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寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

台風15号の被害~竜巻発生?

2011年09月22日 17時24分32秒 | オンライン古書店
異常気象の影響か、先日の台風12号にせよ今回の15号にせよ、明らかに例年の台風とは違う動き方で大きな勢力のまま上陸、列島大地に深く災害の爪痕を残した。作日の台風15号ではウチの隣地を竜巻が通過した模様ー。午後二時以降、台風の遠州(浜松)上陸をラジオが伝えた頃より雨風がにわかに強くなる。正確な時間は分からないが、横殴りの暴風になってから、さすがに普段閉めたことのない2階の雨戸を閉めようとして隣地の倒木に気がついた。


21日17時40分の画像、既に隣地の花桃は根こそぎ倒れ、クヌギも上部が捻じれるように折れていた。暴風雨が全方位から横殴りに吹き荒れている。


今朝6時54分、明けて台風一過の惨状。



我家では被害を逃れたが、瓦が飛んだりめくれたりした家が4軒あった。南西100mほど離れた児童公園(平地)あたりで竜巻が発生したと思われる。そこから北東方面に一直線上200mほどの間で物的被害が出ている。先ず公園のフェンスを薙ぎ倒し、Rちゃんちのイチョウの大枝を数本折った。その折れた枝が全て一箇所(道路を隔てたNさん宅の駐車場=南隣)に飛ばされた。そのNさん宅の二階の瓦が10枚前後めくれ、その1枚は50mほど先のクヌギの折れた枝のまだ先に落ちていた。そして画像の(東隣雑種地)樹木2本被害とその先のHちゃんち2階の瓦も数枚めくれていた。昨日のニュースでは、静岡県内に竜巻注意報が出ていたので人的被害こそ無かったがたぶん、これが「竜巻」なるものの仕業ではないかと大いに肝を冷やした。

《補足》

●21日16時50分より22日3時59分まで約12時間に亘り停電した。
FNNニュースでは静岡県東部で6万4500軒が停電したと伝えたが、同じ行政区域(町内)でも停電の時間はまちまちで、1~3時間程度の場所もあり、送電経路の違いによりバラツキが見られた。



●よくわかる気象・天気図の読み方・楽しみ方/成美堂出版2004年

気象・天気図の読み方・楽しみ方
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成美堂出版

また読みたい一冊~日本郵船戦時船史

2011年09月11日 11時04分01秒 | オンライン古書店
太平洋戦争中、日本海運業界は絶望に近い大打撃を蒙ったが、
その戦時海難による徴用船舶の被害状況は一般にはあまり知られてはいない。開戦当時、英国米国についで世界第三位の船舶を保有していた日本も、ミッドウェー海戦以降、物量に勝る連合国軍の反転攻勢の前に為す術もなく戦局は悪化の一途を辿った。特に丸腰の民間輸送船は、敵艦載機と潜水艦の恰好の餌食となり、終戦までに実に2,300余隻、800万総トンに及ぶ船舶が海の藻屑と消えた。そして戦時徴用船の民間乗組員の死亡率は陸海軍軍人のそれをはるかに上回っている。

日本郵船株式会社は、戦後20年を経て、この戦時海難による多数の社船喪失の事実と、乗組員の御霊を後世へ語り継ぐべく社内に編纂委員会を立ち上げた。そして満5年の歳月を経た昭和46年5月1日、それはついに『日本郵船戦時船史』として上梓された。本書には日本郵船船籍237隻、三菱汽船48隻の他、日本郵船所属の小蒸気船(こじょうきせん)、機帆船及びその戦死者まで、気の遠くなるような詳細調査の結果、その内容は全282編、上下巻2冊、実に総頁数1913ページに及んでいる。

