ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

旅立ち。

2013-04-14 08:22:51 | 日記
NO-331
昨日、みなさんの祈りもむなしくジャックは旅立った。

保護した時のジャック。

朝の首都高速で渋滞に巻き込まれ、25分遅れた分だけ間に合わず病院に着く25分前の午前11時20分に逝った。

僕は良くなっていると思い軽い気持ちでお見舞いに行ったからガクッと力が抜け、ジャックの死を信じる事が出来ず「数値が良くなっているんじゃなかったんですか!」と先生に食ってかかってしまった。

先生は僕をじっと見て「数値は良くなっていたのですが、多臓器不全で運ばれた時の体調が悪すぎました。手は尽くしたのですが、申し訳ありません。」と・・・

先生は悪くない。いろいろ手を尽くしてくれたのは分かっていたのに、申し訳ないのはこちらの方だ。

「生存の可能性は10%です」と病院に駆けつけたときの見立て通りになってしまい、ボー然とし僕は待合室のソファに座りこんだ。


初めて会った時の彼は食べたいと意欲を見せていたが、食べることが出来ずにいて入院してからも全く食べられないので、強制給餌で
何とか生きていた。

彼の体はガリガリそして肝臓腎臓不全・低体温症に貧血・その他にも問題を抱えていて、生きることが苦しかったはず。

彼が生きたいという意思を見せてくれた3日間だけで、良く頑張ったな!と言ってあげたい。

手術室にジャックが運ばれて来た時に、彼は寝ているような顔をしていたのと手術した右ほほがきれいになっていたので、「ジャックの馬鹿!あの世に行くのに顔をきれいにしたかったのか?」と心の中でつぶやいてしまった。


横浜の家に来て休んでいるジャック。

ジャックを引き取り、脱力感を抱きながら悲しみの時間を彼と共有した。僕は何度も彼に語りかけた。返事もしてくれないのに・・・

静岡のゆかさんとみっちゃんが夜10時半を過ぎた頃ジャックを迎えに横浜に来てくれた。今日は彼のお葬式です。二人は火葬の手配を取ってくれていてジャックの事を何から何までしてくれた。

故郷富岡町の残された動物のために力を貸して下さり二人に感謝しています。

全国のみなさん、ジャックのために祈って下さいまして本当にありがとうございました。

ジャック、本当に良かったな。みなさんに心配してもらって・・・












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ジャックと桜。

2013-04-13 06:52:30 | 日記
No-330
ジャックは昨日も生きた。生存の確率10%の淵から、こちらの世界にまだいたいと小さな体で彼自身が命がけで闘っている。

内臓に多くの疾患を抱え顔の怪我よりも深刻な病気と闘っている。ジャックは肝臓も腎臓もボロボロでよく生きていたよ。


術後のジャックの顔。

昨日、ゆかさんから「自分では立てないでいて横たわっているが、運び込まれた時より内臓疾患の数値が良くなっていると鈴木先生に言われた。」と聞いた。

術後の11日は10%・12日は20%・今日の13日は30%にジャックの生存確率は上がったと思いたい。


今日の写真は富岡町の夜ノ森桜。

ジャックの手術後3人でここに行ったが、地元民の僕だけはがっかりして疲れが一気に出ました。

爆弾低気圧が通った後に行ったからと思っていたわけだが、桜を見て来たと義母に電話をしたら「桜を見に行った人はみんながっかりしてる。」と・・・

何で?と聞いたら「桜の木は毎年花が咲き終わったら枝の手入れをしてもらったり、病気の木は手厚く保護され手をかけられて来たのに、原発のせいで何もされねえから木がダメになっただよ」と嘆いた。

僕はそういう事で桜の花が貧弱に見えたのだと分かり納得したわけだが、義母は「人も木もみんないっしょだぁ~手をかけて育てないとだめなんだぁ~」にさらに納得。


2.5kmに渡って見事に咲いていた桜の道も途中でこの先から帰還困難区域ですの看板とゲートでさえぎられているから数百メートルしか見れないし、このゲートにもがっかりした。

