国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

ブルースペックCDに変えてみる?

2009年08月19日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
最近、CDの高音質化が進んでいる。
「スイングジャーナル」8月号にもその特集が組まれるぐらいだ。
僕はあまり高音質CDには興味がなかった。
聴くのはジャズで音質ではないし、
高いCDを買うならば、その分多く買いたいと思っていたからだ。

しかし、ジャズ喫茶の体験で変わってしまった。
ジャズ喫茶ではなるべくいい音でジャズを鳴らせることも求められる。
そのためオーディオにも適度に手がかけられている。
だからジャズ喫茶で聴くジャズは違う。

僕が感心するのは低音である。
あまり意識しないベース音が「ぐーん」と伸びてくると、
聴いたことのあるアルバムでもまた違った面が見えてくる。
となるとオーディオを替えたいと思うのは自然の理だろう。
だがそう簡単にもいかない。
値段もあるが、場所の問題も出てきてしまう。
そこにこの高音質CDだ。

「いーぐる」連続講演で
村井さんが『カインド・オブ・ブルー』のブルースペックCDをかけた時、
それまで聴いていたものよりも音がクリアで、しかも低音もかっちりと聞こえた。
もちろん「いーぐる」のオーディオがいいこともあるが、
CDが変わるだけで音も変化するのにはびっくりした。

マイルスの『ソーサラー』をブルースペックCDで聴いてみる。
普段は気にしないロン・カーターのベースが、
「ボンボンボン」と熱烈に駆け上がってくるのが分かる。
トニー・ウィリアムスのシンバル音もクリアで軽やかだ。
それぞれの音もきれいに、はっきりとなっているのは事実のようだ。

そうした処理を好まない人もいるだろう。
それはそれでいいと思う。
だが、いい音を求めてしまうのもジャズ好きの業の1つなのだ。
高音質CDで名演を楽しむのもありだろう。
ただ、更にいいオーディオで聴いたら…
欲望は止まるところを知らない…

西洋音楽とジャズの融合と調和

2009年08月18日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ジャズはロックとは違い、いつもメンバーが固定されるわけではない。
ところがそんな一定化しないジャズ界にも
長期グループで活躍した人たちがいる。
モダン・ジャズ・カルテット(MJQ)である。
ヴァイブのミルト・ジャクソンとピアノのジョン・ルイス、
ベースのパーシー・ヒース、ドラムのケニー・クラーク(後にコニー・ケイ)の
4人グループ、つまりカルテットである。

今日の1枚はジョン・ルイスっぽさの出ている『フォンテッサ』である。
ジョン・ルイスはジャズだけではなく
クラッシック音楽の素養も身に付けていた。
タイトル曲の「フォンテッサ」を聴いてみると
序盤はミルト・ジャクソンのコクのあるヴァイブの響きが曲を引っ張っていく。
本当にミルトのヴァイブの音は、ネットリと絡みつくような感じでありながらも
耳に心地よく音が響いてくる。
中盤にジョン・ルイスのピアノが入るのだが、
ちょっと曲全体の感じが変わり、華やかでどこかクラシック的な響きを感じる。
でありながらも、よく聴けばジョンのピアノは、
やはり粘りのある黒い音の響きを持っているのだ。
どっしりとしたコードと軽妙なメロディーのアンバランスさが
ジョンの持つ世界なのだ。
そして終盤に再びミルトのヴァイブが戻ってくる。
曲全体の構成がしっかりしていて、とても楽しめるものになっている。
構成だけではなくそれぞれのアドリブにも注目して欲しい。
クラシック的に聞こえても、節々から漏れ出すのはジャズの持つ黒い音だ。
そこにあるのはやっぱりジャズなのだ。

他に「エンジェル・アイズ」や「オーヴァー・ザ・レインボー」などの
スタンダード曲も入っているため誰でも楽しめるようになっている。
ミルトとジョンの黒い音を感じられるのと同時にジャズを楽しめるという
何だかとってもお得なアルバムなのだ。

だから僕はジャズ喫茶へ行く -「マサコ」閉店から思うこと-

2009年08月17日 | 他店訪問
音楽を聴く環境は昔と比べるとよくなり、
自宅にある程度のオーディオ機器をそろえることができ、
レコードやCDの単価もそんなに目が飛び出るほど高いわけではない。
そう、60、70年代にジャズ喫茶が流行ったころとは
格段に時代が変わっている。

今日、下北沢にあるジャズ喫茶「マサコ」に行ってきた。
「マサコ」は9月23日に閉店するという情報を知ったからである。
僕は今まで「マサコ」には行ったことがない。
だから今日の訪問がおそらく最初で最後の訪問になるだろう。

僕のジャズ人生を深めた一端の理由としてはジャズ喫茶がある。
独特の店内の様相、個性的なマスターの人柄、
コーヒーの薫り、上質なジャズ…
どれもジャズ喫茶には欠かすことができない。

「マサコ」もまさにそんな雰囲気を持っていた。
下北沢という場所柄もあり、アングラ系というか、
店内は真っ黒は壁で包まれ(天井も紙かなにかで黒い)、
そこにはポスターや写真が遠慮無く貼られ、
また壁にはジャズミュージシャンの油絵がかざってある。
「2時間以上の場合は、追加注文をしてください」
文句は違ったかもしれないが、ジャズ喫茶のルールも張り紙してあった。
安価なメニューと飲み物。漫画もたくさん用意されている。
そしてジャズ喫茶というだけではなく、
近所の人たちも気楽に訪れては
のんびりと過ごす喫茶店としての役割も果たしていた。

今はジャズ喫茶が担ってきたオーディオやレコード数などは
個人でも十分に満たすことができるようになった。
ジャズ喫茶の必要性が問われているのである。
ともすれば昭和の懐かしい遺物として、
今回の「マサコ」閉店を聞いて何年ぶりに再訪問するという状況ぐらいでしか
ジャズ喫茶が振り返られなくなってきているのかもしれない。
それはそれで良いのかもしれないが、
ちょっと寂しすぎはしないか?

