吉祥寺と周辺の街散歩

吉祥寺を中心に、中央線沿線の街のお気に入りの喫茶店、公園に咲く花、美術館、散歩レポートなどを紹介しています。

第1回神田川一気通貫25kmウォーキング(3)高田馬場-隅田川

2005年12月29日 | 神田川

丸の内線と中央線、総武線が交差する御茶ノ水駅付近

 昼食後、高田馬場のスタートは12時15分、残り9km余りを約2時間かけて歩いて隅田川に注ぐ神田川河口にたどり着く計画です。
 都電荒川線と交差する所(右)から江戸川橋に至る2km弱の川の両側にびっしりと桜が植わっていて、開花のシーズンには神田川随一のお花見スポットとなっています。今年は4月8日に満開の桜を眺めながらこの区間を歩きました。この区間だけでなく神田川沿いには桜の木が多いので、春の神田川ウォーキングはおすすめです。

 江戸川橋から水道橋駅近くまでは神田川の上を首都高速道路が走っています。
 日本橋川との分岐点を過ぎ、後楽園を左に見て、水道橋から御茶ノ水駅へは神田川全区間で唯一の上り坂となります。神田川が深い堀となって流れるこの区間は神田川を代表する絶景と言えるでしょう。

 御茶ノ水を経て聖橋を潜り秋葉原の電気街(右)を抜けると、しばらくの間、川は建物を隔てて見えなくなります。
 隅田川に近づくと、河岸に多くの屋台舟が係留されていて独特の雰囲気があります。神田川に架かる最後の橋、柳橋(下)の向うはもう隅田川です。

 高田馬場から飯田橋までは、シベリウスの交響曲第4番と5番がカップリングされているアシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏を聴きました('80年録音)。第4番は後期の交響曲の特色である精緻で抽象性の優った渋さが何ともいえず、後期の中では一番親しみやすい第5番はもちろん大好きです。
 最後の隅田川までの区間では、第7番と交響詩「フィンランディア」と「トゥオネラの白鳥」などがカップリングされたベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団の演奏を聴きました('72年~'74年録音)。最後の第7番は単一楽章で20分余りの短い交響曲ですが、後期の特色のエッセンスが詰まった奥深い曲です。


両国橋から上流の総武線鉄橋を臨む

  隅田川着は14時17分、井の頭公園を出発してからちょうど6時間でした。全25kmを自分としてはかなりのハイペースで歩いたつもり(5km/h)でしたが、足の裏が部分的にちょっと痛む程度で、足や身体の疲労感はそれほどでもありませんでした。今回予想以上に満足すべき結果となったのは、穏やかな天候に恵まれたことと、シベリウスさんの音楽のお陰だったと思います。
 隅田川に架かる両国橋を渡り、総武線両国駅から電車で帰途につきました。今回ちょっと自信がついたので、第2回大会では逆コースに挑戦したいと思います。

(参考)
 ・交響曲第7番他(ベルグルンド指揮ボーンマス交響楽団)

(地図情報)
 ・高田馬場駅~飯田橋駅の区間
 ・飯田橋駅~神田川河口の区間

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第1回神田川一気通貫25kmウォーキング(2)塚山公園-高田馬場

2005年12月27日 | 神田川

中野新橋付近からみた新宿高層ビル群


 塚山公園を9時30分に出発しました。次の目的地である地下鉄丸の内線 中野富士見駅までの5.5kmを1時間以内でクリアーしようと、自分としてはかなりのハイペースで歩きました。途中でへばったら近くの駅から帰るつもりでした。都心を通るルートだとこういう面で融通が利くので便利です。
 がんばった甲斐があって、中野富士見駅(右)には10時30分に到着、駅の自販機でペットボトルのあったかいお茶を飲んで5分休憩し、ランチ休憩を楽しみに高田馬場を目指しました。