船舶不足を補うべく徴用された機帆船(きはんせん)についての記述が少ないのは、恐らく敵遭遇直後に船もろとも海に沈み生存者が無かったことに因るのではないか。水面に木の葉のように浮かぶ小さな機帆船の多くは、主に内地沿岸や中国大陸沿岸の局地輸送に従事していたが、戦局の悪化に伴い遠く南方方面への進出を余儀なくされた。昭和19年以降、大型船舶の大量喪失による国内燃料の極度の不足を補う為、これら機帆船もはるか南方海域から燃料を運ぶという過酷な任務を負わされた。もとより積載量少なく足は遅い、、その成果については何ら期待される筈もなかったが、一部軍部の考えの中には、機帆船なら吃水線が浅いから魚雷は船底をすり抜け、小型ゆえに敵機からも見つかりにくい。たとえ発見されても正面切って攻撃してくる事もあるまい・・・等々、判断の甘さもあり、無謀な任務に多くの船は悲惨な最後を遂げた。

「戦争に参加した機帆船船員の死傷者は8300人と発表されているが実は1万人を越えていると推測されている。(中略) 彼らの多くは空中から討ちまくられる銃弾の不気味な音を船底に身を伏せながら聞いた。まことに弱い運命のもとにおかれた彼らは進んで戦う何ものをも与えられておらず、ただ小さな船の中で死の来るのを待っているばかりであった。銃を取って敵と戦いながら死ぬのは易いが、敵に会っても、そのなすがままに死なねばならない事は、軍人以上の精神力を必要とした」(下巻p574/伊藤定治手記より)

本書は、戦時徴用船(戦時輸送船)の有りのままの姿を通して戦争の如何に悲惨かを後世に語りつぐべく祈りの書である。世の中に実は良書とはこういう書籍ことを言うのだとつくづく思う。店頭販売が目的ではなく、社員の遺族に、社内永年勤続者に、関係取引先各位に、広く学校図書として幾方面に一冊また一冊と丁寧に配布されたのである。

昨夜有り難くも注文が入り今日荷造りをしながら頁をめくってみた・・・いつの日か、また入手したい一冊として記憶に留める。


[日本郵船戦時戦史]上製本丸背ホローバック、クロス張り表紙、背タイトル金文字、上巻1000頁、下巻913頁/重量2,6kg函入り/非売品(関係各位配布)/昭和46年5月1日発行

●ブログ内関連記事
『海なお深く~太平洋戦争 船員の体験手記』、の記事(07/10/22)
『太平洋戦争沈没艦船遺体調査大鑑』池田貞枝著、の記事(08/1/18)

日本商船隊戦時遭難史
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成山堂書店


《追記》9/2
同じ「戦時輸送船」でもこうなると趣向がガラリと変わる。
若い世代にはこんな本が静かなブームだという。


●[戦時輸送船ビジュアルガイド]岩重多四郎/大日本絵画2009年
●[戦時輸送船ビジュアルガイド2]〃2011年

戦時輸送船ビジュアルガイド
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大日本絵画

戦時輸送船ビジュアルガイド〈2〉日の丸戦隊ギャラリー
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大日本絵画


◎追記(2012/11/8)
『日本郵船戦時船史』の「ご挨拶状」入手した。

謹啓 時下ますますご清祥のこととおよろこび申し上げます。
当社におきましてはかねてより、太平洋戦争中の社船と乗組員の事績を精査し、
その記録書の編纂を進めて参りましたが、各方面のご協力を得まして
このたび発刊の運びとなりました。
本書は単なる各船の行動記録ではなく、忍苦の時代をともに過ごした人たちの
魂の記録でもあり、哀しくも散華された多くのかたがたに捧げる鎮魂歌でもあります。
ご遺族の皆さまには夫、父、子のそれぞれのご活躍を伝え、また、幸いに戦火の中を
生き抜いて来られたかたがたには当時をしのんでいただきたいと存じ、
ここに本書を贈呈申し上げる次第であります。
終りにこの編纂によせられましたかずかずのご助力に対し、
厚く御礼を申し上げます。 敬具

昭和四十六年秋
日本郵船株式会社

大平、日守境の狩野川水門撤去のこと。

2011年09月11日 09時57分26秒 | オンライン古書店
◎前稿の追記で書き始めましたが、あらためて新規投稿としました。

地元(三島沼津周辺)の人は国道136号線の抜け道として誰でもご存知であろう。
沼津市大平(おおひら)地区と田方郡函南町日守(ひもり)地区との行政境にあった水門が昨秋撤去され、県道の幅が大いに拡張、ドライバーはこの場所で「交互通行」のストレスから解放された。今日を生きる私たちには水門撤去は交通事情からみて当たり前のこととして片付けられるが、それは豪雨災害時の狩野川放水路絶対という過信の裏返しであり、先人たちの生活苦心の産物である『水門』の撤去という事態にどうも単純には心が晴れない。(以下画像はいずれも昨年10~11月撮影)


