寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

『原爆ゆるすまじ』 と 『生かされている命』

2009年10月07日 17時55分48秒 | 15年戦争
『原爆ゆるすまじ』には14篇の被爆手記が収録してある。
・あれから二十年/大江恵美
・弟の日記/四国五郎
・空中に被爆して/一被爆者
・太陽のない朝/はやみちかこ
・差別の壁をこえて/金崎是
・父母を失って/大倉和子
・たたかいの二十年/福田須磨子
・七歳の証言/山中みち子
・死中に生を得て~広島長崎での二重被爆記/山口彊●
・原爆とその後/~短歌と日記/山下寛治
・過去の広島商人として/温品道義
・医師として/杉原芳夫
・まともな目/志永禎吉
・たたかいの中で/吉岡幸雄

[死中に生を得て]の手記を寄せた山口彊(つとむ)さんは戦時中、三菱長崎造船所に勤務、命ぜられた出張先の広島造船所に滞在中、明日は長崎に戻るという日の朝被爆。その三日後には半身包帯に身を包み、命からがら戻った長崎の職場で再度被爆した。山口さんは終戦も知らず防空壕の中で昏々と眠り続けたという。その後、人員削減で造船所を解雇されたが独学で学んだ英語が身を扶け、米軍労務省、長崎港外高島炭鉱の中学校教諭などを経て1955年、三菱長崎造船所へ復職した。


◎原爆ゆるすまじ/広島県被爆者の手記編集委員会編
新日本新書9/1982年9刷(初版1965年)

被爆したとき生まれた捷利さんを平成17年、ガンで60歳の若さで亡くす。永年連れ添った妻は「あなたはどなたですか。何の御用ですか」と認知症になり昨年亡くした。平成18年、90歳を越えて出演したドキュメンタリー映画『二重被爆』を携えニューヨークに渡り国連本部で上映、反核スピーチをして『Aii for one,one for all(みながひとりのために、ひとりがみなのために)』と訴えた。平成11年8月、第37回原爆忌文芸大会で長崎県知事賞を受賞。著作には短歌歌集『人間筏(いかだ)』/あすなろ社がある。


◎生かされている命/山口彊(つとむ)/講談社2007年7月25日初版

山口さんのような「二重被爆者」は全国に165人程度いるというがその消息は定かではない。山口さんは最後にこう結んでいる「・・・一見、正しそうにみえる言葉に、どうか心を乱されないでほしい。良心に照らし、かき消されがちでも、確かに聞こえる心の声に耳を傾けてほしいと思う。そのことが人の世を信じられる原動力になると思う。」

山口彊さんのウィキペディア検索
生かされている命 - 広島・長崎 「二重被爆者」、90歳からの証言
山口 彊
講談社

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