ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔08 七五の読後〕 【「捨てる」「片づける」で人生が豊になる】斎藤 茂太 新講社

2008年10月25日 | 2008 読後の独語
【「捨てる」「片づける」で人生が豊になる】
             斎藤 茂太      新講社
 

 愛称モタさんで呼ばれている著者の快老学などの本はけっこう読んできた。 この本もそうした一冊だと思う。
 だいぶ前に辰巳渚著『「捨てる!」技術』という本が大流行したことがあった。
この本も読んだ記憶があるが、その後に立花隆が文芸春秋で猛烈な批判「一刀両断する」を展開、話題になったこともあった。
 「捨てる」でもそれぞれの立場見解があるわけだが、精神科医の先生でエッセイストのモタさんはどう考えるか、それをなぞってみたくてこの本を手にした。

 捨てられず 未練残せし腐れ縁
男女間のことではない。
 片付かない家の物。
でも、やっぱり邪魔のものはジャマなのだ。
思い切りが大切だ。

● そのコツは どこへ行くのと聞かないの

・他家の生活に足を踏み入れず
・他家の生活をあてにすべからず
・どこへゆくのはよけいなお世話

斎藤家の家庭憲法というのが以上の3点。

この「他家」というのは自分の息子さんの生活などを指すらしいけど、一読者としてはこの「他家」を、「カミさん」に読み換えてみると、定年後の平和な生き方につながるのではあるまいかと考えてみた。 

● だらしなさ 自分に甘く、人に眉寄せ
ゴミのかたづけ。
あるんだな、これが。

● 役立たず 想いもなければハイさようなら
半年間、役に立っていなかったのだ。
このものに痛切な想い出が宿っているわけでもないのだ。
であるなら、今日でお別れ、サヨウナラしよう。

● 身に着けよう あきらめ力にちから有り
 「段取り力」なることばがあることも知ったが「あきらめ力」という用語もはじめて知った。
リタイア後にはこの「力」はけっこううまく使える。

● 我がスーツ いまやタンスの肥やしなり
カミさんが勝手に吊るしてる。
肥やしとならないためには使いきって捨てるところまでいけばいいのだが。 これがなかなか・・・。

● 使うこと 物と私のいい関係
モノとのつきあいは、結局は使うことで保たれる。
代替を求めて買い物依存症にはなるまい。
 「あとで使うんだ」というのは願望であって、まず使わないことが多い。
それが溜まってゴミの素となり、そしてストレスを溜め込む。
そういえば会社勤めの頃、「そのうち」「近いうち」に「一杯飲みに行こう」という約束はだいたいが果たせず反故になっていた。
「あとで」もそうした類だ。

● ゴチャゴチャと幼いボクに戻りたい
身の回りが、ゴチャゴチャとしていても気持ちが安らぐ人は幼児回帰願望があると精神科医の作者は言う。
 ゴチャゴチャしてたほうが落ち着くというのは、末子の甘えん坊で育った私にも、いまだその性癖があるらしい。

● 兼好も芭蕉も通った捨てた道
捨てたことで、気まま、自由な幸を得る。
戦前の歌に「男の純情」というのがあった。
暗い夜空が 明けたなら 
  若いみどりの 朝風に 
  金もいらなきゃ 名もいらぬ 
  愛の古巣へ 帰ろうよ
 

Simple is Best

溜めるより、捨てよ、ということか。

モタさんは2年前の11月20日に90歳で亡くなっている。
斎藤茂吉の長男で、作家・北杜夫氏の実兄のこの人は、日本精神科病院協会名誉会長でもあり、また日本旅行作家協会会長も務めた人でもあった。


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