日守側から大平方面を見る。そもそもは大平山から伸びた尾根の末端を開削した県道139号(原木沼津線)に水門を取り付けたもの。今回の改修工事では、画像右側の尾根が大きく切り払われている。なおこの尾根の終端は狩野川堤防に接している。


この県道は国道136号線の抜け道として行楽シーズンには首都圏ナンバーもさかんに通行しているが、水門の手前では必ずどちらかが一時停止して道を譲らなければならなかった。右側の赤枠が撤去された水門の位置。


大平から日守方面を見る。左側が大きく開削されている。
●この水門は昭和8年に築かれてオカズイモン(陸甲)と言う。コンクリート製の水門の溝に24本の角材を上から二重にはめ込み、その間に土俵200俵余を詰めて堤防決壊の洪水を堰き止めた。前稿の狩野川台風時には対岸の函南町塚本地区の堤防が先に決壊した為、水位が下がり奇跡的に大平・日守地区は水害を免れている。昭和40年の放水路完成以降近年ではこの水門も閉められることはなかったと聞いている。


《ブログ内関連記事》
前稿(9/8)台風災害から、狩野川台風誌と狩野川放水路工事誌

《追記》9/23
◎22日伊豆日日新聞より台風15号記事

●修善寺橋~氾濫注意水位(警戒水位)を超えて増水する狩野川(21日16時)


●沼津市口野の狩野川放水路出口(21日16時10分)

伊豆日日新聞22日によると、22日午後3時現在、三島・田方地区の降り始めからの雨量は伊豆市大字筏場(いかだば)入天城で384mm、同湯ヶ島で290mmに達しており、狩野川は昭和33年の狩野川台風以来、過去最大の増水となり、今年初めて狩野川放水路のゲートを開放した。もしも先の台風12号が紀伊半島に降らせたような想像を絶する2400mmの雨量が狩野川水系に降ったならば、狩野川放水路絶対神話はたちまち崩壊するだろう。

《追記2012/9/26》


●日守水門撤去後の拡張道路を走ってみた。
随分とヌケが良くなり交通渋滞の緩和にもなったが、近年見られるようなゲリラ的集中豪雨で川が氾濫すれば、もう防ぎようがない。

台風災害から、狩野川台風誌と、狩野川放水路工事誌

2011年09月08日 17時20分08秒 | オンライン古書店
たまたま、図書館から借りてきた『狩野川台風誌』という台風災害の記録を読んでいたとき、今回台風12号が紀伊半島に甚大な被害をもたらした。当初この台風の進路は中部地方上陸と見られていたが、張り出した太平洋高気圧に北上を阻まれ、コースを北西に変更しながら四国~中国地方を縦断して4日未明、山陰沖の日本海に抜けた。紀伊半島では本州南の海上から湿った空気が台風に取り込まれ、観測史上最大という記録的な豪雨により平成年度以降、死者54人行方不明55人(8日現在/朝日朝刊)という最悪の被害を出した。台風は偏西風にも拾われず、平常であれば一夜で本州を通り過ぎるはずだが、自転車並みの速度で大型の勢力を維持しながら長時間に亘り各地に大雨を降らせた。いろいろな偶然が重なり、紀伊半島では甚大な被害を蒙ったが、もしこれが伊豆半島であればと考えると、とても他人事では要られない。

昭和33年9月26日夜半、伊豆半島に上陸した台風22号は狩野川上流天城山系北側に集中豪雨をもたらし、狩野川は大いに氾濫して全壊家屋822戸、死者行方不明者930名という大惨事に至った。現在では、昭和40年7月に竣工した狩野川放水路(旧伊豆長岡町から沼津市江の浦湾まで開削/S26着工)により、台風豪雨による流域住民への不安はその都度回避しているが全ては想定内の範疇である。昨今に見るようなゲリラ豪雨からしても日本の季候そのものが亜熱帯化しつつある状況では、従来踏襲型の防災意識のままでいると今後も「想定外」の天災は避けられないのでないか。


