京都市伏見区深草藪之内町に鎮座される「伏見稲荷大社」。御祭神は『宇迦之御魂大神・佐田彦大神・大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)・田中大神・四大神(しののおおかみ)』。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社で、旧社格は官幣大社。全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社。重要文化財の楼門は三間一戸、入母屋造で、屋根は檜皮葺。天正17年(1589)、豊臣秀吉の造営とされます。

「京都盆地東山三十六峰最南端の霊峰稲荷山の西麓に鎮座する稲荷信仰の御本社。その信仰は稲荷山の三つの峰を神そのものとして崇拝したことを源流とする。平安時代、東寺の鎮守社となるや、真言密教と結び付いてその信仰を拡大、次第に神位を高めて『延喜式』名神大社に列し、天慶5年(942)に正一位の極位を得た。その後応仁の乱にてすべて焼亡。明応8年(1499)に至って遷宮を迎えた。」Wikipediaより

楼門前より神域を守護されるのは、稲荷の御眷属とされる青銅の神狐さん一対。阿は宝珠を、吽は鍵を咥えています。宝珠は稲荷神の「霊徳の象徴」、鍵は宝蔵を開く「秘鍵(ひけん)の象徴」とされています。


重要文化財の外拝殿(舞殿)は江戸時代末期、天保11年(1840)の造営。桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造で、屋根は檜皮葺。

軒下四周に吊るされた12基の鉄製灯篭には、黄道(こうどう)12宮の透かし彫りがあり、画像は獅子宮。他に白羊宮、金牛宮、双児宮、巨蟹宮、処女宮、天秤宮、天蝎宮、人馬宮、磨羯宮、宝瓶宮、双魚宮があります。

外拝殿から本殿正面前に所在する内拝殿。真っ直ぐ先に本殿が一直線に続きますが、一般の参拝者はこの内拝殿の前から参拝をします。

重要文化財の本殿は室町時代後期、明応3年(1494)の造営。五間社流造で屋根は檜皮葺、「稲荷造」と称されています。本殿の背後には、斎場と千本鳥居から続く稲荷山の神蹟群が鎮座。

本殿近くにて神域を守護されるのは、明治三十三年九月奉納の神狐一対。稲を加える阿と、固く口を閉ざす吽。稲穂は五穀豊穣、「稲が生る」を現しています。


本殿の左後方に所在する重要文化財の「権殿」。江戸時代前期、寛永12年(1635)の造営で、五間社流造、屋根は檜皮葺。本殿を修理する時に一時的に御神体をお移しするための社とされます。12月も半ば、そろそろ初詣の準備でしょうか。この状態で正面に回る事は出来ませんでした。

権殿の北側に建つ丹塗りの鳥居、そこから奧宮への石段参道があり、上末社と呼ばれる「長者社」「荷田社」「五社相殿」(いずれも国の重要文化財)と、「両宮社」「玉山稲荷社」が鎮座されています。

鳥居の前より神域を守護されるのは、明治二十八年(1895)建立の神狐さん一対。阿は宝珠を、吽は巻物を咥えています。巻き物は「知恵の象徴」とされています。


画像左手前に見えるのは、元禄7年(1694)に奉祀された「五社相殿」。五間社流見世棚造、檜皮葺の社殿には「八幡宮社、日吉社、若王子社、猛尾社、蛭子社」が鎮座されます。東端には元禄7年(1694)建立の「両宮社」。二間社切妻見世棚造、檜皮葺の社殿には『天照皇大神と豊受皇大神』が鎮座されます。正面左手にあるのは「供物所」と呼ばれ、稲荷山に鎮まる神々にお供えをする建物です。

石段正面に唐破風の向拝が設けられた「玉山稲荷社」。御祭神は『玉山稲荷大明神』。社殿は一間社流造、檜皮葺。宮中鎮守としてこの稲荷社から勧請(分霊)されたのですが、明治維新で東京遷都となり、社のお世話をすることが出来なくなった為、明治8年(1875)にこの地に遷座され末社となったそうです。一度分霊されたものは、同じ霊の中に戻らず、別の神霊となるのです。

本殿内にて神域を守護される白狐さん一対、吽は総角(あげまき)結びに紫房のついた巻物、阿は宝珠を咥えています。

玉山稲荷社の前を右折すると昭和13年に創建された。入り母屋作りの「神馬舎」。驚いた事に神馬の足元には膨大な数の名詞が投げ込まれていましたが、これって成田山新勝寺:出世稲荷の絵馬の名刺と同じ趣旨なんでしょうか👀

「神馬舎」左手側に幅の広い石段があり、一段高い境内地に、いずれも重要文化財の「白狐社」と「奧宮」が鎮座されます。「奧宮」は三間社流造、檜皮葺で、身舎側面は二間、向拝三間で天正年間(1573-1592)の建立。「この社殿は、本殿と同様の流造で建てられ、摂社でも末社でもなく稲荷大神を祀ることから、他の境内社とは別格の社である。『明応遷宮記録』(1499)には西側に八間の廻廊があったことが記されているが、この廻廊は現存していない」現地案内より

石段上より奥宮の神域を守護されるのは、文化財指定の神狐さん一対。江戸時代初期の作で、「勧進社」に祀られていたものと説明がありました。さすがに文化財指定とあって、華麗な稲荷塗りの個室にそれぞれ鎮座し、阿は稲穂を、吽は固く口を閉じています。


ここからそのまま千本鳥居を経て奥所遥拝所へと向かうのですが、今回は元来た道を引き返し本殿北側から納札所へと向かう道を進みました。という事で続きは明日の「伏見稲荷大社~其の二」で。
参拝日:2009年12月15日