“受験の神様”と言えば、全国的にも知られている『太宰府天満宮』ですね。
天満宮の境内の入り口の脇にある立札に由緒が記されていますが、「祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)公」と最初に書かれています。
菅原氏は古代豪族の出身で、文道をもって朝廷に仕える文章博士(もんじょうはかせ)の家柄でした。
菅公(かんこう)はわずか5才で和歌を詠み、10才頃には漢詩を創作して“神童”と称されました。
33才で文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けました。
宇多天皇の厚い信任を受け、蔵人頭などの政治の中心で活躍し、55才で右大臣、ついには従二位に叙せられました。
ところが901年(延喜元年)に、左大臣・藤原時平の策略により突然大宰府の役人に左遷となりました。
左遷というより配流(はいる・流罪の意味)に近い窮迫の日々を送りながらも、天を怨まず国家の安泰と天皇の平安をお祈りし、ひたすら謹慎され、配所から一歩も出ることはなかったそうです。
劣悪の環境の中で健康を損ない、京で待つ夫人の死去の知らせが届くと、益々病いは重くなり、903年(延喜3年)2月25日、白梅の花びらが散るように59才で亡くなったそうです。
御遺骸は大宰府の東北の地に埋葬され、その墓の上に『太宰府天満宮』が創建されました。
その後、朝廷でも罪なきことが判明し、人から神の地位に昇り、天満天神、学問の神・文化の神として永く人々の信仰を集めるようになったということです。
天満宮の本殿の左に皇后(きさい)の梅と呼ばれる紅梅、右が飛梅(とびうめ)と呼ばれる白梅があります。
本殿右手にある菅公の歌碑にあの有名な
「東風(こち)吹かば においおこせよ梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」とあります。
梅の花を愛された菅公が、大宰府(※)へ西下の時、京の紅梅殿の梅にこの歌を詠まれると、梅花ははるばる、みあとを慕って、配所大宰府の菅公のもとに飛んできた。
これが「飛梅伝説」です。
千有余年たった今でも、毎年花を咲かせ続け「飛梅さま」と愛されています。
さだまさしさんのアルバム「風見鶏」に収録されている「飛梅」はこの「飛梅伝説」をモチーフとした楽曲です。
また、境内には梅をはじめ、クス、花菖蒲などが四季折々に美しく咲き、参詣客の目を楽しませてくれます。
ちょうど今頃、2月の梅の時期には西鉄電車の「飛梅号」が走ります。
今年は例年より少し遅く、2月7日に「飛梅」が開花を始めたようです。
これから2月下旬に向けて満開になり、3月初め頃迄楽しめます。
有名芸能人が寄贈した数々の梅もありますよ!
さて、2月25日といえば、国公立大学前期2次試験の当日です。
この日はなんと菅公の命日なんですね。すごい偶然ですよね!
さすが「受験の神様」です!!
受験生の皆さん、菅公のように試練に耐え、春には太宰府の紅梅・白梅のような見事な花を咲かせてくださいね!!
※文中の「大宰府」と「太宰府」の標記の違いですが、
約1300年の昔、この地にあった朝廷の出先機関、つまり役所が「大宰府」(オオイミコトモチノツカサ=大君の詔で動く役所の意味)でした。
現在は史跡や当時の役所を意味する場合は「大」を使い、太宰府市や太宰府天満宮などの固有名詞のときは「太」を使っているそうです。
☆ドラゴン
天満宮の境内の入り口の脇にある立札に由緒が記されていますが、「祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)公」と最初に書かれています。
菅原氏は古代豪族の出身で、文道をもって朝廷に仕える文章博士(もんじょうはかせ)の家柄でした。
菅公(かんこう)はわずか5才で和歌を詠み、10才頃には漢詩を創作して“神童”と称されました。
33才で文章博士となり、学者としては最高の栄進を続けました。
宇多天皇の厚い信任を受け、蔵人頭などの政治の中心で活躍し、55才で右大臣、ついには従二位に叙せられました。
ところが901年(延喜元年)に、左大臣・藤原時平の策略により突然大宰府の役人に左遷となりました。
左遷というより配流(はいる・流罪の意味)に近い窮迫の日々を送りながらも、天を怨まず国家の安泰と天皇の平安をお祈りし、ひたすら謹慎され、配所から一歩も出ることはなかったそうです。
劣悪の環境の中で健康を損ない、京で待つ夫人の死去の知らせが届くと、益々病いは重くなり、903年(延喜3年)2月25日、白梅の花びらが散るように59才で亡くなったそうです。
御遺骸は大宰府の東北の地に埋葬され、その墓の上に『太宰府天満宮』が創建されました。
その後、朝廷でも罪なきことが判明し、人から神の地位に昇り、天満天神、学問の神・文化の神として永く人々の信仰を集めるようになったということです。
天満宮の本殿の左に皇后(きさい)の梅と呼ばれる紅梅、右が飛梅(とびうめ)と呼ばれる白梅があります。
本殿右手にある菅公の歌碑にあの有名な
「東風(こち)吹かば においおこせよ梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ」とあります。
梅の花を愛された菅公が、大宰府(※)へ西下の時、京の紅梅殿の梅にこの歌を詠まれると、梅花ははるばる、みあとを慕って、配所大宰府の菅公のもとに飛んできた。
これが「飛梅伝説」です。
千有余年たった今でも、毎年花を咲かせ続け「飛梅さま」と愛されています。
さだまさしさんのアルバム「風見鶏」に収録されている「飛梅」はこの「飛梅伝説」をモチーフとした楽曲です。
また、境内には梅をはじめ、クス、花菖蒲などが四季折々に美しく咲き、参詣客の目を楽しませてくれます。
ちょうど今頃、2月の梅の時期には西鉄電車の「飛梅号」が走ります。
今年は例年より少し遅く、2月7日に「飛梅」が開花を始めたようです。
これから2月下旬に向けて満開になり、3月初め頃迄楽しめます。
有名芸能人が寄贈した数々の梅もありますよ!
さて、2月25日といえば、国公立大学前期2次試験の当日です。
この日はなんと菅公の命日なんですね。すごい偶然ですよね!
さすが「受験の神様」です!!
受験生の皆さん、菅公のように試練に耐え、春には太宰府の紅梅・白梅のような見事な花を咲かせてくださいね!!
※文中の「大宰府」と「太宰府」の標記の違いですが、
約1300年の昔、この地にあった朝廷の出先機関、つまり役所が「大宰府」(オオイミコトモチノツカサ=大君の詔で動く役所の意味)でした。
現在は史跡や当時の役所を意味する場合は「大」を使い、太宰府市や太宰府天満宮などの固有名詞のときは「太」を使っているそうです。
☆ドラゴン