人間って、単純な動きをするわりには、そう単純な生き物ではない。
人と人とが信頼関係を構築するには、相当の時間と実績を要する。
しかし、それが壊れるのは一瞬。
そして、一度壊れた人間関係を修復させるのは、極めて困難。
表向きは修復できたように思えても、ほとんどの場合で何らかのシコリやキズ痕が残るもの。
泣く女性に比べたら、怒る女性の方がまだ扱いやすい。
しかし、この女性の怒りようは、私の身をたじろがせるものがあった。
電話をしてきた女性は、あのマンションの賃貸借契約を仲介した依頼者の友人。
それが、私が依頼者に話した現場状況に疑義を覚えて電話してきたのだった。
「無責任に大袈裟なこと言わないで下さい」
「はぁ・・・大袈裟なことを言ったつもりはありませんけど・・・」
「〝リフォーム工事が必要〟っておっしゃったんですって?」
「ええ・・・ただ、その理由もお話しましたけど」
「普通に生活したって、部屋が汚れることぐらいあるでしょ!?」
「そりゃまぁ・・・」
「血を吐いたくらいでリフォームが必要だなんて、私には納得がいきませんよ!」
女性は、吐血量の多さを理解していなかった。
しかも、肝心なのは血痕どうこうよりも、そこで人が死んでいたということなのに、そのことには気づかないで不満を爆発させていた。
揉め事が嫌いな私は、しばらくの間、聞き役に徹した。
しかし、女性があまりに勝手な憶測でものを言い続けたので、私の口もムズムズしてきた。
そして、だんだんと我慢がきかなくなり反論に転じた。
「でも、現場を見られたわけじゃないんですよね?」
「それはそうですけど・・・」
「私の言ってることが不適切かどうかは、現場を見てから判断していただけますか?」
「まぁ・・・」
「一度、見てきていただいて、お気づきの点はその上でおっしゃって下さい」
「・・・」
「いつ行かれます?」
「・・・」
「必要でしたら、私も同行しましょうか?」
「・・・」
「その方が話がはやいと思いますので」
「お・・・お願いします」
私の反撃に女性はあえなく撃沈。
弱々しく現場への同行に同意。
私は、再び現場を訪れることになった。
その翌日の夕方、私は仲介者の女性と現場マンションのエントランスで待ち合わせた。
約束の時間通りに現れた女性はかっちりしたスーツ姿で、男性に依存せずバリバリと仕事をこなしているような熱を放っていた。
その醸し出す雰囲気は依頼者と酷似しており、二人が、類が呼んだ親しい友人であったことが伺えた。
ただ、そんな女性も表情だけは暗く憔悴。
知人の不慮の死を悼んでか、依頼者との友情が壊れたせいか、はたまた現場に入ることに気が病むせいか・・・苦悩を抱えていることと気分が消沈していることは明らか。
最初に電話をしてきたときの勢いはなく、借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。
一方の私も、過日の件を根に持ち続けるのも男らしくないので、何事もなかったかのように接することにした。
「では、行きましょうか」
「ええ・・・」
「・・・」
「気が進みませんか?」
「・・・申し訳ありません」
「いえいえ、普通はそうです」
「・・・ごめんなさい」
こんなこともあろうかと、私は用意していたデジカメを取り出して起動。
そして、液晶画面に過日に撮っておいた現場写真を写して女性の前に差し出した。
「例の洗面所と浴室の写真なんですけど、見ます?」
女性は、黙って頷いて視線をカメラに向けた。
「黒くみえる部分が血痕です」
私が汚染の状況を説明すると、女性は目を潤ませながら表情を強張らせた。
「写真だとこんなもんですが、実際の光景はこの何倍も凄惨ですよ」
女性は、この写真から現場を想像したようで、泣きそうな表情になった。
「こんな状態でも、見た目にきれいにすることはできます」
「そうですか・・・」
「ただ、○○さん(依頼者)の心情は、そう簡単にはクリアにならないと思いますよ」
「・・・」
「ここが御自分の所有マンションだったら、もしくは、これから住む予定の部屋だったらどうでしょう・・・〝全く気にならない〟ということはないですよね」
「はい・・・」
私は、女性を責めるつもりはなかったのに、ついついそんな口調になってしまった。
「これから、どうすればいいんでしょう・・・」
「まずは、汚染箇所の清掃と消臭消毒をすることが先決ですね」
「そうですね・・・」
「それからのことについては、○○さん(依頼者)とよく話し合われることをおすすめします」
「・・・」
「○○さん(依頼者)にも貸した責任があるとはいえ、受けたダメージと事後処理のプレッシャーはそれ以上だと思うんですよ」
「そうか・・・」
「○○さん(依頼者)は、逃げたくても逃げられない立場ですからね」