●狩野川台風誌/田方郡教育研究会編/S45年非売品
画像左側が図書から借りたオールコピー複製版で、右側がその原本でマイ蔵書。
図書館では複製本3冊が貸出用書架に並んでいた。


●狩野川放水路工事誌/建設省沼津工事事務所/S42年非売品
15年の歳月を経て全長2,980mの放水路は完成した。
工事に携わった全ての人と沿川住民の悲願が1925頁という分厚い一冊に纏められている。

狩野川放水路工事誌 (1967年)
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中部地方建設局沼津工事事務所



《狩野川放水路を紹介しているサイト》
日本の川と災害
※日本の川→中部の一級水系・狩野川→狩野川放水路で画像が見られます。





《追記》9/9
こんな本も出てきた。


●狩野川台風 子どもたちの記録/田方郡教育研究会・静岡県出版文化会共編/S34年

《追記2》9/9
勇舞サトちゃんとのコメントから~旧修善寺町熊坂の河原で遺体を荼毘に付している。
●修善寺1962/町勢要覧86頁より転写


《追記3》9/11
2009年の画像ファイルに狩野川放水路の写真を見つけた。









《ブログ内関連記事》
大平、日守境の狩野川水門撤去のこと。~次稿記事(9/11)
値の付けられない本たち~狩野川台風の記録、の記事(09/9/26)
台風9号伊豆半島直撃、の記事(07/9/6)

本を借りよう。三島市立図書館は平日午後7時まで。

2011年08月29日 07時49分46秒 | オンライン古書店
たのしい夏休みもたちまち過ぎて今日でお終い。
宿題がまだ片付いていない兄ちゃんと、日記の更新をサボり続けた父さんは共に大いに反省ーーお互い、暑い夏に成長は出来たのだろうか・・・
8月○×日。
宿題の捗らないお兄ちゃんを誘って、最近マイブームの図書館まで自転車を走らせた。社会人になってからついぞ図書館なんて利用したこともなかったが、公共の施設は使わなきゃ損だよ!ちょいと思考回路を変えてみた。ちょっとした調べ物は、わざわざ1冊購入するより借りたほうがお得。幸いなことに隣り街の図書館まで自転車で15分で行ける、昼食後の軽い運動がてらにと、この頃ちょくちょく通って居る。


●三島市立図書館/平日9時30分~19時、土日17時まで/毎週月曜定休
市内在住・在勤・在学、また近隣市町村在住者が利用できる。
貸出は一人につき図書10冊、雑誌3冊、視聴覚資料(DVD/CD)3点迄、15日間OK。
8月中はさすがに夏休みのこどもたちが多い。図書館で勉強?したあと隣地の白滝公園で水遊びもできる。

三島市立図書館
カーリル 日本最大の図書館蔵書サイト

以下余談/図書館への道すがら~


●白滝公園~桜川(水上通り)


●源兵衛川


●蓮沼川(宮さんの川)
三島駅南口の街中には至る処で富士山の伏流水が自噴している。市内には五つの清流があり、暑い夏には涼を求めて市民の憩いの場としいて賑わう。


放射能と生きる~武田邦彦さんの本、幻冬舎新書から。

2011年07月06日 10時52分08秒 | オンライン古書店
東日本大震災では東京電力福島第一原発が未曾有の大事故を起こし、福島の大地は取り返しがつかないほど放射線で汚れた。放射性セシウムは半減期が30年というから予断は許さず、身体と生活環境への除洗は今後も継続しなければならない。中部大学教授の武田邦彦さんは震災直後から、福島で今起きていることの深刻さを誰にでも解る平易な言葉で自身のブログに日々書き連ねた。震災直後、3月11日から5月5日までのブログ日誌が一冊の本になった。インターネットを見る環境を持たない人は是非新刊書店で。


【放射能と生きる/武田邦彦/幻冬舎新書/2011年6月30日第1刷】
こどもたちには楽しい成長の夏休みだが、これではもう台無し。
武田さんの言葉を借りるならば、ゴミを撒き散らした人は、そのゴミを拾って家に持ち帰るのが世間の常識。であるならば、放射線という厄介なゴミは東電が回収して福島原発に戻すのが当たり前と言うしかない。