町にはこの帰還困難区域の看板とゲートがあちこちにあり、立ち入れないところが多く第3の松村牧場にも普通にははいれない。

今から代表の松ちゃんの所に行って石松君にお帰りの挨拶と入院しているジャックのお見舞いに行きます。それではまた。





















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一日延びた寿命。

2013-04-12 06:28:50 | 日記
No-329
ジャックは手術後の昨日、生きていた。健心堂の鈴木先生の懸命の施術と投薬治療でどうにか一日もったが、「本当のやま場は今日かも知れない」と福島に一日泊まって病院に行ったゆかさんから昨日電話をもらった。

彼女の言葉に「えっ!」と言葉に詰まった。10日がやま場で11日から心配しなくていいんじゃなかったの???と・・・今日は術後二日目の朝になる。

まだ緊急の連絡はないから今日もジャックは生きていると思う。まだこの時間じゃ病院も開いてないし今は分からない・・・

健心堂の鈴木先生は低体温のジャックの体をドライヤーで温めてくれ38度くらいまで上がったが、少し経つと下がってしまうので常に体を温めてくれたと聞いた。先生、本当にありがとうございます。本当にありがたくてジーンとくるものがあった。


昨日、ゆかさんが送ってくれた写メで手術後一日目のジャック。

おしっこも少しだが出ていると言うし、ゆかさんが病院に着いた時には「ニャーォ・ニャーォ」と声を聞いたらしく大丈夫な予感がするのだが、今は立つことも出来ないらしい。


手術前は右顔面が腫れて膿が目から鼻から出ていて大変だった。臭いも強烈だった。

餌は強制給餌で栄養を取っているようで、午前中まではジャックは自分で食べようと立ち上がってその意思を見せたとゆかさんから聞いた。がんばれ!ジャック!負けるな!ジャック!

10%しかない生存率でも助かる命は必ずある。一日延びたから20%の確率に上がったと僕は勝手に思っている。小さな体で懸命に病気と闘っているジャックに、今はゆっくり静養してくれと言いたい。

やま場を一日だけ伸ばしたジャックに喜びは50%です。これが明日は60%・明後日は70%と上がってくれたらいいなぁと強く思っています。でも小心者なので、正直今もハラハラしています。

話は変わって代表の松ちゃんは、石松と共に富岡に帰って来た。石松お帰り!もう、ちょろちょろして保護されるなよ!


僕に腹をさすられてご満悦の石松。去年の写真です。

そしてもう、松ちゃんとみんなに心配かけるなよ!と石松に言わせて頂いて、今日はこの辺で失礼します。










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一つの命。

2013-04-11 00:11:36 | 日記
NO-328
昨日、朝三時に起きて静岡の友人を待ち横浜に到着後、そのまま富岡町に向かった。代表の松ちゃんに3人で会うためだったが、ブログを更新出来なくてごめんなさい。

そんな朝を迎えたから昨日一日はとんでも無いハードな一日になった。今日のブログは長くなるけど付き合って下さい。

富岡に入る前に松ちゃんの昼ご飯を用意しようと彼に電話をしたら、「今、長岡に居るんだ!自分の犬が見つかったんだ」と。

愛犬アキの子供の石松が新潟にいると連絡があったみたいで、急きょ新潟県に向かったのだった。これはこれで嬉しい知らせで、本当に良かったです。

こちらは横須賀の小学生の手紙を渡すことと静岡の松ちゃんの応援団リーダーと会わす目的で行ったのだが、横須賀の小学生のみなさん渡せなくてごめんね。今度きっちりと渡しますね。

松ちゃんに会えないと分かり富岡の風景を見せてあげようと駅に向かったら、一匹の猫に出会った。これが一日の始まりだった。今日は写真を見て下さい。

この子と出会ってから4時間後に3人でぐったりとし、疲れと何かが一気に出ました。長い一日だったと思います。


朝10時ごろ富岡駅前に着いた。車を下りたら「ニャ~ニャ~」と猫の声がするではないか。横たわって日向ぼっこをしていると僕らは思ったが、強制避難区域だったここに猫が!!!驚きだった。


おかしいとすぐに思った僕らは猫を呼び寄せた。びっくりすることに猫はすぐ自分の足でこちらに向かって歩いてきた。


この時、すでに同行していたゆかさんが「この子見てられないよ~」と泣き出した。乾燥餌は食べられない姿だったので、水気のあるウエットタイプの餌を与えるが舐めるのが精いっぱいで食べられない。


それもそのはず、右半分が変形していて口を動かすことも出来ない顔だった。目からは膿みが出て強烈なニオイ。富岡駅には観光気分の人間が何人かいたが、そんな猫には関心など全く寄せない。

