「江戸時代、関川沿いに通る北国(ほっこく)街道は、佐渡の金の運搬路、北陸諸大名の参勤交代路、
また信越を結ぶ重要な物資輸送路であり、関山(せきやま)、新井はその宿場町。
とくに新井宿は飯山(いいやま)道への分岐点にあたり、物資の集散所として栄えた。
北国街道、飯山道や、その間道に沿い、かつ信越国境に位置する関川村には関所が、
長沢(ながさわ)村、小沢(こざわ)村、上平丸(かみひらまる)村には口留番所が置かれている。」
コトバンク「妙高(市)」より抜粋。
旧長沢小学校の中には、関所の門が保管されています。
そして、これだけだと私も歴史に想いを馳せることはなかった(ごめん^^;)のですが、
こういったものをみると一気にロマンが膨らみます。
長沢に残っていた古文書の一部。
字、だけのは読めないので。
わかりやすい図のほうを掲載させていただきます。
これを見ると、頭の中で時代劇が繰り広げられそうな気がしてきます。
戊辰戦争のころ、いったいどんな日々だったのでしょう。
旧長沢小学校の校舎内には、長沢の方が大切に保管しているものが
いくつかあります。
昔の教科書。
これはほんの一部ですが・・・。
パッと見て理解はできませんが、色々な方の話を聞いたり
勉強しはじめると、とても面白いと思いました。
残暑厳しい本日、長沢の幻の蕎麦を頂いて、歴史のお勉強もいいかもしれませんね。