車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

年の初めの神楽三昧「八十神・国譲り・鹿島・恵比寿」

2022年01月03日 10時00分00秒 | 日本の伝統・芸能・技の美

正月三日の神楽紹介は、出雲大社の御祭神『大国主命』に関わりのある演目を選んでみました。
2013年12月8日「千代田開発センター:月一の舞い」、「亀山社中(浜田市)」による【八十神(やそがみ)】 

昔、昔、さらに遠い神代の昔、因幡国に『八上姫』という、たいそう美しいお姫様がいました。出雲の国に住む八十神たちと大国主命は、姫に求婚するために因幡の国までやって来ました。

舞台に登場したのは八十神の『武彦』。世間話から始まって内輪ネタ。会場はその都度大きな笑いに包まれるのですが、面が邪魔をして声が聞き取り難く、初心者の私たちには面白さのツボが分からない(^^;)

ともあれ、あの手この手で『大国主命』を妨害し、一番乗りで因幡の国に到着。そして初めて見た『八神姫』の想定外の美しさに『武彦』『乙彦』も一目惚れ。

本人たちは真剣なつもりなのですが、女子には絶対に嫌われる(笑)あの手この手で『八神姫』に迫ります。「恥ずかしがらんでもええが~」と言い寄る武彦。体全部で拒否する八上姫。 そこへ遅れて参上した大国主命。

八上姫、迷いも躊躇いもなく(笑)大国主命の求婚を受けます。真面目な話として、比べる必要も悩む必要もないのは一目瞭然(笑)、ですがそこは神楽の世界。はいそうですかと引き下がるわけにはいきません。

敵役の本領を発揮し、継兄弟である大国主命を殺害しようと企てます。赤猪退治とごまかし、石を焼いて受け止めさせたり、木の股に挟み込んで苦しめたりとあの手この手で命を狙いますが、その都度、大いなる力によって復活。そしてついに決戦へ

戦いの場面ではいずれも面を外し、素顔になっての勝負。さっきまでのダメっぷりが信じられない程強い八十神の『武彦』。激しい戦いの場面が続きますが、でも最後は、心優しい大国主命が勝利し、八上姫と結ばれます。

旧因幡の国に鎮座される「白兎神社」、その境内に『大国主命』『八神姫』の砂像があります。仲睦まじい二人を見守るのは、大国主命に助けられた「白兎神社」の御祭神『因幡の白兎』

------------------------00----------------------

2013年5月21日「出雲大社遷宮・本殿遷座祭」、「出雲大社教・神代神楽佐世支部(雲南市)」による【国譲り】。
出雲大社教は、1873年に当時の出雲大社大宮司の『千家尊福』によって創設された神道教団。「神代神楽」とは、神代の時代から連綿と続く説話をテーマとした神楽です。

豊葦原中国(とよあしはらなかつこく)で民と共に暮らす『大国主命』のもとに、『天照大御神』の命を受けた『建御雷(たけみかづち)神』がやって来ます。

二人は、出雲の国稲佐の小浜において、国土奉献について話しあいます。建御雷神は「天照大神は、『瓊瓊杵尊』こそがこの国土を治めるに相応しいと申しておられるが、どうか?」。・・これ、どう見ても脅迫に見えるのですが(笑)

それを受けて(とにかく優しい)大国主命は、「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げます。」と快く国を譲る事を約束されました。

しかし大国主命の御子である『建恩名方(たけみなかた)神』は承服できず、自分が負ければ従うと約束し、建御雷神と力競べをする事になりました。

千人の力が無ければ動かす事が出来ないと言う「千引石(ちびきのいわ)」を持ち上げて見せる建恩名方神。

「どれ、それでは」と岩を抱える建御雷神。無理!無理と止める建恩名方神。

ところがいとも軽々と持ち上げ、建恩名方神に向かって投げつけたのですから大変!。「父の命の仰せのように」といって鎮まられました。

------------------------00----------------------

2013年5月22日「出雲大社遷宮・本殿遷座祭」、「下来原西組神楽社中(浜田市)」による【鹿島】

別名「国譲り」とも呼ばれる神楽。あるとき天上から豊かに実る美しい豊葦原中国を眺めていた『天照大御神』は、「豊葦原の瑞穂の国は、私の子が治めるべき地である。」と思われました。そこでこの国を治める『大国主命』の下に『建御雷神』を遣わせ、この国を譲るようにと伝えさせます。