武田邦彦さんのブログ

放射能と生きる (幻冬舎新書)
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幻冬舎

新年度を迎えた朝に~平成23年4月6日

2011年04月10日 12時18分51秒 | オンライン古書店
何の変哲もないように新しい年度を迎え、こどもたちも学年がひとつ上がる。
被災地でもあの日、こんなふうに普通の朝から一日が始まっていたのだ。

結局、春休みには何処にも行かず、
せめて家族で供出してささやかな募金に出掛けて来た。
寅の子文庫も子等に合わせて今日から新しい年度とした。


●今年のトラノコザクラは、例年より一週間遅い開花となった(4/6)

《追記》4/15

●昨日(4/14)トラノコザクラ満開となる。
こどもたちは季節外れのインフルエンザ(B型)で相次いでダウン。
新しいクラスになった途端、其々一週間登校禁止となった。

大震災、そして計画停電以後の暮らし。

2011年03月29日 16時02分24秒 | オンライン古書店
14日以降、開始した計画停電も鉄道各社の間引き運転や一般企業他の節電の恩恵か(何処のスーパーに行っても照明を半減し節電に協力している)、まだ2回しか停電は実施されていない。また26日以降では、1~5グループ内の対象地域が其々、A~Eの5区域に細分化された。

いざ、夜間の停電を体験すると、日頃無意識なまでに電化生活に依存していることが分かる。我家でも小さなロウソクを何本か灯し、家族全員がダイニングテーブルを囲んで一時の間、戯れる。昔の人の暮らしはみんなこんなものだったんだろう。夜の暗さに物の怪の気配を感じ取り、自然界を畏怖し謙虚にもなる。津波災害の惨状を思えば節電ぐらいなんでもない。

週末、東京電力から3月分の電気使用量を知らせるハガキが届いた。なんだろう?と見れば、震災の影響で通常の検針が出来なかったので、2月分の電気使用量と同額を3月分として引き落とすという。すぐにカスタマーセンターへ問い合わせると、4月分検針時に過払い分は清算するという。ならば何故、その文言を書かないのかと文句を言う。我家でも震災以来、極力節電をに心掛けている。無神経な対応と言わざるを得ない。


●図版転載/Asahi.com 3月26日付
震災以来、電波時計が標準電波をうまく受信できなくなった。朝日新聞の3月26日朝刊にその記事が出ていたが、東京電力福島第一原発から17kmに位置する「おおたかどや山標準電波送信所」が原発20km圏内避難指示の為、職員退避による電波送信停止の影響で、再開の見通しは未定という。標準電波送信所は福島の他に佐賀県の「はがね山標準電波送信所」が稼動しているが、電波が届く目安は1000km内外なので関東圏では場所により受信補正ができない場合もある。


●今日、昨日と標準電波を受信できていないカシオプロトレック。

予断を許さぬ原発事故と原子力発電の未来。
ウチの子供たちは、今夜も停電がいいと騒ぐ。
現代人の暮らしはなんと脆いのだろう。

《追記》4/10
・電波時計の受信は3月27日を最後に受信できないままだ。
佐賀市「はがね山送信所」の1000km圏内に位置しても自動受信はもとより、手動受信に切り替えても受信できない。

《追記》4/14
・14日午前0時03分、佐賀市の「はがね山」の標準電波をようやく受信できた。「おおたかどや山標準電波送信所」は依然として休止中。
日本標準時プロジェクト(JJY)のページ
《追記》7/9
・JJYホームページによると6月再開、詳しくはシチズンTIC株式会社のページでは、5月13日17時32分より暫定的に送信再開とあった。プロトレックもその恩恵で毎日受信成功している。


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東日本大震災に伴うご注文商品の、発送停止について。

2011年03月16日 19時54分44秒 | オンライン古書店
古本寅の子文庫でございます。
東日本大震災に伴う交通事情悪化の為、
現在、東北6県、及び北海道、茨城県宛に商品発送ができません。
配送業者の荷物引受停止が解除され次第、発送致しますので
ご不便をおかけ致しますが、御了承頂きますよう御願い申し上げます。

