吉祥寺と周辺の街散歩

吉祥寺を中心に、中央線沿線の街のお気に入りの喫茶店、公園に咲く花、美術館、散歩レポートなどを紹介しています。

三鷹のブックカフェ「文鳥舎」ではジャズライブもやっていた

2007年03月25日 | 三鷹

店の内部の様子(上) 店外のディスプレイ(右下)

 「文鳥舎」は、三鷹駅南口の中央道路を5分ほど歩いた右側地下にあります。店に下りる階段のところに置いてある特徴のあるディスプレイ(画像右)が目印になります。
 2002年の開店だそうで、文芸誌「早稲田文学」の編集をやっていた出版畑のOさんと、料理畑出身のSさん、二人の女性の共同経営による喫茶店(昼)兼 bar(夜)です。
 カウンター席とテーブル席を合わせて30席弱ほどの店内には、昭和初期の雰囲気をイメージしたというディスプレイが置かれていて、こちらもとてもユニークです。大人が楽しめる場所づくりを念頭に、隣の吉祥寺よりすこし年齢層が高めで空気もゆったりした感じの三鷹の地を選んだというのは地元民(通勤)として頷(うなず)けます。

 周囲の壁を占める書棚にびっしり並んでいる文芸書、画集、写真集などは一部を除き閲覧のみで販売はしていません。とくに1896(明治29)年生まれの小説家、牧野信一の著作が多く並んでいるのは、オーナーの方の思い入れによるのだろう。牧野信一は小林秀雄や坂口安吾と縁が深い作家とのことで、今度読んでみよう。ちなみに壁側の席には読書灯がついていて読書に最適です。

 「文鳥舎」では落語の独演会や朗読会やライブ演奏、文化講座などのイベントも時折行われていますが、僕が聴いたジャズライブは、ベーシストの西島由紀子さんが率いるピアノトリオによるハートフルなジャズでした。ブックカフェの特設ステージでのライブは、ライブハウスでのアグレッシブな演奏とは違った雰囲気で楽しめました。
 これからも文化的な香りを保ちながら長く続けていって欲しいお店です。

 営業時間は、Tea Time:11:00~18:00、Bar Time:21:00~2:00AM(金曜のみ22:30から)、土・日・祝日が定休日です。企画イベント、文化講座などもあるので、あらかじめHPで確認して行ったほうがいいでしょう。

(参考)
 ・文鳥舎HP
 ・地図情報: 文鳥舎
 ・当ブログで紹介中の他のブックカフェ
   三鷹「フォスフォレッセンス」
   西荻窪「ハートランド」
 ・ 「ブックカフェものがたり」(amazon.co.jp) :「文鳥舎」などのブックカフェ・オーナーへのインタビューを中心に、開業講座、全国ブックカフェ・ガイド等を収録。
 ・「ブックカフェものがたり」紹介(Myブログ)
 

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山本有三記念館は、風の散歩道通り沿いの洋風建築

2006年02月04日 | 三鷹

(上)正面から見た有三記念館 (右下)庭側の外観

 三鷹駅からジブリ美術館に向かう玉川上水に沿った"風の散歩道"脇に建つ旧山本有三邸が記念館として公開されています。
 この洋風建築には「路傍の石」の作者として知られる作家、山本有三が昭和11年(1936)から昭和21年(1946)まで家族とともに住んでいました。大正15年(1925)築の建物は三鷹市の文化財指定を受け、当時の姿で保存され記念館として運営されています。

 玄関のドアを開けると正面の部屋が暖炉を備えた旧応接間となっていて、続きの洋間とともに有三関連の資料などの展示室となっています。2階には有三の書斎(和室)があり、当時の備品が資料とともに展示されています。
 建物の外観も邸内も大層立派なものですが、奇しくも同じ時期に、やはりこの三鷹村下連雀(ここから歩いて5分ほど)に借家住まいしていた太宰君とは、同じ作家でもエライ違いです(太宰が住んでいたのは昭和14年から昭和23年の没年まで)。

【開館時間】 9:30~16:30 入館無料
【休館日】 月曜日

(参考)
 ・地図情報: 山本有三記念館
 ・山本有三記念館公式サイト
 ・玉川上水と太宰治(当ブログ)

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太宰さんちの庭にあった百日紅(サルスベリ)が咲き始めた

2005年08月08日 | 三鷹


 いまの三鷹から、昭和十年代から戦後にかけての太宰が住んでいたころの三鷹を偲ぶことは難しい。(中略)
 ただ旧宅の右の門柱に沿って植えてあった百日紅だけは枯れもせず、かくべつ成長も見せず、当時のまま残っている。
「回想の太宰治」/津島美知子


 太宰治が彼の晩年に、奥さんの美知子さんと、まだ小さな子供たちと住んでいた三鷹の下連雀の家の庭にあったサルスベリの木が、すぐ近くの井心亭(せいしんてい)の庭に移植されていて、道路から眺めることができますが、ようやく一房の花が咲き始めました。枝にはつぼみがそこここに付いているので、これからどんどん花開くのを期待しているところです。

 井心亭から歩いて10分足らずの玉川上水沿いの太宰が入水した付近に太宰碑がありますが、ここにも百日紅の木が植えてあって、こちらの方は発育良好で満開の花を咲かせていました。

○百日紅(サルスベリ):ミソハギ科サルスベリ属
 百日紅(別名ヒャクジッコウと言う)の名は、夏の間中、花が咲き続くことに由来するのだそうです。
 
 
(参考)
 ・ 玉川上水と太宰治(当ブログ)
 ・ 三鷹 井心亭HP
 ・ 2005年の桜桃忌(当ブログ)
    
