井の頭公園内を玉川上水も流れていますが、井の頭池とはつながっていません。神田川よりも玉川上水のほうがずっと周囲の自然が残されていて、自然探勝がお好きな方には、こちらの散策がおすすめです。
以前、水源の多摩川上流の羽村取水堰から、久我山あたりで地下に潜ってしまう地点までの約25kmほどを、何回かに分けて歩いたことがありました。後日、その中のハイライトコースをいくつか紹介したいと思います。

万助橋より約600m上流で山崎富栄と入水した太宰治は、1948年6月19日に公園より下流で遺体が発見されました。
入水地点には碑が建てられ、太宰の写真と短篇「乞食学生」の一節が記されています(碑の写真クリックで拡大画像が見れます)。
「乞食学生」には、以下のような文章もあり、当時の玉川上水は危険な川であったことが窺(うかが)われます。今や猫だって溺れるのは難しいと思う。
万助橋を過ぎ、もう、ここは井の頭公園の裏である。私は、なおも流れに沿うて、一心不乱に歩きつづける。この辺で、むかし松本訓導という優しい先生が、教え子を救おうとして、かえって自分が溺死なされた。川幅は、こんなに狭いが、ひどく深く、流れの力も強いという話である。この土地の人は、この川を、人喰い川と呼んで恐怖している。

入水地点から当時太宰が住んでいた三鷹の家までは1kmに満たない距離です。遺体の発見された6月19日は奇しくも太宰の誕生日でもあり、彼の墓がある三鷹の禅林時では、毎年この日に桜桃忌が行なわれます。
(参考)
・ 三鷹禅林寺での桜桃忌(当ブログ)
・ 太宰さんちの庭にあった百日紅(サルスベリ)が咲き始めた(当ブログ)
・ 地図情報(中央の+印が万助橋)
・ 地図情報(中央の+印が太宰治の入水地点)
・ 地図情報(禅林寺:三鷹駅南口より徒歩約15分)
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