小川村小根山に鎮座される「小川神社」。式内社で旧郷社。御祭神は正殿に『健御名方命』。相殿に『大己貴命・ 言代主命』。
社伝に「祭神・健御名方命が出雲での武甕槌命との戦いに敗れ、母神・沼河比売命の郷里・糸魚川を経て信濃を開拓。母神への往来(糸魚川街道)の要衝である当地に村民が、その徳を慕って奉斎したという。継体天皇の皇子・兎王の後裔、酒人(さかんど)公は天武天皇十三年(684)冬十月、眞人(まひと)の姓を賜い、その一族が当地に来て、布留山(古山、当社背後の山)に居を定めた。清和天皇の頃、この地を小川の荘と称したので、酒人小川眞人と称して、当社を篤く崇敬した。後、小川氏となり、小川左衛門貞綱の頃大いに栄え、大社となった。中昔は大宮大明神、諏訪大明神宮と称したが、寛政二年八月、吉田家へ社号宣旨を願い告文を受け小川神社とする」
二の鳥居の奥、参道正面には「立梶の葉」の紋幕が掛けられた、昭和三十一年造営の拝殿及び幣殿。
見上げた拝殿彫刻の美しさに思わず狂喜する二人😍 。まずは褄の棟木を支える力神像。らんらんと輝いて見える目には玉が嵌めこまれています。
力神の下、向拝にはテッパン中のテッパンともいえる阿吽の龍。口中には鮮やかな朱が塗られており、歯は胡粉が塗られているのか羨ましいほど真っ白。更に目には玉が嵌めこまれており、一段と凄みを増しています。
社殿彫刻の代表的存在ともいえる貫の獅子。吽形の口元には僅かに朱が残されており、玉が嵌めこまれた眼光は鋭いながらも顔立ちは優しく、人懐こささえ感じさせます。
胡粉が塗られた阿形さんの歯はギトギトと鋭く・・うっかり手を出そうものなら噛み千切られてしまいそうですが、それだけに口中の朱がいっそう際立って見えます。
ラストは褄下の火の鳥。大きく翼を広げた姿は、まさに炎の中から復活したばかりとでもいう様相で迫力満点。よく鳳凰と混同されがちですが、これはもう絶対に、火の鳥です!(笑)
小川神社拝殿の左に、昭和に入って合祀された「御射山(みさやま)神社」が鎮座されます。御祭神に関しては祀られる地方によって様々であり、いずれの神なのか特定する事はできません。
御射山神社後方の「磐(いわくら)」
小川村出身者の戦没慰霊碑「平和の礎」
内容を確認できなかった碑
参拝を終え、さて、この狛犬さんを画像に残そうかどうしようかと悩んでいると、賑やかな気配と共に社務所が開き、楽しそうに歓談しながら沢山の人や車が入ってきました。
聞けば御柱祭りの為の長持ち運びの練習をされているのだとか。・・・そうか、御柱があるんだ・・北信随一の賑やかさで知られるってポスターにあったけど、流石に5月にもう一度ここまではねぇ😥 。でも長持ち運びの練習風景が見られるなんて凄いラッキー。
祭り衣装に身を包んだ男衆は、きっと最高にカッコいいだろうね~
鳴子を使った踊りは、長持ち運びの後に披露するのかな? 皆さん本当に真剣に取り組んでおられます。
思いもかけない素晴らしい時間を頂いたことに感謝しつつ、次の目的地に向かう私たちの目の前に 今度は「小川神社 御柱大祭」の標柱と注連掛場に寝かされた御柱!!
風になびく「おんべ」を乗せて、ゆったりとその時を待つ御柱様。後ろ髪を引かれながらも、なんだか物凄く得した気分の二人。祭って本番は当然だけど、準備も全てひっくるめて最高だよね。
参拝日:2016年4月17日
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ここ一か月、症状がすこぶる悪化している・・車泊旅の思い出を綴りながら日々をやり過ごしているけれど、たまに対処できない痛みに心がポキッと折れそうになる。 そんな時はとにかく旅の思い出に浸りきって時間をやり過ごそうと思う。そうして明日になったら、今日より元気になるかもしれない。