国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

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大阪ジャズ紀行 ロリンズを「見る」ことと「聴く」こと

2010年10月12日 | マスターの独り言(ライブのこと)
大阪のNHKホールというのは最初から結構気になった。
ジャズのライブがコンサートホールで行われるというのは
何となく雰囲気が違う。
例えば「ブルーノート東京」や「東京TUC」などのライブスペースで行うと
かなり演奏だけではなく会場にも熱がこもってくる。
そうなると演奏のグレイドがぐぐいっと伸び上がったかのように
エネルギーに満ちたものとなってくる。

一方コンサートホールというのは音響面では申し分ないのだが、
会場自体が広すぎてしまい、
また観客側もしっかりとした椅子に腰をかけてしまうため
大体「コンサートを聴く」という雰囲気が出てしまう。
正直コンサートホールでの演奏というのは、
僕がジャズに求めている熱と違った演奏の質だと思う。

ならばこの度の大阪行きは一体何だったのか?
それはソニー・ロリンズを「見に行った」という表現が正しいだろう。
演奏面での期待というのはあまり高くはなかった。
確かに80歳を越えても演奏への情熱を失わないミュージシャンもいるだろう。
だが、やはりロリンズは若かりしころに完成をしてしまっていたのだ。
ブルーノート時代に吹き込んだ4枚のアルバムは、
ロリンズが若くともテナーの雄として十分角を振り上げて突進していく様が見えた。
おそらくロリンズはあの頃の演奏を越えることはできないだろう。
そしてロリンズ自身もそれは分かっているのではないかと思う。

名曲「セント・トーマス」をアンコールで吹いた。
『サキコロ』に録音されたような溢れ出んばかりのメロディーはなく、
テーマに色を付けながら吹ききろうとするロリンズがいた。

でも結局はそれでいいのだと思う。
音楽的、ジャズ的に感動したわけではない。
だが80歳となっても音楽を忘れずに、我が身を音に浸すロリンズの動く姿が
何かを僕たちに伝えてくれたのは間違いがないからだ。
数音とはいえぐっと伸びてくるような耳を刺激する音もあった。

辛口といえば辛口なのだろう。
だが、やはりロリンズを「見る」のと「聴く」のとでは違うと僕は思う。
おそらくこれが最後の日本公演になるだろう。
確かに僕はソニー・ロリンズを「見た」。
でも永遠にソニー・ロリンズを「聴く」ことは叶わないことだろう。
それが分かってしまうというのも寂しいことである。

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