能登半島の先端部、珠洲市の鵜飼海岸の沖合に浮かぶ白亜の島「見附島(みつけじま)」。高さ約28mの無人島は、その形が軍艦に似ていることから、「軍艦島」とも呼ばれています。
言われて見れば見えなくも無いですが、生茂る木々が、ちょっと小首をかしげたおばちゃんの髪の毛みたいで(^^;) しかも上手い具合にそれらしい位置に目と口・・・(笑)更に、おばちゃんの陰に隠れてこっそりこっちを見るお子様の顔も・・・(ーー゛);
アホな妄想は置いといて・・・見附島の名前は、『空海』が佐渡島から当地方に渡った際、最初に見付けた島である事に由来します。島内には「見附神社」の小さなお社があったそうですが、今は崩壊したままとの事。
「見附の社:唐の国に渡り恵果阿闍梨のもとで修行された空海は、三国伝来の伝承者と認められ密教伝来の三杵(さんしょ)を 授けられた。 唐の僧達はその三杵を奪い返す為、日本に帰ろうとする空海を海岸まで追いつめて来た。 その時空海は東方を望まれ「密教有縁の所に行きて我を待つべし」と三杵を大空高く投げられた 帰国された空海は三杵を求めて海路佐渡より能登沖を通られた時波の音とともに法華経を誦す る声が聞こえてきたので島を頼りに着岸された。 そこで村人達の案内により山の桜の樹に探し求めていた三杵の一つ五鈷杵が光り輝 き白夜法華経を唱えていた。 空海は深くお喜びになりここに一宇を創建され吼木山(ほえぎざん)法住寺と名づけられた。それより島を見附島と呼び縁結びの神を祭り海難の守り神と共に小社を安置し4月18日を祭日と し舟を繰り出し島上に登り祝詞を奉じて来た。 しかし今は歳月による風化に加え能登沖地震や台風の被害により島に往時を偲ぶ姿はなく島上の社も崩壊したまま今日に到る。」現地案内より
見附島から能登沖地震の際に落下した株を植樹したという、樹齢千年の見附千年椿。しっかりと網カバーに保護されており、画像では今ひとつ。
ところで、ここにはもう一つ、同じ様に網カバーで厳重に保護された「恋路椿」があります。なんとこの椿、隣の内浦町恋路から珠洲の見附千年椿のもとへ輿入れした椿。ちゃんと珠洲市長・内浦町長立会いのもとで結婚式まで挙げた、れっきとした夫婦椿なのです!(^^)!
五日前のブログ「恋路海岸 in 能登町」でも触れましたが、恋路海岸からここまでの海岸は「えんむすびーち」。その名称どおり、樹齢千年という超(笑)長寿の椿のご縁まで結びました(^^;)
ちなみにこの「見附島」、歩いて島まで渡れるという事で石積みの道が一直線に続いています。私達が行った時は、これから満ち潮になる時間帯らしく、石積みの道は徐々に波に洗われ始めて・・・
結構好奇心旺盛な二人ですが、美しい景色は遠目で見るからこそ美しい。島に渡って、白い島肌を見上げるより、貸し切り状態の恋人たちの聖地を満喫する方が、多分楽しい(笑)
見附海岸を去る前に見かけた句碑、作者は能登の人で『辻口静夫』。 【 月に鳴く 葭切(よしきり)もまた 能登荒磯 】
訪問日:2011年10月17日
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