脚本 宮下隼一、監督 三ツ村鐵治
1986年12月18日放送
【あらすじ】
ある夜、老人が歩道橋から転落死を遂げた。老人は目が不自由で、紅林が行きつけのクリーニング店でバイトする女学生が、日頃からボランティアとして世話をしていた。女学生は就職活動で多忙な合間を縫って、老人の歩行訓練に付き合っていた。当初は訓練中の事故かと思われたが、老人の杖が歩道橋に残されていたことから、所轄署は殺人と判断する。
翌日、所轄署が女学生を容疑者として逮捕したと聞き、驚く紅林。所轄署に出向いたところ、逮捕の理由は、現場近くで女学生が老人と言い争っているのを見た者がいたためだという。女学生は「歩行訓練中に疲れた老人を励ましていたが、どうしても嫌がったので諦めた。送っていこうとしたが『そこまで甘えられない』と言うので別れた」と主張。しかし、所轄署は「でたらめだ。彼女には動機もある」と一蹴。その動機とは、熱を出した老人を看病するため、志望していた会社の入社試験を受けられなかったことだった。
特命課に戻った紅林は、女学生の無実を信じる根拠を語る。女学生は幼い頃に交通事故で両親を失っており、同じく事故で視力を失った老人を、肉親のように思っていた。また、その後に別の会社から内定を得ており、所轄署の主張する動機も弱い。他に証拠もない現状でクロと判断するのは危険と判断した神代の指示で、特命課が捜査に乗り出す。
所轄署から女学生を引き取り、ボランティア仲間の学生たちからも事情を聞く紅林。そのうち二人の男子学生は、大手企業から内定を得て、研修のため捜査に協力できないという。それを知った女学生の表情は重く沈んだ。
女学生の無実を証明するために奔走する紅林だが、当の女学生は老人の死亡現場の写真を見て表情を変えると、「ボランティアで忙しいので」と紅林を避ける。紅林は女学生の態度に不審を抱き、その行動をマークする。そんななか、女学生が内定を得ていた会社から「内定取り消し」の連絡が入る。所轄署から事情を聞かされた会社にすれば、無理もない判断だった。紅林は女学生とともにその会社を訪ねて撤回を求めるが、すげなく追い返される。途方に暮れながらも、新たな就職先を探し求める女学生の姿に、紅林は彼女の就職に対する執念を感じる。
そんななか、特命課は「若い男二人が老人と言い争っていた」という新たな目撃証言を得る。若い男たちは「研修だよ」と言っていたため、紅林はボランティア仲間の男子学生に疑惑を向ける。二人には「友人と酒を飲んでいた」というアリバイがあったが、友人を問い詰めたところ、買収されていたことが判明。また、二人は成績不良のため卒業も危うい状態だったが、親のコネで卒業でき、内定も取り消されずに済んだという。
「二人の犯行を見たんじゃないか?」と詰める紅林に、女学生は「突き落とした犯人はヤクザ風の男だった」と語る。なぜ、彼女はそんなデタラメを言うのか?女学生の態度が変わったきっかけが、老人の死亡現場の写真にあると気づく紅林。改めて写真を見ると、老人の指先に残された血痕が、点字によるダイイングメッセージではないかと気づく。その点字を解読したところ、男子学生二人の名前を示していた。二人は酔って「親の力で就職できた!」と吹聴しており、それを耳にした老人になじられた末に、勢い余って突き落としたのだ。
二人を捕らえんと大学に赴く特命課。そこでは、二人が女学生にナイフを向けていた。特命課に取り押さえられた二人は「彼女が僕らを強請ったんだ!」と叫ぶ。血の点字から二人が犯人だと知った女学生は、親のコネで卒業・内定を得た二人に、自分にも就職先を世話するよう脅迫したのだ。「なぜ、そんなことを?」信じられない想いで女学生に問いかける紅林。「魔が差したんです・・・自分一人だけ取り残されたような気がして・・・」
自分が本当にやりたい仕事かどうかも分からず、ただ名の知れた大企業にこだわっていたことに気づいた女学生は、改めて自分がやるべき仕事を見出す。それは、これまで必死に打ち込んできたボランティアだった。「そんな仕事を捨てようとしていた私は、あの二人と変わりません・・・」自分を責める女学生に「それに気づいただけで十分だ。それだけで老人への供養になる」と励ます紅林。自らの進むべき道を見出した女学生は、今日もボランティアに勤しむのだった。
【感想など】