 中野富士見駅から中野新橋駅近くまでは川沿いにビルや民家が建っているため、川が視界から外れます。赤く塗られた新橋からは川に沿った側道が復活しますが、新宿の高層ビル群を真正面に望みながら歩くこの辺りが、この区間のハイライトでしょう。一番高い双頭のビルが都庁舎です。
 新橋の次のさくら橋のたもとにジャズ喫茶の老舗"Genius ジニアス"があります(左)。以前は渋谷の道玄坂にあったお店がこちらに移ってきて、広くて明るい雰囲気の居心地のよい店です。今回予定より遅れた場合には、ここで昼食をと考えていましたが、10時50分の通過で11時の開店より早かったので、予定通り高田馬場で昼食としました。

 高田馬場駅前到着は11時42分でした(右)。今までのところ計画通り5km/hのペースはキープできています。
 昼食は駅前通りにあるカレー店"Spicy Spoon"で野菜カレー(750円、右下)を食べました。小食の僕にとっては結構な量でしたが、15kmを歩き空腹だったせいか難なく食べてしまいました。暖かいところにいると、さすがに気だるい疲労を感じますが、まだ足も痛くなく結構余裕があります。

 塚山公園から中野富士見まではシベリウスの交響曲第2番を聴きました。演奏はバーンスタイン指揮ウィーン・フィルの演奏を選んでみました('86年録音)。2番は7曲の中で最もポピュラーで、僕もクラシックを聴き始めた中学生の頃からドボルザークの"新世界"交響曲などと並んで大好きな曲でした。美しい旋律に満ちた華やかな曲で、最終楽章の盛り上がりは何度聴いても感動します。
 中野富士見から高田馬場までは、第3番と第6番がカップリングされたバルビローリ指揮ハレ管弦楽団の演奏を聴きました。どちらも7曲の中では目立たない曲ですが、1番、2番ほどの華やかさは薄れているものの愛らしい3番は好きな曲です。後期の6番では、前期までの息の長い旋律や金管の咆哮は影を潜めていますが、静かに初まり静かに終わるこの曲は、今日のような澄みきった冬の青空にマッチしています。

(参考)
 ・高井戸~永福町の区間紹介(当ブログ)
 ・永福町~中野富士見の区間紹介(当ブログ)
 ・交響曲第2番(バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)
 ・交響曲第3番/第6番(バルビローリ指揮ハレ管弦楽団)


(地図情報)
 ・塚山公園~中野富士見駅の区間
 ・中野富士見駅~高田馬場駅の区間

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第1回神田川一気通貫25kmウォーキング(1)井の頭公園-塚山公園

2005年12月24日 | 神田川

神田川の源 井の頭池(上・右下)


 神田川に沿って歩き始めたのは昨年の12月からでした。
 ちょうど1年経ったのを記念して、今まで細切れに歩いてきたのを、1日で全区間通して歩いてしまおうとふと思い立ち、12月23日に第1回神田川一気通貫25kmウォーキング大会を開催しました。
 奥さんに、"途中までどう?" と打診したら、"忙しいから"とのことで、第1回の参加者は1名ということになりました。
 今回は寄り道せず、ひたすら歩くだけなので、せめてBGMにこだわろうと、折からの大寒波の寒空に合いそうなシベリウスの交響曲全7曲を聴きながら歩くことにしました。

 全行程約25kmを5つの区間に分け、歩速5km/hのペースで休憩・昼食の計1時間を含め、6時間で隅田川に到達する計画を立てました。
 井の頭公園を8時20分に出発し、隅田川の神田川河口着は午後2時20分の予定です。
 ① 井の頭公園-塚山公園(杉並区):5.2km
 ② 塚山公園-中野富士見駅(丸の内線):5.5km
 ③ 中野富士見駅-高田馬場駅(山手線) :5.0km
 ④ 高田馬場駅-飯田橋駅(総武線):5.0km
 ⑤ 飯田橋駅- 神田川河口(両国橋付近):4.3km

 井の頭公園には8時過ぎに到着。井の頭池には薄氷が張っていました。右上は井の頭池から流れ出て公園内を流れる神田川です。
 予定通り8時20分にスタートしました。気温はかなり低いものの雲ひとつない快晴で風もなく、絶好のウォーキング日和です。