《追記》3/20
作日、被災地の中で、北海道宛のゆうメール・ゆうパックが引き受け停止解除となり、時間外窓口より発送致しました。通常2日で到着しますが、1週間以上の遅れが見込まれるようです。つきましては、ゆうびんWEBサイトの荷物追跡のページから配送状況をご確認kくださいますよう御願い致します。

東京電力の計画停電の為、メール対応等遅れます。

2011年03月14日 21時26分57秒 | オンライン古書店
古本寅の子文庫でございます。
毎度ご贔屓に預かり厚く御礼申し上げます。

東日本大震災に伴う電力不足の為、東京電力の計画停電が本日より実施されました。明日は、午前6時20分~10時までと、午後6時20分から10時までの間、電気が止まりますので、メール等対応が一切できません。また今後、当分の間、輪番で停電が続くようでもあります。ご不便をおかけ致しますのが、宜しく御願い申し上げます。

《追記1》3/15
今朝の計画停電は直前回避。
昨日から停電の情報が錯綜して、我が家でもその準備で慌しい。日中、買出しに出かけるとまるで大晦日か正月のような人出で大混雑。昨夜も今朝も準備万端にして停電は直前回避。子供たちは今日から弁当持参なのでお母さんもいつもより早起きして大忙し。せめて停電回避を素
直な気持ちで受け取り諒としたい。被災地に対し一日も早い復興をと祈る。

《追記2》3/16
昨夜、22時31分、ここでも(静岡県東部地域)に震度6強の激震があった。既に就寝していたがあまりの揺れかたに飛び起きた。テレビをつけると、ここ(清水町)は震度4だったが、体感震度としては大いにそれを越えていたと思う。本棚の本が何冊も床に落ちていた。東京電力の計画停電だが、同じ清水町内でも第2グループと第3グループに分かれているので対処に戸惑うが、グーグルマップ上に計画停電の1~5グループがひと目で分かる便利な地図があったので以下にリンクした。
計画停電のグーグルマップ

ミニハンドシュレッダーとっても便利、オーム電気から。

2011年03月10日 17時58分13秒 | オンライン古書店
この『ミニハンドシュレッダー』気に入っている。
電気を使わないのに、オーム電気ってのが楽しい。
机の上に置いてもちゃんとサマになっている。


●ミニハンドシュレッダー/SHR-HS101-WH


片手で持って右側のハンドルをクルクル回すだけ。
裁断口は114mm(A6判)だが紙を半分に折ればB5やA4まで裁断できる。
書き損じた納品書や宛名紙の処理にもちょうど良い。
携帯してもゼンゼン嵩張らないし、サッと出してパッと使える。
見られたくないレシートもクルクル回してポイ。
色はグレー(白)のほかに、ピンク、ブルー、グリーンの4色。
●ミニハンドシュレッダー/オーム電気
大きさ:205×50×25mm
重さ:180g
動力:手動(右手?)
挿入口幅:114mm
細断能力:官製ハガキ1枚/A6幅コピー用紙2枚
細断形状:ストレートカット/幅約3,5mm
OHM ミニハンドシュレッダー ホワイト SHR-HS101-WH
クリエーター情報なし
オーム電機


別冊宝島の速読本を読んで。

2011年03月08日 10時30分56秒 | オンライン古書店

別冊宝島No1731号の『速読で脳と仕事が変わる!』が面白い。


速読にもいろいろなパターン(方法)があるという。
今回の別冊宝島では、5種類の速読法について分かりやすく解説してある。
(1)斉藤英治の世界一わかりやすい速読
(2)呉真由美式スポーツ速読法
(3)フォトリーディング
(4)SRS速読法
(5)フォーカス・リーディング
苫米地英人・神田正典、両氏のコラムも大変興味深い。


