日々の音楽鑑賞は身体の状態に応じて変わってくる。
長く、集中力を要するものはやはり身体の調子がいいときでないと聴けない。
もちろん不意に降りてくる感覚を期待することもできるが、
聴く気がなければそもそも音楽は「馬耳東風」である。
身体が疲れているときなどは、刺激の少ないものが聴きたくなる。
病気の時に胃に優しい食べ物を食べるようなものだ。
そんな1枚が今日のスティーブ・キューンの『モーストリー・バラード』である。
僕は一度スティーブ・キューンを生で聴いている。
エディ・ゴメスと一緒に来日したとき、
エディ目的で観に行ったときのピアニストがスティーブ・キューンだった。
そのころはキューンがそんなに有名なピアニストであるということでさえ知らず、
エディと白熱する演奏を繰り広げて、ジャズライブの面白さを知った。
後日、スティーブ・キューンがかなりの有名な人であると知り、
まだまだ勉強不足であると感じたものだ。
この『モーストリー・バラード』は、大半がキューンのソロ演奏である。
そのタイトルの通り有名なスタンダード曲を取り上げ、それを丹念に演奏している。
「ラウンド・ミッドナイト」「ラヴァー・マン」「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」など
ジャズを聴いたことがある人ならほとんどが名前を聞いたことがあるような曲だ。
スティーブ・キューンといえば、ビル・エヴァンスのように耽美的な演奏で知られる。
何の気無しに気張らずかけても、すっと音が空気中に消えていくかのように儚い。
だが1音、1フレーズごとにキューンの技量が発揮されている。
普通に曲を演奏するのではなく、その曲の空間に音をはめ込み、
それをさらりと聴かせるのだ。
本来疲れた身体に過激なジャズでエネルギーを蓄えたいところだが、
たまにはこんな緩やかな時間があってもいいだろう。
長く、集中力を要するものはやはり身体の調子がいいときでないと聴けない。
もちろん不意に降りてくる感覚を期待することもできるが、
聴く気がなければそもそも音楽は「馬耳東風」である。
身体が疲れているときなどは、刺激の少ないものが聴きたくなる。
病気の時に胃に優しい食べ物を食べるようなものだ。
そんな1枚が今日のスティーブ・キューンの『モーストリー・バラード』である。
僕は一度スティーブ・キューンを生で聴いている。
エディ・ゴメスと一緒に来日したとき、
エディ目的で観に行ったときのピアニストがスティーブ・キューンだった。
そのころはキューンがそんなに有名なピアニストであるということでさえ知らず、
エディと白熱する演奏を繰り広げて、ジャズライブの面白さを知った。
後日、スティーブ・キューンがかなりの有名な人であると知り、
まだまだ勉強不足であると感じたものだ。
この『モーストリー・バラード』は、大半がキューンのソロ演奏である。
そのタイトルの通り有名なスタンダード曲を取り上げ、それを丹念に演奏している。
「ラウンド・ミッドナイト」「ラヴァー・マン」「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」など
ジャズを聴いたことがある人ならほとんどが名前を聞いたことがあるような曲だ。
スティーブ・キューンといえば、ビル・エヴァンスのように耽美的な演奏で知られる。
何の気無しに気張らずかけても、すっと音が空気中に消えていくかのように儚い。
だが1音、1フレーズごとにキューンの技量が発揮されている。
普通に曲を演奏するのではなく、その曲の空間に音をはめ込み、
それをさらりと聴かせるのだ。
本来疲れた身体に過激なジャズでエネルギーを蓄えたいところだが、
たまにはこんな緩やかな時間があってもいいだろう。