ジャズを聴き始めたばかりの時というのは
意外に「この人を聴いておけば大丈夫」という
ある種の幅の狭い聴き方になってしまいがちである。
慣れない世界に足を踏み入れたばかりであるから、
足下を照らす電灯のように指針が欲しくなるのだ。
僕の場合はそれがエヴァンスであり、マイルスであった。
2人ともジャズの王道的人物であるから、
まぁ、当たり前のことといえば当たり前のことだったのだろう。
一方で「この人は、多分そんなに聴かないだろうな」と思っていたのが
ジョン・コルトレーンである。
どんなジャズ本にもコルトレーンというのは非常に難解な人物として書かれている。
「私は聖者になりたい」なんていうドラマのセリフのような言葉が
記者会見で出たとなれば、ちょっと足が引いてしまうのも分からなくはないだろう。
ところがコルトレーンという人は聴いてみると
その発言とは裏腹に非常にジャズ・ミュージシャンとして、
いや、ミュージシャンとして高い位置にいた人だということが分かってくる。
その一例が音色だ。
コルトレーンの音色は、その特訓の成果もありかなり澄んでいる。
時にアルトと間違えるほどの高いテナーの音は、
瑞々しく、また非常に静かだ。
ちょっと聴き、荒々しくいかにも「フリーやってます」という演奏もあるのだが、
その内情はかなり論理的に思考を巡らせ、
演じているのではないかと思えるほどに自己にのめり込んでいるようにも思える。
そんな聴きたいとも思っていなかったコルトレーンを
何が原因なのか分からないが、時々非常に聴きたくなる。
聴く時は『ワン・ダウン,ワン・アップ』である。
これは何度聴いても分からない。
エネルギーは非常に感じる。
でもそのエネルギーが時に空虚でどうにもやるせなく思える。
意外に人間くさいのかもしれない。
意外に「この人を聴いておけば大丈夫」という
ある種の幅の狭い聴き方になってしまいがちである。
慣れない世界に足を踏み入れたばかりであるから、
足下を照らす電灯のように指針が欲しくなるのだ。
僕の場合はそれがエヴァンスであり、マイルスであった。
2人ともジャズの王道的人物であるから、
まぁ、当たり前のことといえば当たり前のことだったのだろう。
一方で「この人は、多分そんなに聴かないだろうな」と思っていたのが
ジョン・コルトレーンである。
どんなジャズ本にもコルトレーンというのは非常に難解な人物として書かれている。
「私は聖者になりたい」なんていうドラマのセリフのような言葉が
記者会見で出たとなれば、ちょっと足が引いてしまうのも分からなくはないだろう。
ところがコルトレーンという人は聴いてみると
その発言とは裏腹に非常にジャズ・ミュージシャンとして、
いや、ミュージシャンとして高い位置にいた人だということが分かってくる。
その一例が音色だ。
コルトレーンの音色は、その特訓の成果もありかなり澄んでいる。
時にアルトと間違えるほどの高いテナーの音は、
瑞々しく、また非常に静かだ。
ちょっと聴き、荒々しくいかにも「フリーやってます」という演奏もあるのだが、
その内情はかなり論理的に思考を巡らせ、
演じているのではないかと思えるほどに自己にのめり込んでいるようにも思える。
そんな聴きたいとも思っていなかったコルトレーンを
何が原因なのか分からないが、時々非常に聴きたくなる。
聴く時は『ワン・ダウン,ワン・アップ』である。
これは何度聴いても分からない。
エネルギーは非常に感じる。
でもそのエネルギーが時に空虚でどうにもやるせなく思える。
意外に人間くさいのかもしれない。