もちろん、この子を見ればみんな怖気づいて逃げ出しただろう。こんなひどい猫を僕は見たことが無い。身体はガリガリでほとんど数日間餌を食べてはいなかったと思われる。いや食べられなかったのだろう。

ここで、どうするか3人で話した。「まず脱水症状が出ているので水分を与えよう」と。それでポカリスエットと水を用意するため自販機の無い富岡町で行きつくところは松ちゃんの家しかないと代表の家に向かう。

新潟にいる代表にすぐに電話を入れ、了承をもらいポカリと水で薄めた水を与えるが全く飲まず・・・ゆかさんが言った。「脱水症状がひどい!病院に連れて行かないと危ないかも」と・・・

猫や犬を追いかけて保護するスタイルしか経験がなく、今回のケースは3人一緒だった。焦った・・・あちこちの病院に連絡を取るが緊急で対応してくれる病院はなかなかなかった。


最後の電話で対応してくれる病院にたどり着き、富岡から一時間強の時間を掛けいわき市小名浜の健心堂病院に着いたのだが、3人とも狭い車の中での猫の膿みの強烈なニオイに参っていた。


病院の先生はさすがに的確な診断をしてくれ「命の補償は出来ない」とすぐに言われた。獣医さんの経験で、こんなにひどいのもまれだったのだろうと思う。

僕らは途方にくれた。どうしていいのか分からなかった。それでもこの子の命がつながるなら何をしても助けたくて、先生にお願いした。何とかして助けて欲しいと。


ここからが長かった。膿みの出ている顔の皮が硬くて注射が入らないし、太い注射器に替えたら今度は痛くて暴れるし、注射器一本では膿みを洗い流せず二本目の注射はさすがに太かった。

全身麻酔をしたら体力的に持たないだろうし、命がなくなるからと先生は説明してくれ局部麻酔に切り替えて処置してくれた。

麻酔が効かなくて猫も痛かっただろう。それでもよく耐えてくれた。顔にチューブを通して膿みを出しやすいようにするための手術が、こんなに大変なのかと思ったくらい猫は暴れた。

手術中に立ち会ったみっちゃんは、猫が暴れ無いように身体を押さえつけてくれたが、強烈な膿みのニオイのため吐き気がひどかったのか顔をそむけて手術を見ていなかった。



猫もぐったりである。でもきれいに膿みを出してもらって顔の腫れが引いた感じだった。目が見えなくなっていると思ったが、目に異常はなくて良かったです。僕は片目のジャックってこの子に名前をつけていたから。。。



先生は血液で猫の状態を調べてくれた。ここに大きな問題が・・・・




詳しい人ならこの数値がひどいものだと分かると思います。

先生に言われた。「今日が山場で生きられる確率は10%です」と・・・その言葉に、さすがにがっくりと来た。

先生は続けた「低体温で、肝臓もやられていて黄疸症状が出ている。腹膜炎も起こしていて腎臓もダメで自分でおしっこを作ることが出来ず、水分を与えすぎると血の濃度が低くなり貧血を起こして死んでしまうし、基礎疾患があまりに多く余談を許さない」と。

帰って来た今も風呂を入る前の僕のにおいが猫の膿みの臭いでちょっと匂う。この後また一時間かけて富岡に戻り約束の桜を撮りに行くのだが・・・これはまた書きます。

出会った猫の事が一時も頭から離れず心配でたまらない。先生は今日が山場と言ったから疲れて帰って来てもその後の電話を待っている。

電話は来ない大丈夫だ!と自分に言い聞かせて僕は一縷の望みを持ってこの子の無事を祈る。絶対に助かると。

一つの命を守ることがこんなに難しいなんて・・・真剣に動物の保護されているボランティアの皆さん、本当にありがとうございます。みなさんに感謝して一日の終わりとさせて頂きます。



























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嬉しい郵便物。

2013-04-09 06:08:53 | 日記
NO-327
昨日、帰って来たら嬉しい郵便物が届いていた。横須賀市立久里浜小学校4年3組の生徒のみなさんからの手紙で、いやぁ本当に嬉しかった。



大友由紀子先生、長塚淑江先生、そして29名の生徒のみなさん、ありがとうございました。明日、富岡町へ行きますので、みなさんの手紙を必ず松村代表にお届け致します。

一部ですがご紹介させて頂きます。(クリックすると大きな画面に代わるので読んであげて下さい。)