(地図情報)
 ・ 三鷹 井心亭(中央+印) 
 ・ 玉川上水沿いの太宰碑(中央+印)


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三鷹の古書カフェ「フォスフォレッセンス」は、太宰治にこだわりの店

2005年06月26日 | 三鷹


 
「綺麗な花だなあ。」
 と若い編輯者はその写真の下の机に飾られてある一束の花を見て、そう言った。
「なんて花でしょう。」
 と彼にたずねられて、私はすらすらと答えた。
「Phosphorescence」

「フォスフォレッセンス」(1947)/太宰治

 太宰治が最晩年に発表した短編小説のタイトルを、この古書カフェの名としていることから想像できるように、オーナーの方(女性です)の太宰ファン度は相当なもので、太宰が晩年に暮らした三鷹の地に開店するため、3年前に京都から移ってこられたとのことです。店は、太宰の墓のある禅林寺から道路に沿ってまっすぐ1kmほど南に下ったところにあり、すぐ隣が三鷹市立図書館という恵まれた(?)立地です。

 10人も入るとおそらくいっぱいという感じのこじんまりとした店内には、太宰関連本の棚もあり、太宰と彼の娘で作家となった津島佑子や太田治子の著書も並んでいます。太宰関連のイベントも時々企画されています。
 この日は、コーヒー(300円)と、ワッフル(350円)を頼み、「太宰治論」/奥野健男(太宰治に関する古典的評論)と、「Desolation Angels」(1965)/ケロアック(ケロアックは、アメリカのビートジェネレーションの代表的作家で「路上」が代表作)などを購入しました。

(参考)
 ・「フォスフォレッセンス」HP
 ・ 桜桃忌(当ブログ) 
 ・ 玉川上水と太宰治(当ブログ)
 ・ 「斜陽」(兄弟ブログ:tokiの映画・読書ノート)

(地図情報)
 ・ フォスフォレッセンス(中央+印) 


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三鷹 禅林寺での桜桃忌(6月19日)に参列しました

2005年06月22日 | 三鷹


 毎年6月19日の太宰治の命日に、三鷹の禅林寺で営まれる桜桃忌に参列しました。今年はちょうど日曜日で、梅雨の晴れ間でもあったので、例年に比べるとずっと参列者が多かったのではないかと思います。などと言っている僕も、実は初めてだったのでした。もっとも、この辺は普段の行動範囲内なので、太宰やはす向かいの森鴎外の墓には幾度となく訪れていました。
 参列者のほとんどが若い女性ではないかという予想は、残念ながら必ずしもそうではなくて、意外と老若男女ばらついていたと思います。
 何はともあれ、このところ太宰を読み返していて、自分の中で彼への思いが高まっている時でもあったので、タイミングよくお参りできたのはうれしかった。 
 晩年の太宰一家が三鷹に住んでいたこと(この地について好ましいことは書いていませんが)、そして家から歩いて10分もかかからない玉川上水で心中死したことで、三鷹駅前の通りと、上水の身投げの場所に碑が建てられています。三鷹駅前通りの碑(右)に刻まれているのは、「斜陽」の一節です。


(参考)
 ・ 玉川上水と太宰治(当ブログ)
 ・ 「太宰治を再読しています」(tokiの映画・読書ノート)

(地図情報)
 ・ 太宰の碑(中央+印:三鷹駅南口より徒歩約8分)と禅林寺(徒歩約15分) 

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玉川上水と太宰治

2005年02月22日 | 三鷹

(万助橋より見た玉川上水と井の頭公園)

 井の頭公園内を玉川上水も流れていますが、井の頭池とはつながっていません。神田川よりも玉川上水のほうがずっと周囲の自然が残されていて、自然探勝がお好きな方には、こちらの散策がおすすめです。
 以前、水源の多摩川上流の羽村取水堰から、久我山あたりで地下に潜ってしまう地点までの約25kmほどを、何回かに分けて歩いたことがありました。後日、その中のハイライトコースをいくつか紹介したいと思います。
 
 万助橋より約600m上流で山崎富栄と入水した太宰治は、1948年6月19日に公園より下流で遺体が発見されました。
 入水地点には碑が建てられ、太宰の写真と短篇「乞食学生」の一節が記されています(碑の写真クリックで拡大画像が見れます)。
 「乞食学生」には、以下のような文章もあり、当時の玉川上水は危険な川であったことが窺(うかが)われます。今や猫だって溺れるのは難しいと思う。

 万助橋を過ぎ、もう、ここは井の頭公園の裏である。私は、なおも流れに沿うて、一心不乱に歩きつづける。この辺で、むかし松本訓導という優しい先生が、教え子を救おうとして、かえって自分が溺死なされた。川幅は、こんなに狭いが、ひどく深く、流れの力も強いという話である。この土地の人は、この川を、人喰い川と呼んで恐怖している。

 現在、万助橋から三鷹駅までの玉川上水沿いの道は、"風の散歩道"と名づけられています(右の写真)。
 入水地点から当時太宰が住んでいた三鷹の家までは1kmに満たない距離です。遺体の発見された6月19日は奇しくも太宰の誕生日でもあり、彼の墓がある三鷹の禅林時では、毎年この日に桜桃忌が行なわれます。
 

(参考)
 ・ 三鷹禅林寺での桜桃忌(当ブログ)
 ・ 太宰さんちの庭にあった百日紅(サルスベリ)が咲き始めた(当ブログ)
 ・ 地図情報(中央の+印が万助橋)
 ・ 地図情報(中央の+印が太宰治の入水地点)
 ・ 地図情報(禅林寺:三鷹駅南口より徒歩約15分)