リカバリー志向でいこう !  

精神科医師のブログ。
弱さを絆に地域を紡ぎ、コンヴィヴィアルな社会をつくりましょう。

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精神医療

2008年05月04日 | Weblog
アリバイ作りのような、もっともらしい医療につかれ果てた。
仕事との患者さんとの距離の取り方がわからず消耗してしまった。
肉体的、精神的に限界だった。
セルフケアの方法もわからず、ラインケアのない中で燃え尽きてしまった。

いろいろ考えた末医療の原点を求めて、佐久病院を離れ精神医療の現場に来て1ヶ月がたった。
精神医学、精神病院改革を志すものには、一般社会の革命を志して挫折したもの、あるいは中途で革命に失望したものが多いという。(分裂病と人類 中井久夫)

今思うと、ここへ至るのも必然だったような気がする。

精神科というのは究極のニーズの科だ。
リハビリテーション以上に。
視点を低くして、人間を、社会を観察するにはうってつけの場所ではないか。

精神医療も、生物学的視点から診断し、薬物などを利用して治療というモデルを相手にして、生体と環境のせめぎ合いを相手にするところは間違いなく医療の一分野である。

そしたし精神疾患は、なおるものばかりではないから障害、しかも見えない障害を相手にする。
家族や会社、社会といったシステムへアプローチする。
いわゆる社会療法だが、そういった社会運動的な側面もある。

外来、病棟、訪問、ディケア、地域での活動にいたるまで幅広い。

他の科がみることを拒む、どんな困った人でも、「それもありか。」といったん受け入れる。
その上で、振り回されず、プロフェショナルとしての距離を保つ。
こちらからは捨てることない。
治療者がしっかりとした座標軸になって、その人がこれまで生きてきた時間、いま生きている空間のなかで物語を作り、よりよいあり方をともに探る。

さまざまな職種がそれぞれの立場から関わる。
そのなかで医師の立ち位置は、身体管理ができる、遺伝子から社会制度までいちばん全体が見渡せる。
最終責任が取れる(とらされる)ので、診断や、入院や、薬や侵襲的な手技などの道具が使えるというところだろうか。
多くの職種が関わり、障害を相手にし、他の専門科を含め、あらゆるリソースを動員する。

さて精神医療の周辺には精神医療を利用しながら生きている人たちがいる。
精神医療ユーザーということばもあるように主体的に利用している人から仕方なく利用している人まで様々だ。
しかし、あくまで道具として利用しているというスタンスが他の医療分野以上にはっきりしている。

精神医療はリハビリテーションと同じく医療のアプリケーションというよりはOSに組み込まれるべきものであると思う。