たまたま、図書館から借りてきた『狩野川台風誌』という台風災害の記録を読んでいたとき、今回台風12号が紀伊半島に甚大な被害をもたらした。当初この台風の進路は中部地方上陸と見られていたが、張り出した太平洋高気圧に北上を阻まれ、コースを北西に変更しながら四国~中国地方を縦断して4日未明、山陰沖の日本海に抜けた。紀伊半島では本州南の海上から湿った空気が台風に取り込まれ、観測史上最大という記録的な豪雨により平成年度以降、死者54人行方不明55人(8日現在/朝日朝刊)という最悪の被害を出した。台風は偏西風にも拾われず、平常であれば一夜で本州を通り過ぎるはずだが、自転車並みの速度で大型の勢力を維持しながら長時間に亘り各地に大雨を降らせた。いろいろな偶然が重なり、紀伊半島では甚大な被害を蒙ったが、もしこれが伊豆半島であればと考えると、とても他人事では要られない。
昭和33年9月26日夜半、伊豆半島に上陸した台風22号は狩野川上流天城山系北側に集中豪雨をもたらし、狩野川は大いに氾濫して全壊家屋822戸、死者行方不明者930名という大惨事に至った。現在では、昭和40年7月に竣工した狩野川放水路(旧伊豆長岡町から沼津市江の浦湾まで開削/S26着工)により、台風豪雨による流域住民への不安はその都度回避しているが全ては想定内の範疇である。昨今に見るようなゲリラ豪雨からしても日本の季候そのものが亜熱帯化しつつある状況では、従来踏襲型の防災意識のままでいると今後も「想定外」の天災は避けられないのでないか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b2/7de0a142d3012aa66fd340922a8aed35.jpg)
●狩野川台風誌/田方郡教育研究会編/S45年非売品
画像左側が図書から借りたオールコピー複製版で、右側がその原本でマイ蔵書。
図書館では複製本3冊が貸出用書架に並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/b9/f0ee25b479e019bc89611fa19f80102c.jpg)
●狩野川放水路工事誌/建設省沼津工事事務所/S42年非売品
15年の歳月を経て全長2,980mの放水路は完成した。
工事に携わった全ての人と沿川住民の悲願が1925頁という分厚い一冊に纏められている。
《狩野川放水路を紹介しているサイト》
日本の川と災害
※日本の川→中部の一級水系・狩野川→狩野川放水路で画像が見られます。
《追記》9/9
こんな本も出てきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/40/920ad1dfa6b8719a4e86135de6b4e7f9.jpg)
●狩野川台風 子どもたちの記録/田方郡教育研究会・静岡県出版文化会共編/S34年
《追記2》9/9
勇舞サトちゃんとのコメントから~旧修善寺町熊坂の河原で遺体を荼毘に付している。
●修善寺1962/町勢要覧86頁より転写
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/00/b0d5f359b3cc05b918c160e96ee787b5.jpg)
《追記3》9/11
2009年の画像ファイルに狩野川放水路の写真を見つけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/01/23d185226e546bf09150d52dcc39dff0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e9/3f7cb298eb5ef0c17537fa3c0a044f81.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/98/cc395f82e356ca4b9f122b7ef1dad581.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/21/c48db2aac2a04b8271b647e8225e684e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/7b/99c601b1bab3b1acbb037f0078a22031.jpg)
《ブログ内関連記事》
大平、日守境の狩野川水門撤去のこと。~次稿記事(9/11)
値の付けられない本たち~狩野川台風の記録、の記事(09/9/26)
台風9号伊豆半島直撃、の記事(07/9/6)
昭和33年9月26日夜半、伊豆半島に上陸した台風22号は狩野川上流天城山系北側に集中豪雨をもたらし、狩野川は大いに氾濫して全壊家屋822戸、死者行方不明者930名という大惨事に至った。現在では、昭和40年7月に竣工した狩野川放水路(旧伊豆長岡町から沼津市江の浦湾まで開削/S26着工)により、台風豪雨による流域住民への不安はその都度回避しているが全ては想定内の範疇である。昨今に見るようなゲリラ豪雨からしても日本の季候そのものが亜熱帯化しつつある状況では、従来踏襲型の防災意識のままでいると今後も「想定外」の天災は避けられないのでないか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/b2/7de0a142d3012aa66fd340922a8aed35.jpg)
●狩野川台風誌/田方郡教育研究会編/S45年非売品
画像左側が図書から借りたオールコピー複製版で、右側がその原本でマイ蔵書。
図書館では複製本3冊が貸出用書架に並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/b9/f0ee25b479e019bc89611fa19f80102c.jpg)
●狩野川放水路工事誌/建設省沼津工事事務所/S42年非売品
15年の歳月を経て全長2,980mの放水路は完成した。
工事に携わった全ての人と沿川住民の悲願が1925頁という分厚い一冊に纏められている。
![]() | 狩野川放水路工事誌 (1967年) |
クリエーター情報なし | |
中部地方建設局沼津工事事務所 |
《狩野川放水路を紹介しているサイト》
日本の川と災害
※日本の川→中部の一級水系・狩野川→狩野川放水路で画像が見られます。
《追記》9/9
こんな本も出てきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/40/920ad1dfa6b8719a4e86135de6b4e7f9.jpg)
●狩野川台風 子どもたちの記録/田方郡教育研究会・静岡県出版文化会共編/S34年
《追記2》9/9
勇舞サトちゃんとのコメントから~旧修善寺町熊坂の河原で遺体を荼毘に付している。
●修善寺1962/町勢要覧86頁より転写
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/00/b0d5f359b3cc05b918c160e96ee787b5.jpg)
《追記3》9/11
2009年の画像ファイルに狩野川放水路の写真を見つけた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/01/23d185226e546bf09150d52dcc39dff0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e9/3f7cb298eb5ef0c17537fa3c0a044f81.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/98/cc395f82e356ca4b9f122b7ef1dad581.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/21/c48db2aac2a04b8271b647e8225e684e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/7b/99c601b1bab3b1acbb037f0078a22031.jpg)
《ブログ内関連記事》
大平、日守境の狩野川水門撤去のこと。~次稿記事(9/11)
値の付けられない本たち~狩野川台風の記録、の記事(09/9/26)
台風9号伊豆半島直撃、の記事(07/9/6)
又、修善寺小学校で4年を過ごした者は、郷土の歴史学習の一環の中で、狩野川台風に関しての授業を受ける事になります。写真等で亡くなった方の姿も見せられました。又、一晩中流される家の屋根で救助を待つ人達の体験談なども聞きました。台風の恐ろしさや普段見慣れている橋が流されてしまった映像にショックを受けたのを覚えています。
お父さんも災害の正に当事者として大変だったですね。狩野川台風の記録を読んでいたとき、ちょうど今回の台風12号被害をニュースで見てゾっとしました。当初は正に静岡か愛知かというルートを辿っていましたからね。紀伊半島に一週間で降った記録的降水量(2400mm)を考えると、いくら狩野川放水路を以ってしても放水路より下流域に被害が出てしまうのではと思います。
今、もう一冊、画像UPしました。もしかしたら昔、教室で読んだことが有るかもしれないね、調べたことろでは修善寺の熊坂小学校では児童生徒の死者不明者78名、他職員2名とありました。狩野川、熊坂の河原には遺体を焼く荼毘の煙が何日も消えることが無かったそうですね。