国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

「無い物ねだり」と分かっていても、懐かしい時代を求めてしまうのだ!

2009年08月27日 | 喫茶店に置いてある本
昨日は更新できなくて申し訳ない。
更新がない日は、大概予期しない飲み会があり、
しかも午前様になっているパターンの日だ。
毎日ブログ更新を心がけている身にはちょっとイタイ。

ブログの更新なんて、一昔前ではあり得ない出来事だっただろう。
ジャズについて語るとするならば、ジャズ喫茶というサロンで
お互いのジャズ論をぶつけ合っていたのであろうから。

ジャズ喫茶については何度か取り上げたが、
1970年代ごろには、一種の文化発祥の温床であったわけだ。
そんな戦後日本に、ジャズがどのような影響を与えてきたのかを論じたのが、
マイク・モラスキー氏の『戦後日本のジャズ文化』(青土社)である。

目次を見てみるとちょっと興味深い。
石原裕次郎、五木寛之、若松孝二、筒井康隆、村上春樹と
何だか有名人がたくさん並んでいる。
どう? 興味がわいてきた?
もし興味がわかなくても読んでみると、
戦後の日本においてジャズがいかに文化に影響を与えていたかが分かってくる。

とはいえ、僕は一回読んだだけではピンとこなかった。
ジャズは時々人に気を遣わせ、小難しい理論で迫ってくる。
まして「シラケ世代」の僕は、政治の季節に身を置いていたわけでもなく
ジャズ喫茶の最も熱かった時代を体感していないので当然といえば当然だ。
ただジャズという音楽が、1960年代以降いかに青年の通過儀礼として
存在していたかということは何となくつかめた。

そこで出てきたのが件の「13人連続暴行魔」と阿部薫である。
文化が商品化する前の生々しい存在として輝いていたころの象徴としては
ピッタリなのかもしれない。
その頃には存在さえなかった僕でさえ、何故か懐かしく、
ちょっとだけその時代をうらやましく思ったりもしてしまう。
まぁ、それを「無い物ねだり」と言うのだろう。