今回「マサコ」に訪問をしてみて、
やはり独特なジャズ喫茶としての重みや匂いといったものがあるのに
それがなくなってしまうのは
1つの文化が消えていってしまうようで悲しい。
ジャズ喫茶は儲からないそうだ。
コーヒー一杯でいくらでもジャズを聴かせてくれるのだから
半ボランティアに近い。

だから僕たちはジャズ喫茶へ行かなければならない。
ジャズを知り、ジャズを楽しみ、ジャズを学ぶ。
それもジャズ喫茶の役割だと思う。
真摯に音楽に耳を傾けることができるジャズ喫茶はまだまだ必要な場所なのだ。

「マサコ」には、近所の人が集まってきていた。
カメラを持った人も来ていた。漫画を読む人もいた。
そして僕はジャズに耳を向けた。
ジャズ喫茶はいろんな人が集まる場所なのだ。
そんなジャズ喫茶が僕は好きなのだ。今こそジャズ喫茶へ行こう。

サイドメンがスゴイことだってあるのだ!

2009年08月16日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
ハービー・ハンコックといったら思い出すアルバムは何だろう。
器用なハービーはたくさんアルバムを出しているが、
やはり『処女航海』が一番ではないか?
ジャズの60年代を負ったハービー・ハンコックの代表作である。
メンバーはトランペットのフレディ・ハバードを抜いて、
他はマイルスグループ出身者というぐらいだから超豪華だ。

このアルバムは何をいっても1曲目のタイトル曲が有名。
「ジャジャーン ジャーン ンジャーン」と
ハービーのピアノの音が聞こえれば、そこはもう広大な海である。
そこにフレディ・ハバードとジョージ・コールマンの
2管が静かにさざ波を立てるかのように入り込んでくる。
トニー・ウィリアムスの力強く軽妙なシンバル音は、
自然と身体にリズムを与えてくれる。
今までと違った新しい曲の雰囲気も知らぬうちに感じることができるだろう。

とにかく僕は1曲目のフレディーのトランペットソロが大好きなのだ。
このソロの部分は何度聴いても最高だと思ってしまう。
吹きすぎだとか、テクニックに走りすぎだとか言われるが、
僕にとってここのフレディーのソロは非の打ち所がない。
絶妙な力加減で曲全体の雰囲気に合わせたソロであり、
ブァーッと胸の芯から盛り上がってくるような心地よさ。
ここがフレディー・ハバード最高の瞬間ではないか!

分かったつもりでこのアルバムをほったらかしにしていたのだが、
ひさしぶりに聴いてみれば、
名盤に相応しい音楽が詰められていることを改めて感じた。
何度も繰り返し聴いてみることで、
その内容が自分が分かったつもり以上に濃いことも分かる。
「分かったつもり」というのが、結構恐いもんですねぇ。

我が県は海がないし、
ここしばらく海にも行ってないから
代わりにこれを聴いて航海に出掛けた気分にでもなりますか。

宝箱には何が入っているか分からない

2009年08月15日 | マスターの独り言(日々色々なこと)
今日は終戦記念日であった。
だが、今日の僕はそんなことを言っている場合じゃなかった。
大宮のソニックシティーを会場に、
ディスクユニオンのCD、レコードの大放出会があったのだ。
と、なればとりあえず行くしかないでしょう。

とかくレコード、CDを巡る争いは激しい。
相手よりも早く目当ての物を見つけるスピードが重要だ。
これは相手も同じことを考えるわけで、
ひどいと押し合い圧し合いなのだが、
とにかく空いている場所を狙って身をねじ込んでいくぐらいの気迫は必要だ。
こういう場所で遠慮をしてしまうのはあまりよくない。
目的があるわけだから、
相手の人に断り、謝りながらも目的の物に到達しよう。

それに自分の知識や執念が試されもする。
いつどこでどんな商品に会えるかは全く分からない。
有名なミュージシャンの物は無理して買う必要はないと思う。
それよりも人の見向きもしないところに
名盤がないのかを探していくのが楽しいのだ。
そこで、こうした放出会は大事になってくる。
普段見つからない物が、各地から集められた品物の中に混じっている場合がある。
とにかく探し続けることで、やがて聴きたかったあの一品が手に入る。
それには長い執念と探し続ける根気が必要だ。

ちなみに自分の手にした物の管理はしっかりしておいた方がいい。
初めての行った放出会だが、
エレク・バクシクの『ジャズ・ギター』を他のレコードを探している間に、
近くに置いておいたのだが持って行かれたことがある。
腹立たしさと同時に血も涙もない争いの世界を感じた。
それ以降自分の手に取った物の管理にはかなり気をつけている。

レコードの入ったダンボールのことをエサ箱と言う。
だが、エサ箱の中には宝物が眠っているのだ。
その宝を発掘するために、今日も僕はエサ箱を漁り続ける。