国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

ジャズ喫茶に集う人々

2011年06月12日 | 喫茶店に置いてある本
例えばどんなにオーディオ機器を高価にして
手をかけたとしてもやはりジャズ喫茶に通うという習慣はなくならないだろう。
ジャズ喫茶には確かに高価なオーディオ機器でジャズを聴かせるという一面がある。
だがジャズ喫茶が今も残っているのは
そこに集う人々がいるからではないだろうか?

ジャズ喫茶のマスターと呼ばれる「オヤジ」は、
どことなく世相から離れた仙人のような感じがする。
男ならばその職に憧れずにはいられないだろう。

今はコンピューターでちょちょいと音楽をかけることができる。
ダウンロードすればそれこそ安い。
だが昔はLP1枚が大学初任給の3分の1という高価な物であったから
おいそれと買い足していくのは難しいことだった。
そこでジャズ喫茶の登場だ。

元々日本の喫茶店は「○○喫茶」というのが当たり前のように
喫茶店プラス「何か」というセットのコーヒーの飲み場が多い。
それこそ純喫茶と呼ばれるものは、
現在のフランチャイズの喫茶店とか大手の喫茶店に限られるのではないか。
ジャズもご多分に漏れずに喫茶店と結びつき
60年代ぐらいには大流行をしていくことになる。

そんな中、やっぱり別格となるのが岩手県の一関にある「ベイシー」だろう。
マスターの菅原昭二氏は、「レコードは演奏するもの」という信念を持って
自分のオーディオと対峙をしている。

そんな「ベイシー」を題材とした小説集がある。
村松友※(示へんに見)氏の『べーシーの客』(マガジンハウス社)である。
村松氏自身も「べーシーの客」であり、
マスターの菅原氏との親交も深いという。
この中に出てくる登場人物たちはジャズが好きでたまらないという人たちではない。
「ベイシー」という場所の魔力にかかった人たちだ。
読んでいると「ベイシー」に行きたくなる。
そんな一冊だ。

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