こういう贈り物はいつ貰っても嬉しいものです。他にもたくさん、松村さんは凄い。やさしい人とかこれからも頑張って下さいなどエールの手紙を頂きました。

先週地元の桜が満開だとメールをもらったが、一昨日の爆弾低気圧で花も散ってしまったと思うから花見は期待できないが、代表を応援してくれている人を連れて行くので、その時にこれを渡したい。

少しは桜に期待しているけどね。


この柵で仕事をしているとなると手渡しできない可能性はあるが、まぁ何とかなるだろう。

子供たちの記憶の奥に原発事故と放射能。たくさんの動物たちの死。放射能の中で動物を助ける松村代表。今苦しんでいる福島の姿が残る。これほど凄い事は無い。

教育って本当に大切だけど、被災地富岡町で残された動物保護をしている松村直登代表と大地震・大津波・原発事故で被災した町の姿を学校で教材として取り上げて下さった大友先生、本当にありがとうございました。

これからも写真を小中学生のみなさんに見てもらいたいと思うし、機会あればどこにでも行って3.11から今までの二年を話してみたいと思う今日この頃です。

負けない東北!がんばる福島の松村代表をこれからも応援して下さい。宜しくお願いいたします。









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ついに。

2013-04-08 06:12:55 | 日記
No-326
先週末、ある方から電話を頂いた。それは以前、富岡町を放浪していた犬の事だった。

代表の松ちゃんも先週会った時に、「犬はもう見なくなった。だいたい、声を聞かねえんだ。」というくらいだから、本当に犬は少なくなっているのだと思う。


この子の事である。

現在、福島県田村市三春町のシェルターに保護されているという知らせで、その方は保護された時の状況までも詳しく話してくれた。

この子は犬猫ボランティアの人から常にマークされていて何度も捕獲の手から逃げて捉まらず、人間でいうと指名手配されているような子であった。

環境省の犬猫一斉捕獲作戦は今まで何度も行われたが、その都度この子はそれを逃れていて知る人ぞ知る名犬?だったのだ。

業を煮やした人間が取った最後の手段は、ランチャーを使ったらしく銃を使って網(ネット)を飛ばしそのネットに包まれて御用となったと聞いたが、ランチャーにはさすがに勝てなかったんだなって思った。

獣医さんが診て「まだ2歳くらいだから震災後に生まれた子ではないか?」との事で、人間を知らないで育ったらしくシェルターでは、まだ人間に懐いていないようだ。

餌はかろうじて食べているが、ショックからか?外に出てこないので散歩もしていないらしい。


いつも2匹で一緒にいたこの子は、まだ捕獲されていないと話してくれました。この子も仲間がいなくて寂しいだろうなぁ~と思う。

いずれにせよ保護されて幸せに生きてくれれば嬉しい。いい里親さんに出会って犬たちも安心して暮らせるようになって欲しい。

双葉郡の犬・猫を保護されている全国のボランティア様に感謝します。そして、900匹以上の犬猫を救って下さったUKCジャパンの細さんありがとうございます。みなさん、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。














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それぞれの春。

2013-04-05 06:08:54 | 日記
NO-325
先週の富岡の雨は霙交じりの雨で顔にあたると痛くてもうすぐ春なのになんで~!!!と思ったが、夜ノ森の桜がまだつぼみで開花していなかったので花開く前で良かったと思った。


牛たちは霙交じりの雨をまるでシャワーを浴びるかの如く、ずっと外でくつろいでいた。これは食後の休憩タイム。

震災から2年が経ってそれぞれの春を迎えるが、人にも動物にも同じ時間が流れて行く。

流れる時間は万物共通で、同じ時間の中でそれぞれ違う生き方違うドラマがある。



同じ時間に餌の場所二ヶ所で群れから離れてロールわら餌を食べる牛。

僕は、やっと長いトンネルから抜け出せそうな毎日を過ごしている。もちろんまわりのみなさんの叱咤激励があっての事で、それには感謝。

やるべきこと。やらねばならないこと。とにかく宿題みたいなものがたくさん目の前にあればやらざるを得ないが、うちの代表の毎日に比べればなんてことない。

共同通信の原田さんの写真を見たが、雪の中の彼と動物たちを見てめちゃくしゃ感動したし本当に彼は凄いと思った。

いつも彼は何かをくれる男なのだ。だからみなさんには、これからも応援してほしいです。


これじゃぁ美男子台無し!ヤマの髪の毛、そろそろ松ちゃんに切ってもらった方がいいと思って撮った。牛の方に気を取られていたらこの後、ヤマにジャンパーを食まれた。(笑)