 塚山公園までの区間で聴くシベリウスの交響曲第1番は、LPで聴いていた時から馴染み深いバルビローリ指揮ハレ管弦楽団の演奏を選びました('66年録音)。1899年に作曲された第1番は、7曲の交響曲の中では第2番の次にポピュラーで、チャイコフスキーの影響が窺われるものの、民族的色彩を帯び哀愁に満ちた旋律などはやはりシベリウスならではのものです。
 左は井の頭公園からずっと神田川と並走している京王井の頭線高井戸駅の高架ホームと杉並清掃工場の煙突です。

 塚山公園(右)に到着したのは9時20分で、ぴったり予定通りでした(所要時間:丁度1時間)。
 でも最初はハイペースで飛ばし、時間的マージンを稼いでおくつもりで、かなり早足で歩いたつもりだったので、ちょっとがっくりでした。
 最後まで予定通りの時間で歩くのはかなりきつそうに思えました。

(参考)
 ・神田川の系統図(当ブログ)
 ・井の頭池~三鷹台駅の区間紹介(当ブログ)
 ・三鷹台~高井戸の区間紹介(当ブログ)
 ・高井戸~永福町の区間紹介(当ブログ)
 ・交響曲第1番(バルビローリ指揮ハレ管弦楽団)

(地図情報)
 ・井の頭公園~塚山公園の区間
 
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神田川と善福寺川の合流点

2005年04月16日 | 神田川

(下流から神田川:左 と善福寺川:右 を望む)

 地下鉄の丸の内線の中野富士見町駅(右の写真)手前で、神田川は善福寺川と合流します。善福寺川は善福寺池を源泉とし、荻窪、永福町付近を流れる総延長が約11kmの川です。
 次回は、いったん神田川を離れ、善福寺川流域の見どころとして善福寺緑地、善福寺池などを紹介します。どちらも桜が満開の時期に訪れました。

(参考)
 ・ 地図情報(中央の+印が合流箇所) 

東京メトロ「丸の内線」電車区

2005年04月12日 | 神田川


 地下鉄の丸の内線の中野富士見駅近く、善福寺川との合流点のすぐ手前の神田川沿いに電車区があります。
 丸の内線は、銀座線とともに最初期に開通した荻窪と池袋を結ぶ由緒ある地下鉄路線です。地下鉄でありながら、時々地上に出てくるのが魅力で、とくに御茶ノ水駅付近で、神田川を渡る赤い車両の丸の内線、オレンジ色の中央線、それに黄色の総武線が交差する景観は圧巻でした。
 丸の内線のトレードマークだった赤いボディーの車両も今はなくなり、没個性的な銀色車両に置き換わってしまったのは何とも残念です。

(参考)
 ・ 地図情報(中央の+印が電車区) 
 ・丸の内線の新・旧車両のメトロカード

東運寺(釜寺)と身代わり地蔵

2005年04月04日 | 神田川


 東運寺は環状七号線を渡り、上水橋を左に入ったところにある浄土宗のお寺です。
 本堂の屋根の上にお釜が置いてあることから通称「釜寺」と呼ばれています。寺の門前には、身代わり地蔵尊が安置されたお堂があります。

 「釜寺」の由来は、安寿姫と厨子王丸の物語りから来ていて、厨子王が山椒大夫に釜ゆでにされそうになったとき、一安上人が奉じた「身代り地蔵尊」が坊さんの姿になって助けたという守り本尊の言い伝えにちなんで、本堂の屋根に釜を置くようになったのだそうです。言い伝えはともかく、屋根の上にお釜というのは、なんともシュールです。

(参考)
 ・ 地図情報(中央の+印が東運寺) 
 


環状七号線地下にある巨大トンネル式神田川調節池

2005年03月27日 | 神田川

(上・右下写真:調節池への取入口)

