車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

安仁(あに)神社 in 岡山県岡山市東区西大寺

2021年09月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・岡山県

岡山市東区西大寺一宮に鎮座される「安仁(あに)神社」。御祭神は『五瀬命(いつせのみこと)・稲氷命(いないのみこと)・御毛沼命(みけぬのみこと)』

式内社(名神大)、備前国旧一宮で、旧社格は国幣中社。平安時代後期に編纂された延喜式神名帳に「備前国では唯一の名神大社に列せられている。939年における天慶の乱において当社が藤原純友方に味方した為、一宮の地位を朝廷より剥奪されたとされる」・・・その時々のお上の権力は神社の地位まで決める事ができるようです。

由緒「当社の創立年月日は不詳。「続日本後紀」の承和8年(841)2月8日の条に『安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)』とあるのが初見で、「延喜式神名帳」に備前国名神大社とある。 古くは「兄神社」又は「久方宮(ひさかたのみや)」と称したとも伝えられている。社地は、宮城山、別名鶴山といい、元宮は標高80m位の頂上にあった。その後、備前藩主池田家の祈願所として現在の地に鎮座。明治4年国幣中社に列せられ勅使の御参向があった。大正15年皇太子殿下が行啓され、祈年祭・新嘗祭・例大祭には幣帛供進使の参向などがあり、大東亜戦争までは荘厳で隆盛な神域であった。昔はこの鶴山の麓まで海であり、後方の山には磐座や列石があり、古代の祭祀跡と見られるところに、神武東征の船の「ともづな」を掛けたといわれる「綱掛石神社」などがある。」岡山神社庁HPより

社号標の前より御神域を守護されるのは、明治末期から大正初期に『木村宗太郎氏』によって奉納された備前宮獅子さん一対。阿形さんは痛ましいほどの傷ですが、それでも大切に修復されてにこやかに笑っておられます。

四代岡山藩主『池田綱政公』奉献の二の鳥居

神門

参道の先に〆柱。昔は庶民が参拝できたのはこの石段の下までだったと云います。それほど格式の高い神社だったという事です。

石段の先、〆柱の左右より神域を守護されるのは、2002年12月吉日建立の宮獅子さん一対。阿吽ともに中々の迫力で参拝者を迎えてくれます。こうした個性的な狛犬さんが生まれ奉納される限り「狛犬文化」は廃れない。そんな思いを新たにします。

「くれなずむ」から始まる歌碑。作者名が『星杖』である事以外、読み解けません。

千鳥破風・入母屋造りの拝殿

初詣に相応しい「奉納俵」

拝殿より、幣殿、中門と続き、透かし塀の内に御本殿が鎮まられます。

本殿の左右に向かい合うように建立された「摂社:右浦神社」。御祭神は『幾許神(いくばくのかみ)』

「摂社:左浦神社」、御祭神は『幾許神』。二つの社には、日向国より『五瀬命』に付き従った将軍たちが祀られています。

「末社:荒神社」、御祭神は『お土公様』

「末社:稲荷社」、御祭神は『稲荷大神』

「伊勢神宮遥拝所」

「出雲大社遥拝所」・右「瀧神社遥拝所」

「綱掛石神社」・右「天神社遙拝所」

御神水

頌徳碑 (?)二基

参拝日:2015年1月4日(2021年6月:義姉より摂末社画像の提供有り)

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御祭神一口メモ

『五瀬命(いつせのみこと)』、鸕鶿草葺不合尊と海神の娘:玉依姫との間に生まれた子、初代神武天皇の長兄。

『稲氷命(いないのみこと)神武天皇の次兄。『御毛沼命(みけぬのみこと)』。神武天皇の三番目の兄。


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