男女雇用機会均等法の施行を背景に、就職に翻弄される女学生の姿を描いた一本。20年以上を経た現在でも、理想と現実に大きな隔たりが存在することを考えれば、施行当時の企業の対応が、いかに建前的なものだったか想像もつくというもの。当時の女学生たちが、どれだけ希望を裏切られたかを思うと、バブル期に社会に出た私としては忸怩たるものがあります。
「就職が決まった」とはしゃぐ学生たちの姿に、取り残されたような疎外感と焦りを感じる女学生の気持ちは、少しでも就職活動を経験したものであれば、誰もが共感できるものだと思いますし、そんな苦労を「親のコネ」でクリアするような輩に対しては、怒りがこみ上げてくるのも無理はないでしょう。とはいえ、大学卒業という「資格」は、その程度の価値しかないものですし(もちろん、学校や学部によりますが)、本人がそれで恥ずかしくないのであれば、それはそれでいいのではないか、と思ったりもしますが、それは私がすでに当事者ではないから言えることなのでしょう。
それはともかく、「仕事」や「就職」に対する若者たちの姿勢や考え方というものは、いつの時代もさまざまな問題をはらんでいるように思われます。ラストで女学生が語ったような「適性を無視した大企業志向」というのも、ありがちな問題の一つですが、勤労経験のない学生に「本当にやりたい仕事」や「本当に自分に適した仕事」が分かるはずがない、というのも事実であり、「誰にでも天職がある」といった誤った思い込みが、就職率の低下や離職率の高まりにつながっているのではないかと、私見ながら考えたりもします。
なお、今回の女学生が選んだ「天職」はボランティアだったわけですが、どうも「奉仕活動」と「仕事」がごっちゃになっているよう思われます(老人介護の会社に就職する、というなら分かるのですが・・・)。それは当時の一般的な認識だったのでしょうか?それとも脚本家の誤解なのでしょうか?
あと、本編とはあまり関係ないのですが、冒頭の杉の態度には非常にムカつき、「お前はとっとと警察を辞めろ」と言いたくなりました。「お前のようにいやいや仕事に取り組むような奴は、社会にとっても、警察組織にとっても迷惑極まりない」と憤慨したのですが、改めて考えてみれば、多くの警察官の本音はこんなものなのだろうと思われますので、わざわざ憤慨するほどのこともありませんでした。
1986年12月18日放送
【あらすじ】
ある夜、老人が歩道橋から転落死を遂げた。老人は目が不自由で、紅林が行きつけのクリーニング店でバイトする女学生が、日頃からボランティアとして世話をしていた。女学生は就職活動で多忙な合間を縫って、老人の歩行訓練に付き合っていた。当初は訓練中の事故かと思われたが、老人の杖が歩道橋に残されていたことから、所轄署は殺人と判断する。
翌日、所轄署が女学生を容疑者として逮捕したと聞き、驚く紅林。所轄署に出向いたところ、逮捕の理由は、現場近くで女学生が老人と言い争っているのを見た者がいたためだという。女学生は「歩行訓練中に疲れた老人を励ましていたが、どうしても嫌がったので諦めた。送っていこうとしたが『そこまで甘えられない』と言うので別れた」と主張。しかし、所轄署は「でたらめだ。彼女には動機もある」と一蹴。その動機とは、熱を出した老人を看病するため、志望していた会社の入社試験を受けられなかったことだった。
特命課に戻った紅林は、女学生の無実を信じる根拠を語る。女学生は幼い頃に交通事故で両親を失っており、同じく事故で視力を失った老人を、肉親のように思っていた。また、その後に別の会社から内定を得ており、所轄署の主張する動機も弱い。他に証拠もない現状でクロと判断するのは危険と判断した神代の指示で、特命課が捜査に乗り出す。
所轄署から女学生を引き取り、ボランティア仲間の学生たちからも事情を聞く紅林。そのうち二人の男子学生は、大手企業から内定を得て、研修のため捜査に協力できないという。それを知った女学生の表情は重く沈んだ。
女学生の無実を証明するために奔走する紅林だが、当の女学生は老人の死亡現場の写真を見て表情を変えると、「ボランティアで忙しいので」と紅林を避ける。紅林は女学生の態度に不審を抱き、その行動をマークする。そんななか、女学生が内定を得ていた会社から「内定取り消し」の連絡が入る。所轄署から事情を聞かされた会社にすれば、無理もない判断だった。紅林は女学生とともにその会社を訪ねて撤回を求めるが、すげなく追い返される。途方に暮れながらも、新たな就職先を探し求める女学生の姿に、紅林は彼女の就職に対する執念を感じる。
