困るから、
取り立ててアップすることもなかったのだが、
どうもブログは心に引っかかっているようだ。

このところの更新不足で読んでいる人も
順調に減っていっているようで、
まぁ、それはそれとして良いのだが、
自分として書かないと何だから落ち着かない。

それなりにエヴァンスを始め、聴いているのだが、
文章を練るのも一苦労だ。

それでもやっぱり書きたくなるのは
曲がりなりにも「表現」をしたいのだろう。
ジャズ・ミュージシャンたちは楽器を使って表現する。
僕は文字を使って表現する。

ただ、そんなことがぶつかり合っているのが
この場所なのだ。

何となくそんなことを考えてみて、
それでもやっぱり今日は音楽については書かないのである…

バクロク!(ライブという場で生まれるかも知れない最高の音源を録音すること)

2011年07月11日 | ビル・エヴァンスについて
ミュージシャンというのはスタジオとライブでは
全く違う顔を見せる。
そもそもスタジオでは音づくりが入念に行うこともできるため
スタジオでしか生まれない音楽というものもある。
ビートルズがコンサートを開いても観客が誰も聴いてくれないということと共に
スタジオでの音づくりに熱中していったということが
ツアーを止めてしまった理由だという。

ライブというのは観客の熱気にノセられて
普段では考えもつかないようなアイディアが生まれることもあるのも事実だ。
つまりライブ盤というのは、かなりバクチに近いアルバム製作であったと考えられる。
事実、ブルーノートのアルフレッド・ライオンも
ライブ盤を作るのはかなり渋ったというエピソードもある。
(ライオンの性格上、ぴっしりとしたリハーサルまでしたアルバムが作りたかったのだ)

とはいっても、ミュージシャンならば
自分のライブの演奏を残しておきたいという気持ちも起きるらしい。
漫談家、綾小路きみまろ氏も自分のライブは、カセットに録って保管をしておき、
それを聴き直しながらネタの修正を行っているそうだ。

1979年10月30日、
ボストンの『ルル・ホワイツ』でエヴァンスもそう思ったのか?
その日のライブをとりあえず録っておいた。
エヴァンスの最晩年のトリオでの録音というのが公式では少ない。
ベースがマーク・ジョンソン、ドラムがジョー・ラバーベラというラスト・トリオ。
一時期はほとんど音源が出回らずに、
その実態はよく分からないものであったため、評価も高いものではなかった。

エヴァンスはこの日のライブを公式発売しようと考えていたようで、
このアルバムの曲順もかなり練られたものになっている。
1曲目「リ・パーソン・アイ・ニュー」で軽やかに水面を滑るかのような
エヴァンスのピアノが歌い出す。
そこに果敢に挑みかかるかのようなジョンソンのベースがあり、
ラバーベラのブラッシングがある。
エヴァンスの場を支配するかのような音の積み重ねは
どこまでも儚く、それでいてツンと冷たかったりもする。

同じ曲を何度も何度も取り上げていく中で、
エヴァンスは曲の可能性を練り上げていく。
それはやはりスタジオでは生まれない、
ライブという生の緊張感が育んでいくものなのかもしれない。

魔法や薬草が有ったとしても、それでも「溺れて」しまうものなのだ。

2011年07月10日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
ここ数日、ブログも書かず、
つぶやきもせずにいた(ちょっとはつぶやいていたが…)。
本業の方が忙しかったことと休みが取れなかったことが重なり、
どうやら思った以上に身体がダウン状態だったようだ。

昨日、今日とぐっすり眠ることで
人間がいかに眠れるのかというのを体感してしまった。
マンガなんかで眠って起きたら、数日経っていたなどというエピソードがあるが、
「なるほど…」とうなずける。

まぁ、それにプラスして
最近はエヴァンスしか聴いていないという状況がある。
ジャズについて書くというのは難しい。
僕は本業でライターをしているわけではないから、
歴史的検証も、音楽的批評も交えて書いているわけではない。
いわば自分勝手な感想、プラス「思ったこと」なのだ。

そうであってもやはり一回で理解ができるわけではない。
エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビィ』など、
ここ何週間かは車の中でもかかりっぱなしだし、
家でもCD、レコードと手を変え、品を変え聴いたりしている。
それでも飽きないし、違った音が聞こえてくると
まだまだ全体図が見えていなかったことに気づいたりもする。
ベースの音が聞こえたり、聞こえなかったり、
ドラムのブラッシングの音が妙に耳に残ったり、
スティックで叩く音が聞こえなかったり、
耳は聴いているようで、やはり聴いていない音が多いのだ。
それに何よりもエヴァンスのピアノ。
全部を聴き取るにはかなりの集中力と、その時の状態が重要である。

