ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

【平成22 師走の七五】 12月18日~12月20日

2010年12月21日 | 2010 暮らし雑感

12月18日

 ● 絶滅は西湖で黒いおさかなに
もう生き絶えたと思われていた幻の魚が生きていた。日本一深い湖の秋田田沢湖で生息したいたクニマスが山梨・西湖でみつかった。地元では「クロマス」と名を変えていた。この発見におさかなクンが大手柄。でもおさかなクンなんて失礼か。この人、いま東京海洋大学の準教授。

● 台北へおもてなしを届けます
石川県和倉温泉の加賀屋は日本一の高級旅館としてつとに有名。 明治39年の創業というから伝統もある。ここへ台湾から年間20万人が訪問し7万円使って一泊しているという。 日本人の旅客のほうは、一段と安い、手軽さを求めてるから加賀屋への敷居は高い。 ならばこちらからということで、初の海外進出となった。台北から車で30分の 場を選び輪島塗、九谷焼、加賀友禅で館内を彩り、おもてなしの心を添えて年間22億円の売上げをめざすそうだ。

● 一兵卒ながら隊長呼びつけて
辞任後は「一兵卒で頑張る」とした小沢さん。一兵卒といいえば平社員以下の ご身分のはずだがこの人は偉い。国会招致にからんだ幹事長との会見に文書通告で返事、会見は10分待たせたというニュースを読んだ。

12月19日
● 就活のバスは夜霧を東京へ
読売「経済全国便」から。
 金沢工業大学 大学と東京、大阪、名古屋を結ぶ自前の夜行バスを出している。 東京まで片道1500円と格安。(高速バスなら4000円、在来線と新幹線を使えば1万2000円かかる)。今年の就職戦線はどこもきびしい。粋な支援策と思った。

● 40年 朝4時半にはもう起きて
 「鎌田實の見放さない」読売(連載)記事にあった。

18歳の夏。大学進学に反対する父に、泣きながら頼み、父に自由をもらったときから、ぼくは朝4時半に起きて勉強を始めた。62歳の今になるまで44年間、それは続いている。

私も定年後5時半起床で6時からのウォーキングを心がけているが、外がまだ暗い、寒いと言えばつい休む。
このあたり人間のできが違う。

● 鳩はまた昔の夢追い飛び廻り
「鶴は万年、亀千年 鳩はもっても1年半」とテレビで言われたことがあった。
「鳩山前首相、引退撤回 次期衆院選出馬表明」と今日の新聞。
小沢あっての政権交代だったと、最近はことごとく擁護側にまわる。
でも出ても泣きを見ることにならないかなぁ。
随分昔の歌にもあった。
 「なくなぁ 小鳩よ 小鳩よ泣くなぁ」


12月20日
● 年の瀬や 身に沁む遠い別れの日
今年は例年以上に喪中はがきが舞い込む秋だった。
年々その数が多くなっている。
あの日のあの人が、もういないのはやはりさびしい。
読売紙に中村彰彦さんが「解題新書」を書いている。
文中に前漢の武帝「秋風の辞」を 引いておられたのでその部分をメモ。

歓楽極まりて哀情多し  
小壮幾時ぞ老いて奈何せん

いま弔辞を集めた文春が人気だそうだ。

赤塚不二夫へ タモリ
 「あなたは生活すべてがギャクでした。 あなたはギャグによって物事を動かしていったのです。 今お礼を言わさせていただきます。 赤塚先生、本当にお世話になりました。 私も、あなたの数多くの作品の一つです」
(文芸春秋 新年特別号 広告から)

● 衆院のためなら踊れポンポコリン
民主党は安全保障政策がまるで違う社民と衆院の数をほしいために再婚を選んだ。
 「これで日米パートーナーはムツカシイ。手を組むメリットはどこにあったのだ」とよみうり一面の北岡論文が批判。
福島さんに某週刊誌がポンポコリンとあだ名をしたことを覚えている。

● 改援隊創ってダサイとは言わせない
さいたま市長ら地域政党結成への記事が目にとまった。
一度、街頭演説を聴いた松本武洋和光市長の名前もその中にあった。「駄目な(ダサい)埼玉県民としては期待は大。
海援隊と改援隊、あやかり隊というのもあるか。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