今日は、室蘭聖書教会との講壇交換でした。
室蘭聖書教会の兄弟姉妹と共にイエス様を礼拝し、みことばを分かち合い、昼食をごちそうになってきました。
幸いな交わりでした。
神様の定めた秩序を私たちが認めて受け入れ従う時に、私たちは益を受けます。
逆を言うと神様の秩序に従わなければ大損をすると言うことです。
今日は、2つの神様の秩序を見ていきましょう。
神様の秩序その1
子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。
これは正しいことだからです。
「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。
すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。
エペソ 6: 1~3
「神様ー両親ー私」これが最初の秩序です。
主が与えて下さった両親を心から喜んで尊敬することです。
そこに、私たちが幸福になるための神様の約束が与えられています。
神様があなたや私の生まれる場所や時や境遇や環境を備えて下さいました。
そのことに感謝しましょう。
両親が愛情をもって育てて下さいました。
もちろん、両親は完全ではありません。
罪が無いわけでもありません。
しかし、みことばはそのことも織り込み済みだと思います。
「肉の父は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、・・・・・」とあります。
不完全ではありますが両親は愛を持って私たちを育てて下さったのです。
両親にもあなたや私にも罪があります。
しかし、それを赦して除き去って下さったのがイエス様です。
もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
ヘブル 12:8~11
神様の秩序その2
あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。
この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。
ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。
そうでないと、あなたがたの益にならないからです。
ヘブル 13:17
2つ目は「神様ーイエス様ー教会の指導者(牧師)ー私」です。
教会の指導者は私たちのために神様に弁明して下さり、たましいのための見張りをして下さっています。
その指導者に服従することが私たちの益につながります。
自分の霊的な指導者を軽んじて自分勝手に歩む時に大きな損害が待っています。
また、聖書は霊的な祝福をいただいた者は、物質的な物を持ってお返しするように進めています。
それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」
マルコ 8:34~38
私たちは、自分の利益を求めすぎると、本当に大切なものを失ってしまいます。
へりくだってイエス様のみことばに従いましょう。
室蘭聖書教会の兄弟姉妹と共にイエス様を礼拝し、みことばを分かち合い、昼食をごちそうになってきました。
幸いな交わりでした。
神様の定めた秩序を私たちが認めて受け入れ従う時に、私たちは益を受けます。
逆を言うと神様の秩序に従わなければ大損をすると言うことです。
今日は、2つの神様の秩序を見ていきましょう。
神様の秩序その1
子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。
これは正しいことだからです。
「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。
すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。
エペソ 6: 1~3
「神様ー両親ー私」これが最初の秩序です。
主が与えて下さった両親を心から喜んで尊敬することです。
そこに、私たちが幸福になるための神様の約束が与えられています。
神様があなたや私の生まれる場所や時や境遇や環境を備えて下さいました。
そのことに感謝しましょう。
両親が愛情をもって育てて下さいました。
もちろん、両親は完全ではありません。
罪が無いわけでもありません。
しかし、みことばはそのことも織り込み済みだと思います。
「肉の父は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、・・・・・」とあります。
不完全ではありますが両親は愛を持って私たちを育てて下さったのです。
両親にもあなたや私にも罪があります。
しかし、それを赦して除き去って下さったのがイエス様です。
もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。
さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。
なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。
ヘブル 12:8~11
神様の秩序その2
あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。
この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。
ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。
そうでないと、あなたがたの益にならないからです。
ヘブル 13:17
2つ目は「神様ーイエス様ー教会の指導者(牧師)ー私」です。
教会の指導者は私たちのために神様に弁明して下さり、たましいのための見張りをして下さっています。
その指導者に服従することが私たちの益につながります。
自分の霊的な指導者を軽んじて自分勝手に歩む時に大きな損害が待っています。
また、聖書は霊的な祝福をいただいた者は、物質的な物を持ってお返しするように進めています。
それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」
マルコ 8:34~38
私たちは、自分の利益を求めすぎると、本当に大切なものを失ってしまいます。
へりくだってイエス様のみことばに従いましょう。