ときぶーの時間

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今、立ち上がろう!

2012-03-01 08:56:02 | 日記
NO-89
昨日の雪に驚いた。横浜でも朝から降り続け、都会で積もった雪にまだ冬なんだな~と感じた。雪は大嫌いだから一日中家の中にいたが、昨日の名刺交換させて頂いたメディアの方からのメールや電話の対応に追われた。

 僕は自分の車の雪化粧を見て出掛けるのを断念。

その頃、強制避難区域の松村直登もやはり雪と戦っていた。富岡から20km離れた所で3km位の道のりを3時間もかけて、警察官の誘導を受け、右へ左へと誘導され前の車やトラックも動かずに午前中に出たのに、富岡に着いたのが夕方の5時頃だった。

鉄人の胃袋もエンジンの振動と身動き取れない姿勢できりきりしたそうだが、おまけの話がついて彼は雪のその道で側溝にタイヤを取られ身動きが取れなくなっていた。ガソリンの心配もしていた彼に、30分後にようやく通りかかった人の手を借りて助けてもらい、やっとの思いで脱出したらしい。

昨日の僕は、外国人特派員協会の記者会見場で松村の会見を友人に撮ってもらったビデオを家で見て、彼は確かに原発事故の被災者の代弁をしていたと納得。「今、被災者は、みんな疲れ切っていると・・・」

自分の言った事を通訳が話すのをじっと聞く松村直登。

「今までのコミュニティも、仕事も、家も失い、中には家族もバラバラに暮らしている人もいて、あの狭い仮設住宅で暮らし病気になって亡くなるいる人もいる」という。そんな被災者の代弁を彼はしっかりと言った。

「東電も国も何もしない!国と東電は補償のなすりあいをしていて住民の事など考えていない!」と。地元のみんなが言っていた「俺らの町で発電して電気は全部東京に送っていたのに、この原発事故のおかげで苦しむのも俺らかよ!」という地元被災者の恨みつらみもはっきりと言った。

あれから1年になろうとしているのに、富岡町は壊れたままの状態で何も変わっちゃいない。人も一人しかいない廃墟の町を彼は、除染をしてみんながいつか帰れる日を本当に夢見ている。

この1年、国と東電が何をしたのだろうか?彼は、「被災者の補償を早く何とかしろ!」と東電に言った。地元福島の被災者も「歳をとって死んでいく人が出ると金を払わなくて済むからそうしているのか?」と言わせるくらいひどい状況なのだ。

彼はこうも言った。チェルノブイリの次に、アメリカのスリーマイルの事故。そして今回はフクシマの事故で人間は3度の大きな事故を起こしたのに、その教訓を得ていない!だから、こんな事故はまた必ず起こる。危ない原発に絶対反対すると。

 この日は、最初から最後まで外国人記者に追いかけられた松村直登。

残された動物のことやこれからの事など、やらなければならないことがたくさんあるけれど、今の僕たち被災者は団結して自分の生活保障や帰れなくなった家や自分の財産を守るべきだ。我々、住民をないがしろにしている東電と国にはっきり言おう。

福島の被災者のみんな!一緒に立ち上がろう。みんなで立ち上がったら絶対に何か出来るよ。もう、我慢しないで声に出して言おう!今、被災地8町村が一つになって行動を起こす時だと僕は思う。




コメント (5)
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