って、さらっと書いてますが、すごい無茶苦茶な要求(^^;) 世の人を助け、心を込めて作り上げた国がとっても素晴らしいから、私に献上しろですよ(^^;) 気に入らなければ必殺「岩戸隠れ」を駆使する天照大御神のお願い(脅迫)、断れるはずもなく・・そんな二人の話し合いの成り行きをじっと窺っていたのは『大国主命』のお子神『建御名方命』

大国主命が去った後、建御名方命は建御雷神に詰めより、国譲りは承服できぬと告げます。「どうしてもと言うなら、力比べをして我を打ち負かしてみよ、もしも負けたら認めてやる」

ここからは神方は面を取って素顔になります。いよいよ建御名方命との力比べ。普段おもちゃ代わりにしていた筈の千引石を持ち上げようと頑張るのですが、天津神の強大な力には勝てる筈もなく・・

で、結局、負けてしまって大国主命が約束したとおり、国士を献上する事となりました。

------------------------00----------------------

ところで『大国主命』にはもう1人のお子『事代主尊』がいますが、『建御雷神』に国譲りを問われ、いともあっさり「この国が欲しいの、じゃいいよ」と承知し、大好きな釣り場に戻ってしまいます(笑)

2013年5月22日「出雲大社遷宮・本殿遷座祭」、「多根神楽団(大田市)」による【恵比寿】。
『恵比寿』とは、大国主命御子である『事代主命』の呼び名で「美保神社」の御祭神。豊漁の神として古くから信仰を集めた恵比寿様の、釣り場面を主体とした神楽舞です。

大きな身振りで釣竿を投げ入れる恵比寿様、さてさて、後は獲物がかかるまでの~~んびり。

おや?さっそく何か釣れたようだが・・ど~れどれ。

おお~(⌒∇⌒)何と、「祝 大遷宮じゃ!!」

おや、舞台の下に足早に現れた謎の一般人・・と思ったら、どうも『恵比寿様』の腹心の部下のよう。何をするのかと見守る観客の目を背中に痛いほど受けて、釣り糸の先に鯛を食いつかせています(^^;)

知ってかし知らずか、大きな鯛を釣り上げた恵比寿様、。大喜びで客席に飴を振りまきました(笑) 思いもかけず手の中一杯に飴を貰ってしまった私・・もしかしてサイズでお子様と間違われたのかも(^^;)

------------------------00----------------------

「記紀」の国譲り神話では、高天原から派遣された武甕槌神と大国主命が国譲りの交渉をした場所がこの「稲佐の濱」とされています。

国譲りをかけた力比べで、武甕槌神と建御名方命は、稲佐の浜から岩を投げあいますが、力は互角で何回も同じところに落ちた為、その岩が積み重なってできたと伝承される「つぶて岩」。

「日本神話」も「古事記」も、勝ち残ったものが残した記録で本当の所は誰も知りえません。それでも、たとえば力比べで負けた『建御名方命』は、ちゃんと「諏訪大社」の御祭神として鎮まり、「関より東の軍神は、鹿島(武甕槌神)・香取(経津主神)・諏訪の宮(建御名方神)」と謡われ軍神として崇敬されてきました。たとえ神代のお話であったとしても、そうした記憶が連綿と繋がっている事に、日本人として誇りに似たものを感じるのです。

2022年 正月三日

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 年の初めの神楽三昧「天岩戸... | トップ | 年の初めの神楽三昧「神武・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本の伝統・芸能・技の美」カテゴリの最新記事