1枚のアルバムにしてこうなのだ。
全てを聴き、書き取るというのがかなり難しい作業であることはお分かりだろう。

僕にしてみればジャズを通した自己表現なのだ。
そんなむやみやたらなお付き合いを今宵もしてくれるのはありがたい。
興味を持ったら、ぜひこの1枚も聴いてみて欲しい。
何度も何度も…
それが「ジャズに溺れる」ということなのだ。
そしてそれが本当の意味での「音を楽しむ」ということなのだろう。

いよいよ「その時」が近づいている…

2011年07月03日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
ついにきてしまった。
昨年の記憶がまざまざとよみがえってくる。
広大な苗場スキー場に点々と広がるテントのカラフルな色が…

親友のガナさんから連絡を受ける前から
ローソンの壁際に貼られたポスターを見て、「今年はどうするか?」と悩んでいた。
今年もいよいよフジロックの季節がやってきたのだ。

もともと今のロックバンドを深く知っているわけではないし、
ロックについてはほとんど門外漢である。
それでもやっぱりフジロックは違う。
知っているか、知っていないのかなどといったことはあまりにも小さな悩みだ。
あのスキー場に広がる光景を目にしただけで、
何か新鮮な気持ちが生まれてくる。

そこは音楽の花が無数に咲き誇っている。
ジャンルはそれほど大きな意味を持たない。
知らないバンドであってもそこで息をすることで、
何か胸の奥底からわき上がってくるものがある。

ジャズでもフェスをやったりしているが、
やはりフジロックの持っている独特な雰囲気を超えるものではない。

正直迷ったところもある。
チケット代も高いし、交通の便も良くはない。
トイレなどの並ぶ時間やら、夏の暑さやらを考えてみれば決して良い環境とは言えない。
それでも問われればやはり「行く!」と答えてしまうのが、
フジロックなのだ。

ガナさんから連絡を受けたのが、6月の半ばである。
「どうする?」
「行きたいねぇ~」
お互いに電話越しに沈黙する。
なかなか7月末は仕事で忙しいのだ。
それでもどうにかこうにか時間を捻出する。
お互いに何とか行けそうだということになれば話は早い。
早速ガナさんにチケットと泊まる場所を確保してもらう。

ネットでフジロックの情報を集め、
スケジュール表をにらみながら、
いよいよその時が近づいていることを感じずにはいられない。

最初は浅く、それでもどんどん深くへ…

2011年07月02日 | ビル・エヴァンスについて
ここのところ非常に忙しかった。
加えてこの暑さが何とも言えず、
オーディオを動かすのも一苦労であり、
結果として音楽も聴かずに寝てしまうこともしばしば…

エヴァンスの音源をあちこちで探しながら
それを聴いているのだが、
後期になるにつれて、エヴァンスの演奏が荒くなっていくところに
ジャズ・ピアニストとしての進展が見られるような気がする。
それは初期の「ジャズを弾きたいなぁ~」という想いから、
「ピアノを弾くってことはこういう事なんだ」というエヴァンスの強い主張への変動にも
感じられることだと思う。
それはマイルスと同様に「ジャズ」というジャンルの継承とは違い、
「ビル・エヴァンスの音楽」を創り上げていく過程のようにも見えてくる。

だが、それも聴き込まなければ言葉で表現することができない。
もともとピアノの専門用語もよく分からないわけだし、
まして作曲の技術でさえも知らないわけだ。
となれば感覚的なもので聴くのとともに本を読んで曲の構造などを学ぶしかない。

そうは言ってもまだまだ時間はたくさんある。
焦らずのんびりとエヴァンスの音楽に迫っていくのがいいだろう。

ラスト・トリオの『パリ・コンサート Vol.1』を聴きながらも
それを聴くたびに違った場所に光が当たるように
新たな発見がある。
まるでガムを何度も咀嚼し、そこから味がしみ出てくるかのように
音楽は聴き込むことで、徐々に耳に馴染んでくる。
それは「ジャズ」だからではない。
どんな音楽でも共通的事柄だ。
だからその聴き込むための時間が欲しいものだ…