 神田川の環状七号線地下調節池は、かつて"暴れ川"だった神田川流域の洪水を防止するために、環状七号線の道路下約40mの地下に作られた内径が12.5mのトンネル式の調整池です。
 トンネルの総延長は約4.5kmで、第1期事業の2.0kmは24万立方mの貯留能力があり、平成9年に完成しています。第2期事業の2.5km(貯留能力:30万立方m)は平成7年に着工し、平成19年度完成予定となっています。

 右の写真の建物は、環七沿いにある取水施設で、管理棟、機械棟、ゲート棟の3棟で構成されています。
 取水施設の機能は、豪雨で川の水位が高くなったら、上の写真の取水口から地下のトンネル調節池に水を一時貯水し、雨がやんで水位が下がったら、貯水した水をポンプで川に戻すというものです。
 将来的には、この地下調節池が延長されて、東京湾へと至る約30kmの地下トンネルとなり、東京湾岸では神田川、善福寺川、石神井川など、10河川からオーバーフローした水が海へと放出されるとのことです。  

(参考)
 ・ 地図情報(中央の+印が調節池管理棟の場所) 
 ・調節池の構造図(取水施設前の説明板より)
   ① 水平断面図
   ② 垂直断面図 
  


龍光寺の八十八箇所巡り

2005年03月22日 | 神田川


 京王井の頭線と別れを告げてから200mほど歩き、宮前橋を左に行くと龍光寺と熊野神社が並んで建っています。
 龍光寺は真言宗の寺院で、本尊の薬師如来立像は平安時代末期(十二世紀後半)に造立されたものだそうで、江戸時代には難病にご利益のある薬師如来として信仰あつく、護摩の煙が絶えなかったといわれています。寺号の「龍光」は、井の頭池に住んでいた巨大な竜が川を下ってきて、この付近で雷鳴をとどろかせ、光を放って昇天したことに由来するとのこと。

 石段を登って入る境内には「新四国八十八箇所和泉霊場」があって、八十八体の石仏が数メートル間隔で並ぶ細い道を念仏を唱えながら通るのだそうです。石仏の高さは40~50cm位で、それほど古いものではないようです。霊場は土・日・祭日のみの開場となっていました。 

(参考)
 ・ 地図情報(中央の+印が龍光寺) 
 


井の頭線とお別れ

2005年01月26日 | 神田川

(井の頭線と交差する神田川)

  源流の井の頭池から付かず離れずだった京王井の頭線でしたが、永福町-明大前の間で交差し、井の頭線は渋谷へ、神田川は西新宿方面へと向かいます。この辺りが井の頭公園から約7kmで、隅田川までは約18kmあまりの地点です。
 右の写真は、永福南小学校付近を流れる神田川です。

 次に紹介するのは、善福寺川との合流点近くの丸の内線、中野富士見町駅前までの約2.5kmの区間です。


(参考)地図情報: 永福町-中野富士見町の区間

樋口一葉の墓 築地本願寺和田堀廟所

2005年01月22日 | 神田川

 神田川沿いに建つ永福南小学校の脇の道を抜け、高速道路下の国道20号に出て明治大学和泉校舎に向かって行くと、明大の手前に一葉の墓のある築地本願寺和田堀廟所があります。最寄の駅は永福町駅ではなく、京王線の下高井戸あるいは明大前駅となります。

 「にごりえ」、「たけくらべ」などの名作を遺し24歳の若さで世を去った一葉の墓がこんな所にあったとは意外でした。新五千円札の肖像に採用されるなど一葉ブームの折から訪れる人も多いのか、一葉の墓への案内板がありました。

 この廟所(びょうしょ)には、歌人の中村汀女、作曲家の古賀政男、服部良一、新派女優の水谷八重子、作家の海音寺潮五郎などの著名人の墓もあり、中村汀女の墓碑には、"雪しづか愁なしとはいへざるも" と刻まれていました。  

(参考)
 ・地図情報(築地本願寺和田掘廟所)
 ・築地本願寺和田掘廟所の墓レイアウト図