車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

大王わさび農場:大王神社 in 長野県安曇野市穂高

2022年06月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

大王わさび農場の敷地内に鎮座される「大王神社」。御祭神は『魏石鬼八面大王(ぎしきはちめんだいおう)』。「大王わさび園」の由来となった神社です。

「今を去る1200年前(延暦年間)安曇野平野に繁栄した原住民族の王を、人呼んで魏石鬼八面大王と称した。後に大王の偉業を顕彰して建てられたのが大王神社である。折しも南方より侵攻し来たる大陸族との間に激烈なる攻防戦が繰り展げられ、大王は一族を率いて勇戦敢斗大いに侵入者を悩ました。然し優勢を誇る大陸族の前には遂に抗し難く、大王は捕らえられ処刑された。 大王の復活を恐れる余り遺骸は分断され、その胴体を葬ったのが当大王山であると言われている。」由緒碑より

鳥居の内より神域を守護されるのは何とも不思議な表情の狛犬さん一対。焼き物の狛犬さんでこれとよく似た表情のものが有りますが、何タイプと言えば良いのでしょう。ちなみに吽形さんの頭には角の代わりに賽の河原の石状態で沢山の石が載せられています。これってどうなんでしょう?

鳥居を潜った先の拝殿前左右より神域を守護されるのは、これも独特の風貌の狛犬さん一対。阿吽の区別が感じられず、やはり陶器系の狛犬さんを想像させる顔立ち。

それにしても、先の狛犬さんの頭の上を見た時も同じように感じたのですが、流石に口中に詰め込まれた石は・・・あまりにも無神経に思えていただけません。可能であるなら全部取り出して差し上げたいと思いつつ、もしやこの地方独自の意味のある事かもしれないと・・辛うじて思いとどまりました。どなたかこれに関しての意味をご存知の方、是非、ご教授ください。

石置きされた狛犬さんの後方、拝殿の左右に掛けられている大きな草鞋は、大男だったという八面大王の為に、農場のスタッフの方が手作りされたものだとか・・・でも、幾ら何でも大きすぎません?😅

奉納絵馬

本殿は禁足地となっており、ここから先は進入禁止。

奉納:親子蛙

何処からが石で何処までが灯篭なのか判別し難い程、隙間なく石が積まれた灯篭。

「大王神社」の向こう側には『八面大王』が最後に立て籠もったといわれる宮城(みやしろ)の岩屋を再現した「大王窟」があります。

洞窟の奥には二基の石仏。

「その昔、桓武天皇の頃、魏石鬼(ぎしき)八面大王という、世にも優れた怪力無双の首領がこの地「安曇野」を治めていました。全国統一を目指す中央政権は、東北侵略をすすめるにあたって、信濃の国を足がかりとし、沢山の貢ぎ物や無理難題を押し付け住民を苦しめました。大王は坂上田村麻呂の率いる軍勢に刃向かうつもりは無かったものの、戦いは太刀や矢を持つ男ばかりか、女、子供まで巻き込み次々と村々は焼き払われていきます。追い詰められた大王は、わずかばかりの部下をともない有明山の麓の岩屋にこもって力の限り戦いましたが、ついに山鳥の三十三斑の尾羽で作った矢に当たり、倒れてしまいました。八面大王はあまりにも強かった為再び生き返らぬようにと遺体はバラバラにされ埋められました。」現地案内より

歴史も物語も・・常に勝者によって書き換えられ、そうしてその時々の英雄が生まれます。どちらが悪でどちらが善かなど、今に生きる私たちが軽々しく決められる筈もありません。けれども少なくともこの安曇野の大王わさび園においては、「坂上田村麻呂」は侵略者であり、「八面大王」はそれに抗って戦った英雄とされています。

「アルプス展望の小径」からは、わさび田と「有明山」や「北アルプス」が一望出来ます。

大王わさび園の一画で観光客を出迎えてくれる三人は「金太郎」と「山姥」。そして二人の父であり夫である「八面大王」。何がどうなってこの親子関係が産まれたのか😅 とりあえずここではそういう事らしいです。

安曇野市穂高有明には「八面大王足湯」なるものがあり、まさに八面の大王さまが足湯を楽しむ人たちを見守って(脅して)おいでになります😊

訪問日:2010年10月16日&2016年4月19日

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