車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

砥鹿(とが)神社 in 愛媛県今治市菊間町(旧菊間町)

2020年11月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・愛媛県

今治市菊間町田之尻、砥鹿山トンネルの出入り口側に鎮座される「砥鹿(とが)神社」。御祭神は『大穴牟遅命(おおなむぢのみこと)、少名彦命』

「砥鹿神社の名称神社は全国でも数社しかなく、本社は愛知県三河国の一之宮である。当社には、本社と同じような地名が残り、当社の南方の山頂を(古砥鹿)と呼ぶ、馬の背などの地名もあり、その地より現地へ奉遷したものと思われる。三河国一之宮砥鹿神社と伊予国当社の関係は、未詳である。子育ての守護神として中予地区、東予地区にわたって崇敬者が多い。」愛媛県神社庁より

鳥居の内より神域を守護されるのは、瓦の町に相応しく、菊間瓦材で焼かれた狛犬一対。「焼元:土井繁 製作:光野亀太郎 昭和19年(1944)建立」の銘。 石を削って作る狛犬さんは勿論ステキですが、こうした焼き物の狛犬さんも大好き!焼き物の名産地にある神社では、数は少ないですがこうした狛犬さんに出会うことも出来ます。

境内の片隅にいた後ろ姿の先代狛犬さん・・・相方も居なくなってしまって満身創痍。それでもこうして大切に置かれている事が、狛犬ファンの心を鷲掴みにし、そうしてますます狛犬が好きになる。

拝殿よりには、「石工:桧垣清三 大正3年(1914)1月吉日建立」の銘が刻まれた石の玉乗り狛犬さん。阿吽共にがっちりと玉を抑えているのですが、実は吽形さんの前足には、小っちゃな子狛さんがしがみ付いているんですよ。

仔狛君、その大きな玉が欲しいのかな?それとも、玉よりも僕と遊んでの催促かな?

ラストは留蓋瓦の獅子一対。かわら館の展示狛犬も最高でしたが、自然の景色の中で頑張る神獣たちには特に「ガンバレ!」

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旧越智郡菊間町(きくまちょう)は愛媛県の東予地方、今治市の最西端に位置した町です。北条市、越智郡大西町・玉川町に隣接。堀川天皇寛治4年(1090)に京都上賀茂神社の神領地にあてられ、菊万庄、佐方保として文献にその名が登場します。藩政時代には松山藩に属し、野間郡西月番所によって所管されました。町域に急峻な山はなく、丘陵地はみかんの果樹園や里山等として利用。主要集落は海岸に沿って走る国道196号や、菊間川とその支流の中下流域に開かれており、古くから菊間瓦の生産で知られてきました。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、野間郡菊間村・歌仙村・亀岡村が発足。
1897年、郡制の施行により、野間郡が越智郡に統合される。
1908年、菊間村が町制を施行、越智郡菊間町が発足。
1925年、菊間町が歌仙村を編入。
1955年、菊間町が亀岡村を編入。
2005年、今治市、越智郡玉川町、大西町、波方町、吉海町、宮窪町、伯方町、大三島町、上浦町、朝倉村、関前村と合併、今治市菊間町となりました。

鬼が大切に守っている菊間町章。「菊間町の「キクマ」を図案化したもので、円は町民の和を象徴したものである。(制定年月日不明)」旧公式HPより。

旧菊間町域では上下水道、いずれのマンホールも見つける事が出来ませんでした。

参拝日:2011年6月11日


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