本棚を探したらこれまでに挫折した速読本が出てきた。
思うに『速読』は、訓練次第である程度上達できる。重要なことは、他人に見せるパフォーマンスであってはならないということだ。昔、テレビで韓国の子どもたちの速読の映像を見て思わず苦笑したことがあったが、ユリゲラーのスプーン曲げ~所謂、超能力ではないということをよく理解することだ。他人が1分間に2500文字読めたからって、それを競って何になる。必要に迫られたから、その結果として速読が身についたということが大事であって、仕事上或いは生活の中で役に立ってみて初めて『速読』本来の意味と価値があるのではないか。確かに現代を生き抜くビジネスマン諸氏に速読は必須なのかもしれない。しかし、好きな井上靖や芹沢光治良を1分で読み終えてしまうなら、何とも味気ないではないか。

超ビジネス脳の作り方 速読で脳と仕事が変わる! (別冊宝島) (別冊宝島 1731 スタディー)
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宝島社


●脳科学者、苫米地英人氏の著作群から最新の読みたい2冊を紹介。
ほんとうに頭がよくなる「速読脳」のつくり方 (PHP文庫)
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PHP研究所

洗脳を解けば、人生はすべてうまくいく
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日本文芸社

小学館の学習図鑑に癒されて。

2011年02月15日 09時35分58秒 | オンライン古書店
何かのきっかけで、ふと遠い昔の記憶が甦る。
小学館の学習図鑑を開いたら、幼なじみの顔が浮かび、休み時間の教室の喧騒が耳の奥に響き、給食の美味しい匂いがした。思い出は決して忘れ去られたのではなく、大脳皮質に深く蓄積され、またいつの日か意識の表面に浮かんでくるのを静かに待っている。DSもPSPも無い時代、O-157も知らず、皆お腹に回虫を持っていた頃の逞しさ、あの日の真っ直ぐだった気持ちを今また呼び起こさなくてはー。



◎小学館の学習図鑑シリーズ全28巻より
●理科実験の図鑑 初版/昭和34年10月1日
●音楽の図鑑 初版/昭和39年7月15日
●気象天文の図鑑 初版/昭和31年6月1日

昆虫の図鑑―Wide color (小学館の学習百科図鑑 (2))
中山 周平
小学館

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買い取りした第二次世界大戦ブックス(サンケイ出版)を読んで。

2011年01月27日 15時27分18秒 | オンライン古書店
幼い日の体験は甦るというか、一度封印した筈の戦争本を今、パワー全開で読み漁っている。先日買い取りした本の中に、遠い昔に読んだサンケイ新聞社出版局の『第二次世界大戦ブックス』が「ひと山」ほどもあった。兎角『戦争モノ』は人物宣揚や英雄美談にハマリ易い。1冊読むにもその周囲を更に何冊も読んで批判と肯定を繰り返す中から「思い込み」を排除して、はじめて健全なる自前の意見を持つに至るが、果たしてそれが正しいかどうかは、また他者の判断に委ねることになる。


このシリーズは元々、米国バランタイン社が刊行した『写真・図解・地図入り/第二次世界大戦史』をサンケイ新聞社が独占日本語版化したもの。画像右側=『ミッドウェー/No9,Midway』や『ガダルカナル/No28,Guadalcanal』にせよ、日本贔屓でないのが良い。買い取りしたナンバーの最後は67番『伊号潜水艦』だったが、発行所名称が途中から「サンケイ出版」に変更している。


●No32『壮烈!ドイツ艦隊~戦艦ビスマルクの出撃』初版S47年
この本を中学生のとき読んだ記憶がある。当時世界最強を誇った戦艦ビスマルクの戦いよりも、ベルサイユ条約下の厳しい建造制限の中で「速い敵よりも強く、強い敵よりも速い」というコンセプトで造られたポケット戦艦の記事をよく覚えている。英巡洋艦部隊との戦闘の末、中立国であった南米ウルグアイのモンテビデオ港に逃れ、後に自沈したポケット戦艦グラフシュペー号艦長ハンス・ラングスドルフ大佐は艦の後を追って自決したが、戦没した乗組員の葬儀で周囲の者総てがナチ式敬礼をする中にあって唯一人、正規の海軍式敬礼をしている姿に胸を衝かれた。