明日から出掛けて来週はまた富岡に走り仕事と両立させながら動くのだが、自分の周りで入院しちゃった人や体を壊してしまった人が多いのでペース配分には注意したい。

お金はなくとも健康が一番。みなさんも健康第一ですから、小さなことでくよくよせず、これからも一緒にがんばりましょう。では、また来週。















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町の再編に。

2013-04-04 08:08:28 | 日記
NO-324
先月の25日に故郷富岡町は3つの区域に再編され自分の家の付近は居住制限区域になり町への立ち入りが自由になったのだが、さすがに復興を考えると相当な時間がかかるだろうと思う。


瓦礫だけが撤去された駅前の商店の姿。


駅前のお店や住居は津波被害で至る所でその被害を受けた。


自分が家を建てる前に住んでいた住宅は見る影もない。ここに住宅が4棟あったのだが津波ですべて流されていた。


住宅の前にあったホテルもこのような姿に。


あちこちにある瓦礫がそのままの状態で3.11の記憶を甦させられる。

隣の楢葉町に自分の町の復興を真剣に考えている知人がいるのだが、富岡町の復興のヒントになるものがあればと最近は頻繁に連絡を取り合っている。

富岡の場合は楢葉町より放射能汚染が高い数値なので、双葉郡の復興を考えると汚染の軽い楢葉町や広野町を中心に復興するのが一番だと考えている。

先週、松村牧場に行って来たが第三の柵の牛たちに会えなかった。2月4日に安倍総理の奥様が見えられた柵なのだが、帰還困難区域に指定されていて普通には入れなかった。


3月25日までは入れたのになぁ

今までは普通に一時帰宅の通行証で入れたから何も考えなかったけれど、こうした事に直面すると町の分断はやはり心の奥で引っかかるものを感じた。

松村牧場の牛たちや松っちゃんの事や変わりゆく町の姿をこれからも書いていこうと思う。町は3つの区域に再編されましたが、今までと変わらない状況にあります。

みなさん、これからも富岡町と命を繋ぐ男・松村直登の応援を宜しくお願いいたします。



















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イノブタと遭遇。

2013-04-03 07:50:50 | 日記
NO-323
みなさん、おはようございます。今日の天気は大荒れとのことですが、今から出掛けるのに大風が吹いて危なさそう。

昨日紹介した南相馬の方のTシャツのサイトご紹介させて頂きます。なめんなよ福島とかいろいろなデザインがあるようなので、他のも見てあげてください。

こちらがそのサイトのURLです。http://fucktee.cart.fc2.com/

今日の写真は、数日前に富岡町で出会った臨月間近のメスのイノブタを紹介します。まさか、住宅地のこの場所で野生のイノブタ?と遭遇するとは思わなかったです。

普通、都会の住宅地にイノブタがいたとしたらそれはそれで大騒ぎになると思うのだけど、誰もいない町になっているからそんなに驚くことも無いかもしれないけど、びっくりしました。


車を走らせていたら住宅地のごみ置き場で何やらごみをあさっている黒い生き物が。2年前の震災直後のゴミだから餌になる物は無かった様子。


次にどこへ行こうとしたのか?身体がとても重そうで動きが鈍かった。


「えっ、こっちに向かって来た~」でも全く怖くない。あまりに遅いノロノロ歩きで全く迫力無し。


目と目があったから「おい!」と声を掛けたらこっちを少し見たくらいで僕を無視してそのまま右へ。


ブランコのチェーンで分かると思いますが小さな公園に入りこちらをジロリ。お腹がパンパンでした。


この看板通りですね。一匹だけで他にオスもいなかったですが、野生のオスとは対峙したくないなぁと思いました。

群れを成して移動しているイノブタは、田んぼや林の中、山林の中で元気に駆けずり回っていると聞いたけど、さすがに住宅地をさ迷っているイノブタと遭遇したのは初めてでした。

