坂井市三国町山王に鎮座される式内社「三国神社」。ご祭神は『大山咋命(山王権現)・継体天皇』
巻銅板の台輪鳥居のうち、左右より神域を守護されるのは大正四年(1915)十一月建立の出雲丹後の狛犬さん一対。阿形さんは何時ものように、前足の間に仔狛を遊ばせています。親狛にしがみつきながらも、後ろが気になって仕方がないといった風情が、何とも可愛い。
由緒「天文9年(1540)兵庫川より流されてきたと伝わるご神体の大山咋命を祭神として山王宮を建立。港町の発展と共に山王信仰が厚くなった。明治3年(1870)に桜谷神社と改称。明治5年(1872)に水門宮の祭神:継体天皇を合祀、明治18年(1885)三国神社と改称。天保2年(1831)飢饉の際に窮民救済のため、社殿改築及び境内整備の工事が内田惣右衛門の主唱で行われた。これが現存する本殿及び拝殿である。」
石段先に緑に包まれるようにすっくと出迎えてくれるのは、三間一戸・入母屋造り、銅板葺の楼門(県指定有形文化財)。公式Hpによれば「棟梁・森町大工・安右ェ門・23歳。元治元年に釘始・明治3年に完成。和様を基調としながら扇垂木など禅宗様を加味している。」
「楼門の左右の随身像は明治2年・松ケ下町の寄進。作者は当湊の志摩竜斉で、楼門上の光華閣の3字額は慶応4年・第17代福井藩主・松平茂昭公の寄進。」
千鳥破風唐破風付き入母屋造りの拝殿は、由緒にある窮民救済のために改築されたもの。天保11年還宮式 棟梁・寺町大工『八十島四郎兵衛』
拝殿彫刻は正面唐破風の下に懸魚の鳳凰。後方下に母屋の桐花。
虹梁上には大山昨命の神使いである群猿。撮り忘れてしまった迫力満点の木鼻の獏は、彫刻作者『志摩乗時』で、町指定文化財😱。
金網に守られていて不鮮明ですが、じゃれあうもの、のっすりと歩くもの、何かを見つけてはしゃぐもの等々・・実に多彩なしぐさを見せています。ところがこの猿が夜な夜な抜け出して悪さをするようになり、そこで猿の前に柵が張られたと。名人が生み出すものには命が宿る・・という逸話はここでも健在です。
本殿後方軒下でひっそりと参拝者を迎える雄の石猿・・・ぼかしを入れるべきか迷いましたが「まぁ良いか😉」
拝殿前左右より神域を守護されるのは「明治四十二年五月中旬建設」刻の、難波タイプの狛犬さん一対。吽形さんは仔狛を左手にじゃれつかせ、阿形さんは大きな玉を左に押さえています。このタイプは京阪神でよく見かけるのですが、いつ見ても気弱そうで、これで神域の守護が務まるのだろうかと一抹の不安😅
元山王宮跡地「天文九年四七〇年前此の地に流れついた大山咋命(山王権現)を正智院に安置。永禄七年四四六年前此の地に山王宮を建立した。天保十三年現在地に新しい社殿を建立遷宮をした。古文書には旧跡地に大岩をすえ鳥居を建てるとある。元の社殿は現在絵馬堂として移築し残っている。神社境内の中で一番古い建物である・・・」駒札より
鳥居の内より跡地を守護されるのは笏谷狛犬さん一対。本来は灰白色の肌は長い時の中で苔に覆われて不思議な緑に変色。踏ん張る前足も細く削られています。
鳥居の左右より神域を守護されるのはハジメを思わせる笏谷狛犬さん一対。一瞬だけですが(本当に一瞬ですよ!!😅)巨大なカエルさんを想像してしまいました😔
「木立神社」。御祭神は幕末から明治における福井藩の名君『松平慶永公』。公式HPに「明治24年に三国神社内に建立。郷土出身の彫刻師『島雪斎』が彫刻した松平慶永の寿像に太刀一振りと立願文を添えて氏子が祭った。」
社殿前左右より神域を守護されるのは、出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんのおなかに背中をぴったり貼り付ける仔狛さんが可愛い😄
参拝日:2012年6月14日
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