Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

ついにセンターの日がやってきた!

2009年01月17日 | Weblog
今、プラごみを捨てにいったら
車の上に氷ができていた。
太陽はでているが、えらく冷える朝である。

今日から、大学のセンター試験だ

がんばれ!がんばれ!

私は、センターをうけたことがないので
どういう問題なのか?そして、の受験システムが
何回きいてもわからない。

私の願いは一つ。
無事にうけること。
点数より、体調よく、ストレスができるだけ
すくなく、快適にうけること。

昔だって、受験は、大変、体力がいったものだ。
あの年頃だったから、受験できたのだろう。
今だったら、最初に、退場してしていまう。
(あの年齢でも、あまりにも歯がたたないので
退場してしまった大学があった・・・)

今、パソコンをあけたら、そういう特集もあって、
受験のあとの学費や生活費のことまで
かいてある。
ぎゃふん・・・。
そこまで考えている余裕がない!
というより、考えていたら、子供を進学させられない!

私は、受験期にいろいろとあり、
とても勉強でき精神状態ではなかったが、ひろってくれる大学があった。
だから、子供にいう。
「大丈夫。おかあさんなんて、勉強している隣の部屋で
おばあちゃん、死んでいてお葬式や法事の合間に受験したけれども
なんとかなった。
今年は平和だから、大丈夫!」
本当は、平和でもないが、私は自分にいいきかせているのだ。
ただ、こちらもぴりぴりしてしてしまうのは
つらいかな・・。
受験生、ひとりじゃなくて、全員、進路がかかった冬なので。
子供にも、私は苦労をかけている。
ここのところ、寝込んでしまっているし、本日も
もう、お弁当を作ったので休みたい。
私も戦いで、体が大事だから。

桃の節句なのに・・・・・。

2009年01月13日 | Weblog
年が明けると雛人形のチラシが目につくようになった。
時間があるとき、つくづくとみていた。
私は、雛人形をみるのが好きだ。
我が家にもあるのだが、諸事情により、
ちゃんと飾ることができない年もある。

それで、目の保養にチラシをみていた。
すると、なんだか違和感を覚えてきた。
最近の流行をみるのは、楽しい。
屏風や飾り台が、桜のものが多い。
しかし、まって!
お雛様って、桃の節句じゃなかった?
っていいたくなった。

日本人は、桜が好きだ。
若者も、桜の歌が多いし、
多くの人に指示され、私も好きだ。

でも、お雛様は、本来、桃じゃないのかな?

うちの周りにも、こんなに寒いのに
すでに、梅が咲き始めているから、花の季節も
温暖化で前倒し?
しかし、お雛様は、桃じゃなくて、桜が流行りの模様。

また、別の広告をみていたら、
桜の花びらに囲まれた豆雛さまがあった。
なんだか、変・・。と思うのは、私だけなのかな?

桃はいいと思う。
桃の葉は、お肌に優しいし、
桃は、桜みたいに、冷たく咲き誇り、ぱっと散る、というイメージではないから。
優しい、穏やかな感じがするのだ。
ひきつづき、今年のお雛様の流行に注意してみよう・・・。
実際は、割りと忙しい、疲れる生活なので、
いい気休めだ。


成人の日

2009年01月12日 | Weblog
新成人を迎えた方、
おめでとうございます!


親御さんも、おめでとうございます!

今日は、風が強そうだった。
私の成人式の日も、お天気はよかったが、
風がきつくって、まっさらな白いマラボーに
口紅がちょっとついてしまった。
そんな、思い出がある。

昔は1月15日に決まっていた。
今は、連休にするため、日にちが変わるが
私は、決まった日のほうが、思い出になっていいと思う。
寒い季節。
でも、新しい成人は、元気いっぱいなんだろう。
女の子の振袖のこしらえは大変。
・・とおもったら結構、男の子も
紋付袴で、力がはいった若者が、テレビにたくさん
うつっていた。
あれ、レンタルなのだろうか?
あと数年で、また娘が成人式だが、
今から、頭がいたいことがたくさんある。

どんと焼き

2009年01月11日 | Weblog
今日は、町内の「どんと焼き」の日だった。

これは、絶対にいかないと、とチェックしていた。
昨年、どんと焼きの日に、子供たちと
早朝から川崎大師におまいりにいき、お正月のお飾りを
どうしたものか?とあとで、すごく困ったのだ。
結局、神社にいったのだが、その神社は、通常は
無人なので、いっていいものか?どうか?わからなかったのだ。