●第二次世界大戦全史(HISTORY OF THE SECOND WORLD WAR)
1966年/ツル・インターナショナル社刊/全50冊
ポケット戦艦グラーフ・シュペー号の生涯を読むにはこのワイド版冊子がより詳しい。かって都内千代田区富士見に在ったツル・インターナショナル社は、チャーリーブラウンやスヌーピーでお馴染み「ピーナッツブックス」の和訳版権を握っていたツル・コミックス社と同一会社である。

●ポケット戦艦グラフ・シュペー号の通商破壊の航跡を2冊からまとめてみた。
1939年(昭和14年)
8月23日ビルヘルムスハーフェン出航
9月30日クレメント号撃沈
10月5日ニュートンビーチ号拿捕
〃7日ニュートンビーチ号撃沈
〃7日アシュレア号撃沈
〃10日英大型商船ハンツマン号拿捕
〃14日給油艦アルトマルクより洋上給油
〃17日ハンツマン号撃沈
〃22日トレバニオン号撃沈
11月15日アフリカシェル号撃沈
〃15日 日本船千振丸接触/航海継続許可
12月2日ドリックスター号撃沈
〃3日タイロア号撃沈
〃7日ステレオンシャー号撃沈
〃13日ラプラタ河沖海戦/英重巡エクセター/軽巡アジャックス、アキリーズ
〃13日グラフシュペー号モンテビデオ入港/被弾17発/戦死37、負傷57名
〃15日同艦戦死者葬儀埋葬
〃17日グラフシュペー号同港沖3海里にて自沈/乗組員はアルゼンチンへ抑留
〃20日艦長ハンス・ラングスドルフ大佐、ブエノスアイレスでピストル自決
ラングスドルフはこの通商破壊戦で9隻約5万トンの連合国商船を拿捕撃沈したが船員を一人も殺さなかったことは特筆に値する。

有楽町西武百貨店閉店とフリーペーパーの、阪急沿線

2010年12月26日 21時52分48秒 | オンライン古書店
放置状態のgooブログもたまに開けば、使い方が刷新していて戸惑う。
日記も書かないことに慣れてしまうと、世の中へ向けているアンテナの感度も落ちて問題提起の意識も薄らいでしまう。気がついてみればクリスマスも終わり、新年まで秒読み段階に入った。昨日、こどもたちは楽しいプレゼントとケーキで、冬休みも寒さとともにいよいよ本番。


昨日のニュースでは、有楽町西武百貨店が26年の歴史に幕を閉じたと報じていた。押入れから昔のセールスダイアリーを引っ張り出してみると、有楽町マリオンがオープンしたのは1984年(昭和59年)10月6日土曜日とある。この日は、阪急グループの一員として腕章をつけ、開店セレモリーに立ち会った記憶がある。寅の子文庫の「宝塚歌劇」の本棚からそれらしいニュースを探すと、[歌劇1985年1月号]の「宝塚歌劇団日誌」に有楽町阪急(西武)新装開店セレモニーに、羽衣蘭ほか星組9名の生徒さんが花束贈呈をしたという記事を見つけた。私も、そして生徒さんたちも確かにあの頃、時代の真ん中を堂々と生きていたのだ・・・向こう見ずで青二才だった若い日が妙に懐かしい・・・それにしても、マリオン正面のカラクリ時計はいつも結構な人だかりだったが、時報を刻むお人形たちは今も楽しく繰り出しているのだろうか。


「阪急沿線」は4頁仕立てのフリーペーパー。
阪急電鉄が毎月1回発行して沿線各駅に置いてある。今も配布しているかどうか分からないが、そのペラペラのタウン情報誌が50号毎に1冊の本となって阪急グループ各社で販売されていた。画像右「No1~50/1975年11月~79年12月」、左「No101~150/1984年3月~88年4月」。表紙がミソで、阪急独特の車両色=「阪急マルーン」でこだわりを見せている。紙屑同然?のフリペーパーでも分厚い本ともなれば、鉄道沿線の変遷や当時の市民生活が分かり楽しい読み物になる。古本市場でも滅多にお目にかかることはないが、出れば出たで法外な値段に目を見張る。

だいぶ回り道になったが、他愛ないブログ日記も積み重ねていけば将来、こどもたちが読んで何かの糧になるかもしれない。些細なことでも生活メモとして、またコツコツと刻んでいこう。