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名古屋の続編。

2013-04-02 06:29:07 | 日記
No-322
やってくれるなぁ~。必殺仕事人ならぬ必殺仕掛け人名古屋のめぐみさん恐るべし。僕の携帯にその写メが届いた時、送ってくれためぐみさんの友人が「あいつはアホかも?」と(笑)マーク付けてあった。


問題のTシャツ。F*CK YOU WE'RE FROM FUKUSHIMA ロゴがかなり過激で絵柄は事故を起こした福島第一原発の爆発で建屋が吹き飛んだ発電所の精巧な絵柄である。彼女は、このTシャツをスタッフの全員に着させてしまうのだ。スタッフさんとうちの代表の写真。

このTシャツを着て町を歩いていると、「よく外人さんに写真を撮ってもいいか?とかそのTシャツどこで買ったのか?と聞かれるの」と彼女が言っていたTシャツなのだ。

海外で有名な松ちゃんこと松村代表に、これを着せてしまうなんてかなりやばいです。海外から注文が殺到するかも?静岡の画廊でもこのTシャツは好評で、スタッフのみんなにも着せてしまう人なのでまさかと思ったけど、本当に着せてしまった。


募金活動している時は、いつもの彼のトレードマークの作業着姿だから良かった。

このTシャツを作った方の物語がまたいい。同じ被災した南相馬の出身で東京で仕事をしていたが、故郷で農業をして暮らすため一大決心をして帰郷し、その準備をしている最中に原発事故に遭い住む家も一時追われ耕す田畑は放射能汚染で失うものが多かったと思う。

それでもこの地で暮らすと決めて南相馬に戻り、原発反対を訴えている人だと聞いた。とても物静かな人らしいのだが、寡黙なところは松ちゃんに似てるかもしれない。

このTシャツは、インターネット販売で商品1500円と送料500円で売られているそうです。そして売り上げの利益を震災で親御さんを無くされた子供のために全額寄付しているとの事。

Tシャツをを仕入れている名古屋のめぐみさんは送料込みで2000円で販売しているのは同じなのですが、そのうちの500円を福島の被災家畜のために寄付されています。

みなさんも原発に反対の人・シャレで来てみたい方は是非、注文して下さい。


名古屋駅前のタワービル

話は変わって名古屋駅前募金活動のご報告をさせて頂きます。小さなお子様や小学生・中学生のみなさまからお小遣いの一部を頂きまして小銭の集計が大変だったと嬉しい悲鳴を上げたスタッフさんたちから今日届きました。 

3月31日の募金合計は193,829円でした。募金は大切に使わせていただきます。名古屋のみなさま本当にありがとうございました。



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名古屋に感謝。

2013-04-01 05:08:26 | 日記
NO-321
昨日、一昨日と名古屋駅前にてUKCジャパン様とがんばる福島の両団体で街頭募金活動をさせて頂きましたが、名古屋の仕掛け人!井上めぐみさんから「人もたくさん集まって良かったですよ!」と夕方連絡をもらった。

そして街頭募金活動の写真を送って下さいました。


僕のブログを見て三重県からこられた方もいらっしゃるとめぐみさんから聞いて嬉しかったです。三重からお越しくださいましてありがとうございました。

こうして福島の被災地の広報が出来ることを嬉しく思っています。うちの代表も朝3時に起きて新幹線の始発に乗り6時間かけて名古屋に来て、新幹線の最終に乗り福島への日帰りでの活動だったそうです。

募金して下さいました皆様に、NPO法人がんばる福島の松村代表に代わりましてこの場を借りて厚くお礼申し上げます。みなさん本当にありがとうございました。



今回の街頭募金活動でたくさんの小学生や中学生、もっと小さなお子様のみなさんが募金をしてくれたとお聞きして、本当にありがたいと思いました。



僕が初めて募金活動した時、小さな子がこぶしを握り締めて募金箱の前に来て、十円玉や百円玉を募金箱に入れてくれた姿を目の前で見たときの感動は忘れません。

お小遣いの中から募金をしてくれたお子様や小中学生のみなさまにも感謝いたします。名古屋の子供たちのみんな本当にありがとう。


名古屋の井上めぐみさんをはじめ、お手伝いして頂きましたスタッフさんのみなさま、そしてタッズ母(UKC細代表の奥様)お疲れ様でした。そして本当にありがとうございました。

皆様からの募金は、大事に使わせて頂きますのでこれからもご支援ご協力何卒よろしくお願いいたします。











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