大きな焚き火で、燃やし町内の振る舞いの
甘酒などをいただくと、うれしい。

とこりが、ところが・・。
11時にいくと、なんと1時からだった。
私は時間を間違えていた。
紅白、緑のお餅を木の枝につけたもの。
農村のお正月らしい・・・。

小さな焚き火が、もう、燃えていたので
あたった。
ああ、なんて、いい温かさだろう。
熱さの質が、今の生活にないものだ。
太い木がもえている。

少しあたっただけで、眠くなった。
しかし、仕方ないので、そのまま買い物にいったが、
暖炉の火にあたりたくて、仕方なくなった。
本物の火はいいな・・・・・・・。
熾きた火というのは、いいものだ。
帰ると、ぐったり寝てしまった。
それは、私が、いい気持ちになったということなのだ。

七草粥

2009年01月08日 | Weblog
昨日は、七草粥を食べる日だった。
七草粥は、お正月のご馳走で、いためた胃腸を
いたわるためと、春の七草を食べて
エネルギーを蓄えるのだ。

前日、我が家の玄関ドアーの前に、土つき、根っこも
ついた大根や、カブ、すずしろなどの野菜が
おいてあった。

いつも、野菜を下さる農家のおじさんが、
今年も、七日の前日に玄関先に
おいていってくれた。
その自然と人のつながりの恵みをみると
本当にありがたいなあ・・・と、思う。

今年は、まだ、新年のご挨拶は、おじさんの顔をみて
していない。
しかし、ポストに、お年賀とご挨拶をいれておいた。
源吉兆庵の干支の牛の羊羹。
喜んでくださっているといいな。

大根は、包丁できると、そのまま口にいれたくなるくらい
みずみずしい。
これから、大根など、白い食材が、美味しい季節だ。

お粥は、作るのが下手だと思う。
いつも思うようにできない。

記憶に残るお粥は、
奈良の春日大社の中の
春日荷茶屋のお粥と
先日のホテルの朝食などがある。
あれをめざして作ったが、
病院食になってしまった。
ご馳走お粥がなかなか、できない・・。


清く 正しく 美しく

2009年01月07日 | Weblog
今日から、学校が始まる子がひとりいて、
やっと、これをかける時間が少しできた。
あと二人、家にいる・・・。

年頭の目標など、別に掲げないのだが、
今年は、ちょっと頭に浮かんだことばがあった。

「清く 正しく 美しく」


これは、宝塚歌劇団が掲げる言葉として
有名だ。
創始者の小林 一三翁が、定めたことば。
大阪で生まれ育ち、阪急や宝塚沿線に
親戚がいた私にとって、おなじみのことばだった。
なじみすぎて、深く考えたことがなかった。
この言葉が、昨日、掃除していて急に頭にうかんだ。

それは、家族5人と猫が暮らした
この数日間で、掃除しても、心がけても、
「なんで、こんなに汚くなるんだ!」と
腹がたつことが多かったことの結果である。
個人が、しなければ、大人数では
私一人でおっつかなのである。

それから、素材にこだわる私は
寝るときふる~い、小汚い毛布を
敷くことにした。
(ちゃんとクリーニングに、出してありますよ)
その毛布は、薄いのであるが、純毛の
ラムウールである。
きっと何十年も前に実家にあったのを
母が荷物にいれたのに違いない。
昭和ににおいの柄である。
でも、そのやさしい、本当の暖かさは、
最近のものにないような気がして、
今年から敷くことにしたのだ。
羽毛だのラムだの、
動物の恩恵をこうむってぬくぬくしている私である。

でも、注意しなけばならない。
こういうものは、虫がつきやすい。
すなわち、清潔を心がけないといけないのだ。

当たり前のことをいっている私は、
女としても、主婦としても、母親としても
恥ずかしい。

お天気がいい日は、布団を干して、日光消毒する。
窓をあけて風を通す。
靴は、たまにきれいに洗う。
いろなものを、拭くというより、
磨いて艶をだす。

そういうことが、失われた我が家である。

家族にいくらいってもだめなので、
なんだか、悲しくなってきた。

うちの人たちは、派手好きなんだろう、
と思う。
贅沢なんだろう、と思う。
でも、ゴージャスは、「清く正しく美しい」とは
限らない。
「清貧」ということばがあるように、
貧しくても清く正しく美しいことが
日本人の美徳であったはずだ。
それとともに、日本人の生活の基本だったように
思う。

そういうことを感じていると、家の中が
汚くて、家族のすること、他人のすること、
いやで仕方なくて、神経症がひどくなりそうなので
ほどほどにしよう・・・。

昨日の「踊るさんま御殿」のルーズ派の人たちが
たくましくて、ちょっとストレスが少ないような気がした。

子供たちに伝えていきたいこと、
自分がいたい空間。
その理想と現実のギャップに、ストレスで、
一気に頭が白くなりそうな冬休みであった。
これは、たぶん、どこのお母さんも同じかも?