そんななか、特命課は「若い男二人が老人と言い争っていた」という新たな目撃証言を得る。若い男たちは「研修だよ」と言っていたため、紅林はボランティア仲間の男子学生に疑惑を向ける。二人には「友人と酒を飲んでいた」というアリバイがあったが、友人を問い詰めたところ、買収されていたことが判明。また、二人は成績不良のため卒業も危うい状態だったが、親のコネで卒業でき、内定も取り消されずに済んだという。
「二人の犯行を見たんじゃないか?」と詰める紅林に、女学生は「突き落とした犯人はヤクザ風の男だった」と語る。なぜ、彼女はそんなデタラメを言うのか?女学生の態度が変わったきっかけが、老人の死亡現場の写真にあると気づく紅林。改めて写真を見ると、老人の指先に残された血痕が、点字によるダイイングメッセージではないかと気づく。その点字を解読したところ、男子学生二人の名前を示していた。二人は酔って「親の力で就職できた!」と吹聴しており、それを耳にした老人になじられた末に、勢い余って突き落としたのだ。
二人を捕らえんと大学に赴く特命課。そこでは、二人が女学生にナイフを向けていた。特命課に取り押さえられた二人は「彼女が僕らを強請ったんだ!」と叫ぶ。血の点字から二人が犯人だと知った女学生は、親のコネで卒業・内定を得た二人に、自分にも就職先を世話するよう脅迫したのだ。「なぜ、そんなことを?」信じられない想いで女学生に問いかける紅林。「魔が差したんです・・・自分一人だけ取り残されたような気がして・・・」
自分が本当にやりたい仕事かどうかも分からず、ただ名の知れた大企業にこだわっていたことに気づいた女学生は、改めて自分がやるべき仕事を見出す。それは、これまで必死に打ち込んできたボランティアだった。「そんな仕事を捨てようとしていた私は、あの二人と変わりません・・・」自分を責める女学生に「それに気づいただけで十分だ。それだけで老人への供養になる」と励ます紅林。自らの進むべき道を見出した女学生は、今日もボランティアに勤しむのだった。
【感想など】
男女雇用機会均等法の施行を背景に、就職に翻弄される女学生の姿を描いた一本。20年以上を経た現在でも、理想と現実に大きな隔たりが存在することを考えれば、施行当時の企業の対応が、いかに建前的なものだったか想像もつくというもの。当時の女学生たちが、どれだけ希望を裏切られたかを思うと、バブル期に社会に出た私としては忸怩たるものがあります。
「就職が決まった」とはしゃぐ学生たちの姿に、取り残されたような疎外感と焦りを感じる女学生の気持ちは、少しでも就職活動を経験したものであれば、誰もが共感できるものだと思いますし、そんな苦労を「親のコネ」でクリアするような輩に対しては、怒りがこみ上げてくるのも無理はないでしょう。とはいえ、大学卒業という「資格」は、その程度の価値しかないものですし(もちろん、学校や学部によりますが)、本人がそれで恥ずかしくないのであれば、それはそれでいいのではないか、と思ったりもしますが、それは私がすでに当事者ではないから言えることなのでしょう。
それはともかく、「仕事」や「就職」に対する若者たちの姿勢や考え方というものは、いつの時代もさまざまな問題をはらんでいるように思われます。ラストで女学生が語ったような「適性を無視した大企業志向」というのも、ありがちな問題の一つですが、勤労経験のない学生に「本当にやりたい仕事」や「本当に自分に適した仕事」が分かるはずがない、というのも事実であり、「誰にでも天職がある」といった誤った思い込みが、就職率の低下や離職率の高まりにつながっているのではないかと、私見ながら考えたりもします。
なお、今回の女学生が選んだ「天職」はボランティアだったわけですが、どうも「奉仕活動」と「仕事」がごっちゃになっているよう思われます(老人介護の会社に就職する、というなら分かるのですが・・・)。それは当時の一般的な認識だったのでしょうか?それとも脚本家の誤解なのでしょうか?
あと、本編とはあまり関係ないのですが、冒頭の杉の態度には非常にムカつき、「お前はとっとと警察を辞めろ」と言いたくなりました。「お前のようにいやいや仕事に取り組むような奴は、社会にとっても、警察組織にとっても迷惑極まりない」と憤慨したのですが、改めて考えてみれば、多くの警察官の本音はこんなものなのだろうと思われますので、わざわざ憤慨するほどのこともありませんでした。