「そうですよね・・・」
「まぁ、こうなると皆さんが被害者なんでしょうけどね」
「・・・」
〝貸主(依頼者)⇔仲介者(女性)〟との友人関係は完全に崩壊し、既に円滑なコミュニケーションが図れなくなっていた。
そんな中で、仕事上の必要性から、私は二人の橋渡しをしながら話を進めていくしかなかった。
私は、ボランティアで特掃業務を請け負っているわけではないので、責任権者が明確にならないうちは現場のことは放っておいてもよかった。
代金を回収する見込みが立てられないと、仕事としては危険だからだ。
しかし、汚染を放置すればするほど状況は深刻化していく一方なのは明白なこと。
血痕はますます固定化し異臭は部屋全体に浸透していくばかりで、時間を経過させればさせるほど、原状回復への道程が遠くなる。
そんな訳で、私は特掃だけでも早急にやるべく両者の間を調整した。
しかし、そんな私の尽力をよそに、責任の所在はいつまで経っても定まらず、仕事でやっていることのようには思えなくなってきた。
二人は、それなりの経済力を持っており、特掃の代金が払えないわけではなかった。
問題は、金額ではなく責任の所在。
始めに特掃代金を負担してしまって、そのなりゆきで全部の責任を負うハメになりはしないかと警戒しているようだった。
それでも、現場は放置しておけず。
最終的には、〝費用は誰かが必ず払う〟というかなり曖昧な口約束だけで特掃を行うことになった。
私も、リスクを背負ったのである。
特掃作業は、特段の障害もなく難なく完遂。
ニオイを片付けるのに若干の手間がかかったものの、見た目には何もなかったかのような状態に戻すことができた。
野次馬根性丸出しで余計なおせっかいを焼いても、到底、私が責任を負えるものではないので、以降のことには消極的な姿勢を貫き、私はこの三角関係から自然消滅することを図った。
そうして、この三角関係は粋な小話一つ残すことなく終焉を迎えた。
「女二人を相手にした三角関係なんて、懲り懲りだな・・・」
一仕事を終え、私はそんな贅沢を吐いた。
何日か後、結局、代金は遺族が払ってきた。
そして、その後は、〝依頼者・仲介者・遺族〟という新たな三角関係によって事後処理がなされていくのだった。
公開コメントはこちら
特殊清掃プロセンター
遺品処理・回収・処理・整理、遺体処置等通常の清掃業者では対応出来ない
特殊な清掃業務をメインに活動しております。
人と人とが信頼関係を構築するには、相当の時間と実績を要する。
しかし、それが壊れるのは一瞬。
そして、一度壊れた人間関係を修復させるのは、極めて困難。
表向きは修復できたように思えても、ほとんどの場合で何らかのシコリやキズ痕が残るもの。
泣く女性に比べたら、怒る女性の方がまだ扱いやすい。
しかし、この女性の怒りようは、私の身をたじろがせるものがあった。
電話をしてきた女性は、あのマンションの賃貸借契約を仲介した依頼者の友人。
それが、私が依頼者に話した現場状況に疑義を覚えて電話してきたのだった。
「無責任に大袈裟なこと言わないで下さい」
「はぁ・・・大袈裟なことを言ったつもりはありませんけど・・・」
「〝リフォーム工事が必要〟っておっしゃったんですって?」
「ええ・・・ただ、その理由もお話しましたけど」
「普通に生活したって、部屋が汚れることぐらいあるでしょ!?」
「そりゃまぁ・・・」
「血を吐いたくらいでリフォームが必要だなんて、私には納得がいきませんよ!」
女性は、吐血量の多さを理解していなかった。
しかも、肝心なのは血痕どうこうよりも、そこで人が死んでいたということなのに、そのことには気づかないで不満を爆発させていた。
揉め事が嫌いな私は、しばらくの間、聞き役に徹した。
しかし、女性があまりに勝手な憶測でものを言い続けたので、私の口もムズムズしてきた。
そして、だんだんと我慢がきかなくなり反論に転じた。
「でも、現場を見られたわけじゃないんですよね?」
「それはそうですけど・・・」
「私の言ってることが不適切かどうかは、現場を見てから判断していただけますか?」
「まぁ・・・」
「一度、見てきていただいて、お気づきの点はその上でおっしゃって下さい」
「・・・」
「いつ行かれます?」
「・・・」
「必要でしたら、私も同行しましょうか?」
「・・・」
「その方が話がはやいと思いますので」
「お・・・お願いします」
私の反撃に女性はあえなく撃沈。
弱々しく現場への同行に同意。
私は、再び現場を訪れることになった。
その翌日の夕方、私は仲介者の女性と現場マンションのエントランスで待ち合わせた。
約束の時間通りに現れた女性はかっちりしたスーツ姿で、男性に依存せずバリバリと仕事をこなしているような熱を放っていた。
