鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

恐怖を商うという事(その1)

2008年03月17日 22時40分27秒 | 個人的主張など
〈「それでもボクはやってない」と『痴漢でっち上げ事件』で思うこと〉のつづき。
タイトルを恐怖を商うとして、シンプルにダイレクトに思い浮かぶのは、ジェットコースターやバンジージャンプなどだ。私も実は恐怖が好きなのだ。ナガシマスパーランドで世界最大級の木製コースター ホワイトサイクロンという絶叫マシンに乗ったことがある。わざわざ一時間待ちを並んで恐怖を買った。

横揺れが怖い。いつバラケてしまうか知れないという恐怖があった。登りから下りになる寸前は空しか見えなくて、身体が飛んでいきそうになる。実際に身体がぐっと前方上方に持っていかれているのに無理やり下方にしかもカーブしながら戻される時の恐怖はすごかった。それが何箇所かある。一緒に乗った連れ合いは、『もう持ちこたえられないかも知れないと思った』と後で言っていた。精神があっちに行ってしまう恐怖を感じたというのである。

鋼製ジェットコースターで回転が加わっているナガシマでは一番大規模のヤツにも乗ろうと誘ったのだが、『もういい、もう一生いい』と言って断られた。実を言えば、虚勢を張って言ってみただけで、私とて「もう今日は十分ごちそうさん」と思ったものだ。

恐怖を商うといっても、こういう施設の恐怖マシンやお化け屋敷などは安全が売る方にも買う方にも大前提としてある。遊びとして、約束のできた恐怖だから罪はない。

とは言え、点検を怠って値段以上の恐怖をサービスしてしまい、大事故になってしまった施設もあった。亡くなった人も最後の瞬間まで、安全を信じての恐怖を味わっていたものと思いたい。あの時の同乗者はその後どうしているだろう。もうスリルは買わないと誓っただろうか?恐怖を買って楽しんでいたつもりなのに、結果的に大変なトラウマを買ってしまったかも知れないと想像すると、何とも気の毒な話だ。

     つづく(なかなか一気に書けない)
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