国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

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寂しいのは写楽だけか?

2009年08月29日 | マスターの紀行文
8月もいよいよ終わりが近づくと
何やら物悲しい気持ちになってきたりもする。
おそらく夏休みが終わり、
また学校へ行く小学生のような気持ちになるからだろう。

てなわけで朝からどうも調子が悪い。
気持ちが落ち込むとせっかくの休みに予定していたことも
実行したくなくなるから不思議なもんである。
当初は「いーぐる」で連続講演を聞こうと思っていたのだが、
今日は予定を変更して江戸東京博物館に「幻の写楽」を見に行ってきた。

前にブログで『寂しい写楽』を取り上げたが、
写楽は、江戸時代の謎の浮世絵師として有名である。
正体は随分解明されてきているが、
それでも謎の絵師であることは今も変わらない。

展示されていたのは、
写楽肉筆画の「四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小浪」である。
これは「仮名手本忠臣蔵」の一幕を描いた物であるが、
その絵は上手であるとは感じなかった。
そう思ったポイントが3点。
①四代目松本幸四郎の首と身体のバランス。
②同じく幸四郎の右小指。
③松本米三郎の視線である。
有名画家の絵が必ず上手であるという式は成り立たないのだ。

写楽が姿を消してから4ヶ月後に描かれたものらしいが、
その割に身体と首とのバランスの悪さ。
相手方との視線の交わりの無さ。
といったプロとはなかなか言えない感じの物である。
浮世絵師は結構手や指を描くのが苦手という人もいるので、
指がおかしいのはよしとしても、
それでも人物の心の内まで表情で表現したと評される
写楽の絵としてはあまりにも杜撰である。
加えて「四代目」を「五代目」と間違っているなど
ちょっとプロとは思えない。
実は写楽第三期になると同様の役者名間違えが何枚かある。
ところがあの世界的に有名な第一期の大首絵には、
それを見るだけで心に響いてくるような力強さと圧倒感がある。

まぁ、これが写楽多数人説につながってくるのだが、
じゃあ、ヘタだと言って、それが写楽じゃないかというとやっぱり写楽なのだ。
この1枚の肉筆画は、
写楽という謎の絵師を解明するのにかなり役立ってくるかもしれない。

え? 何でこんなに熱く写楽を語るのかって?
そりゃあ、ちょっと僕は浮世絵と関係が浅くないのだ。
「幻の肉筆画」を見に行くことが目的だったから、
他の絵はほとんど覚えていない。

その後、神保町の「BIG BOY」に足を伸ばす。
マスターに「8月にも一回ぐらい来ます」と言っていたので、
ちょっと遅まきながらの訪問であった。
でも、やっぱり巨大なJBLの4343で聴くジャズは迫力がある。
ジャズ喫茶のベース音は、いつも地を這うがごとく
足下から身体に響いてくるのだ。

まぁ、そんなこんなでもう8月も終わりである。

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