星空

2009年01月03日 | Weblog
さきほど、外を歩いたら本当に、星がきれいで
しばらく見上げていた。

ふと、立ち止まったのは、坂道の上。
そこで、以前、「しし座流星群」をみるため、夜空を見上げていたことがあった。
子供が、友達と夜中にいくというので私も、心配でついていったのだ。

どうして、この場所だったのか?
ああ、そうか・・。
坂道を上ったあたりの家のまえからみるとテニスコートの上が、広くあいていて視界が広がる。
空が大きい。
それで、あの子達は、ここを選んだのだ。

あれは、もう、14年前にもなるのかな?
だって、この間、終わったドラマ「流星の絆」では
14年前だった。

ちょっと、正確な年月はわからない。
ただ、娘とその友達がルーズソックスとミニスカートをはいていた。
(だから、8年か9年まえくらいかな?)
次女が、小さくて私は、空の星を楽しむ余裕なんてまったくなかった。
子供たちが、決めた場所にただ、ついていっただけ。

今夜は、そこにたって、星と月を眺めた。

そして、自然に今年の目標というか夢がうかんできた。

月は、不思議の国のアリスのチシャ猫の口のような傾いた上弦。
ああ、ひとつきたったんだ・・・。
と、輝く大きな口元を見た。


2009年 元旦

2009年01月01日 | Weblog
明けまして
おめでとうございます。

今年もよろしく
お願いいたします。

今年はじめての朝は
本当に「明けまして」といいたくなるほどの
光輝く日の出だった。

私は、自室より、東の山の端から、上る
太陽を直視し・・・・・・。
ヨガの「太陽礼拝のポーズ」をして
エネルギーを頂戴したのだった・・・・。
(想像して吹き出している方は、
直メールをくださいな。
お会いしたとき、ポーズを教えますよ(^.^)
一緒にヨギーになりましょう)

その前に、ちゃんと、手を合わせた。
自然に拝みたくなる、いい初日の出だった。


*****

さて、先ほど、本当に久しぶりに着物の
整理をしていた。
本日、私は、洗える着物ながら
着物をきている。
名古屋帯が、すぐにでないので、
白い半幅を文庫にして、紅白の帯締めを
している。
髪は、夜会巻きもどきである。
自分でしたので、外に出てはいけない状態かも
しれない。
でも、こっそり、ポストまでいったが・・・。

かつて、私は、着物が好きだった。
この年齢にしたら、
割りと着物をきているほうじゃないか?
と思う。

着物の虫がうずうずしたのは、
昨日、鎌倉にいくときバスの前に
座っていたおばあさんが、着物姿で、
実家で同居していた祖母によく似ていた。
ふだんから、着物をきている人の
風情だった。
私の祖母は、夏以外は
着物をきて、こじんまりした
髷を結っていた。

それから、紅白の豪華な着物の共演。
それをみているだけでも、楽しい。

和ダンスをやっと、娘から、とりもどした。
(それには、年末に悶着があった)
それで、先ほど、手許にあるはずの着物と帯を
確かめるため、いろんなたとう紙をあけて、
少し、持ち上げて、風をとおしたり、写真をとったり
していたのだった。

整理ベタな私のこと、この作業が、いったい
なにの生産があったのか?
疑問なのだが、ちょっと驚いたことがあった。

私は、洗濯物をたたむとき手袋をするときがある。
それくらい、衣類をさわるのは、手を乾燥させる。

絹が肌にいいのは、周知のことだが、
着物を素手でさわったこの数時間、
手が、ちっとも、乾燥しなくて、
さすが、着物だ!と、感心した。
ただし、特にしっとりしたわけではない。

ポリエステルの洗える着物が大流行で、
それも、着物になじむのには、とてもいいと思う。

しかし、私の好きなものは「素材」なのだ、
と実感した。

私が、幼児のとききた着物もある。
横溝正史の映画にでてきそうな
レトロな柄だ。

うちの子供の産着はともかく、
この小さな振袖たち(恐いことに
三着もある)は、もう、絶対に娘も
将来の孫もきてくれないだろうから
なんとかせねば・・・とおもいつつ、
絹と派手な柄に惹かれて、捨てることが
できない。
あげをほどいて、半纏なみの
家着にできないか?とか、
羽織にできないか?
いろいろと考えてしまう。
そうこうして、時間は、たって、
特に前にすすまないのだが、
そう考えてたり、調べたりしている時間は
私らしいのだった。

昨年末は、いろんなことに疲れて
お正月のお節は、まったく用意していないし、
昨日から、家事放棄である。

着物をきて労働していた昔の人は
本当に偉い!

きているだけでも、肩がこる。
そのために、着るまえにヨガで、
体をストレッチをしたのだった・・・・。

今年は、どんな一年になるのだろう?