その醸し出す雰囲気は依頼者と酷似しており、二人が、類が呼んだ親しい友人であったことが伺えた。
ただ、そんな女性も表情だけは暗く憔悴。
知人の不慮の死を悼んでか、依頼者との友情が壊れたせいか、はたまた現場に入ることに気が病むせいか・・・苦悩を抱えていることと気分が消沈していることは明らか。
最初に電話をしてきたときの勢いはなく、借りてきた猫のようにおとなしくなっていた。
一方の私も、過日の件を根に持ち続けるのも男らしくないので、何事もなかったかのように接することにした。
「では、行きましょうか」
「ええ・・・」
「・・・」
「気が進みませんか?」
「・・・申し訳ありません」
「いえいえ、普通はそうです」
「・・・ごめんなさい」
こんなこともあろうかと、私は用意していたデジカメを取り出して起動。
そして、液晶画面に過日に撮っておいた現場写真を写して女性の前に差し出した。
「例の洗面所と浴室の写真なんですけど、見ます?」
女性は、黙って頷いて視線をカメラに向けた。
「黒くみえる部分が血痕です」
私が汚染の状況を説明すると、女性は目を潤ませながら表情を強張らせた。
「写真だとこんなもんですが、実際の光景はこの何倍も凄惨ですよ」
女性は、この写真から現場を想像したようで、泣きそうな表情になった。
「こんな状態でも、見た目にきれいにすることはできます」
「そうですか・・・」
「ただ、○○さん(依頼者)の心情は、そう簡単にはクリアにならないと思いますよ」
「・・・」
「ここが御自分の所有マンションだったら、もしくは、これから住む予定の部屋だったらどうでしょう・・・〝全く気にならない〟ということはないですよね」
「はい・・・」
私は、女性を責めるつもりはなかったのに、ついついそんな口調になってしまった。
「これから、どうすればいいんでしょう・・・」
「まずは、汚染箇所の清掃と消臭消毒をすることが先決ですね」
「そうですね・・・」
「それからのことについては、○○さん(依頼者)とよく話し合われることをおすすめします」
「・・・」
「○○さん(依頼者)にも貸した責任があるとはいえ、受けたダメージと事後処理のプレッシャーはそれ以上だと思うんですよ」
「そうか・・・」
「○○さん(依頼者)は、逃げたくても逃げられない立場ですからね」
「そうですよね・・・」
「まぁ、こうなると皆さんが被害者なんでしょうけどね」
「・・・」
〝貸主(依頼者)⇔仲介者(女性)〟との友人関係は完全に崩壊し、既に円滑なコミュニケーションが図れなくなっていた。
そんな中で、仕事上の必要性から、私は二人の橋渡しをしながら話を進めていくしかなかった。
私は、ボランティアで特掃業務を請け負っているわけではないので、責任権者が明確にならないうちは現場のことは放っておいてもよかった。
代金を回収する見込みが立てられないと、仕事としては危険だからだ。
しかし、汚染を放置すればするほど状況は深刻化していく一方なのは明白なこと。
血痕はますます固定化し異臭は部屋全体に浸透していくばかりで、時間を経過させればさせるほど、原状回復への道程が遠くなる。
そんな訳で、私は特掃だけでも早急にやるべく両者の間を調整した。
しかし、そんな私の尽力をよそに、責任の所在はいつまで経っても定まらず、仕事でやっていることのようには思えなくなってきた。
二人は、それなりの経済力を持っており、特掃の代金が払えないわけではなかった。
問題は、金額ではなく責任の所在。
始めに特掃代金を負担してしまって、そのなりゆきで全部の責任を負うハメになりはしないかと警戒しているようだった。
それでも、現場は放置しておけず。
最終的には、〝費用は誰かが必ず払う〟というかなり曖昧な口約束だけで特掃を行うことになった。
私も、リスクを背負ったのである。
特掃作業は、特段の障害もなく難なく完遂。
ニオイを片付けるのに若干の手間がかかったものの、見た目には何もなかったかのような状態に戻すことができた。
野次馬根性丸出しで余計なおせっかいを焼いても、到底、私が責任を負えるものではないので、以降のことには消極的な姿勢を貫き、私はこの三角関係から自然消滅することを図った。
そうして、この三角関係は粋な小話一つ残すことなく終焉を迎えた。
「女二人を相手にした三角関係なんて、懲り懲りだな・・・」
一仕事を終え、私はそんな贅沢を吐いた。
何日か後、結局、代金は遺族が払ってきた。
そして、その後は、〝依頼者・仲介者・遺族〟という新たな三角関係によって事後処理がなされていくのだった。
公開コメントはこちら
特殊清掃プロセンター
遺品処理・回収・処理・整理、遺体処置等通常の清掃業者では対応出来ない
特殊な清掃業務をメインに活動しております。