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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

小谷城懐古 in 滋賀県長浜市湖北町

2025年07月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・滋賀県

旧湖北町伊部、かつての近江国浅井郡にある標高495mの小谷山から南の尾根筋に築かれ、日本五大山城の一つに数えられた「小谷(おだに)城」

戦国大名:浅井氏の居城であり、堅固な山城として知られた小谷城。しかし元亀・天正の騒乱の中で4年間に渡って『織田信長』に攻められ落城。その後功労者であった秀吉に浅井氏の旧領が与えられましたが、琵琶湖に遠い小谷を嫌った秀吉により北近江の拠点は長浜城に移され、小谷城は廃城となりました。

現在は土塁・曲輪などのほか、先駆的に取り入れられた石垣などが遺構として残り、昭和12年に国の史跡に指定されています。

小谷城址の駐車場にあった小谷城跡案内図には、黒金門跡、山王丸なども記載されており、狭い伊部林道を通って途中まで車で行く事もできます。

興味が無いわけではありませんが、現在地が「ここ」で、史跡を訪ねる道が「ここ」で・・と、丁寧に説明してくれるご亭主殿。基本的に山道が超苦手な私は・・・・潔く諦めました😓

案内図の傍らに【小谷城懐古】の碑、作者は『藤見東陽』

往昔茫茫不可尋 (おうせきぼうぼうとして たずぬべからず)
春花秋月念誰陰 (しゅんかしゅうげつ たれをおもうてくもる)
風聲鳥語繁城址 (ふうせいちょうご じょうしにしげし)
千載山河悵客心 (せんざいさんが かくしんをいたましむ)

三代の栄華を誇った藤原氏の居城跡を見て【 つわものどもが夢の跡  】と詠んだ松尾芭蕉。浅井亡きあと、この小谷の急峻な山道を駆け抜けていったのは、織田配下の羽柴の軍か、それとも・・・それを知るものは松風ばかり、すべては遠い夢の跡・・

小谷城戦国歴史資料館の庭に設置された、某局大河ドラマ「江ー姫たちの戦国」放映記念モニュメント「三つ盛亀甲」の大兜。

顔出しパネルは上段中央が『浅井長政』右が『浅井久松』。

見る人が見れば、兜や家紋で他の武将たちの名も明確に分るのでしょうね。

長浜市湖北町山脇にある「河毛駅」の向かい、小谷城に背を向けて『浅井長政・お市の方』の銅像が設置されています。織田信長の妹で戦国一の美女と謳われた市姫は、浅井長政に嫁ぎ三女の母となります。が、戦国の世の習いは悲しく、愛する夫は兄である信長の手によって奪われてしまいました。娘と共に兄の元に戻ったお市の想い・・・現代の価値観で語るのは野暮というものです。

訪問日:2016年6月16日



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