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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

珠洲市内あちこちウォッチ~其の二 in 石川県珠洲市

2017年11月24日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

旅の楽しみの一つが道の駅めぐり、ここは珠洲の海岸沿いにある「道の駅・すず塩田村」。記念スタンプには、打桶(おちょけ)で潮撒きをする人の姿が描かれています。

塩ポン酢目当ての二度めの訪問ですが、今日は少し時間に余裕があったので、揚げ浜式塩田での塩作りの様子を見学させて頂きました。

日本最古の製法で作り続ける珠洲の塩、まずは海岸の海水を汲み上げる事から始めます。 今、目の前に広がる海はそんなに荒れている感じではないですが、これが早朝なら・・・海風は予想以上に強く、打ち寄せる波は驚くほど強い力で、思い荷を担ぐ足元をすくいます。潮汲み3年、潮撒き10年と言う言葉があるそうで、ただ水を汲めば良いと言う訳ではありません。

人の力と自然の恵みだけを頼りに手間ひまかけて、そうして約600リットルの海水から、120kgの塩ができます。この塩田村では、今も多くの方が古来の製法にのっとって、日本古来の美味しい塩をつくり続けています。

船の舳先をイメージした展望台、前回見かけたものですが、今回は無かった様な気がします。 あの時は舳先につけられた日の丸と、眼前の日本海の荒波が何とも素敵で一緒に写真も撮りましたが、どこに行ってしまったんでしょう。

道の駅を後にして5分ほど走ったところで、次の目的地「真浦海岸」に到着。 目的は「垂水の滝」ですが、その手前で不思議なモニュメント?らしき岩を発見。

何故こんな道路沿いにこんなモニュメントが?? と思ったのですが、実はモニュメントではなく、本物の岩を配したポケットパークでした。主役は二つの「帆立岩」。なんと約2千万年前に作り出された海底火山の凝灰石なんだそうです。

長い長い年月、波や風の浸食が巨大な岩肌を削り、そうして生み出された不思議な造詣。巨大であった筈の岩石は波の力で少しずつ崩されてゆき、自らが波の形となってしまいました。  当初は海岸線の波打ち際にありましたが侵食が激しくなり、現在地に移された旨が案内に記されています。

一日の旅の終りは大概の場合、車中泊のための道の駅(時々、高速のPA・SA)でお土産選び。「道の駅・すずなり」では、2011年と2015年の二度、車中泊でお世話になりました。

ここは2005年まで運行されていた「のと鉄道能登線の珠洲駅」だった場所だそうです。廃線となった後、その跡地にバスターミナル&タクシーのりばを併設し、道の駅として整備されました。

日帰り温泉の場所を聞いた時には、一緒に地図とにらめっこをして下さり、お土産にお勧めのものをと聞けば、真剣に説明をして下さったりと、本当に懐かしい思い出が一杯です。

車で旅をするものにとってこのような道の駅は、本当にありがたく大切な場所です。

改めて、その折は有難うございました

訪問日:2011年10月17日&2015年5月22日

 


珠洲市内あちこちウォッチ~其の一 in 石川県珠洲市

2017年11月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

珠洲地域の中心部に当たる飯田町、潮の匂いに惹かれて漁港にやってきました。漁業に従事される方には決して早いとはいえない時間のせいか、人の姿は見られません。瀬戸内海の小さな漁船しか知らない私には、ここに横付けされた船はどれもとても大きく見えます。

港の一角に見つけたイルカの壁画。能登の沖では、昔イルカ漁が盛んだったと言います。「イルカ漁」なんて書くと、漁業に従事しない無関係者が「イルカが可哀想!」とか喚きそうですが・・・。でもそんなことを言ってたら、牛も豚も鶏も魚も、否植物だって、命を提供してくれる全ての食料が可哀想になりますよ (ーー゛); ともあれ、この近辺でも、こんな風に水面を遊ぶイルカの姿が見られるのでしょうか?

珠洲市の飯田町内を抜けて、ほんの少し山側へと車を走らせます。お目当ては珠洲市上戸町寺社にある、推定樹齢900年と伝えられる「倒さスギ」。とりあえず、見た目で理解できる(笑)天然記念物は、押えておかなければデス。

伝承によると、昔、八百比丘尼が巡錫(じゅんしゃく)で高勝寺に訪れ、昼食後に使用した杉の箸を地面に差したところ、たちまち根付き枝葉が出たとか。枝が下を向き地面を這うような姿から「倒さスギ」呼ばれるようになりました。

樹高21m、幹周7m・・内側から見上げれば、生茂った葉に視界が遮られわずかに空の青が見えるのみ。これほどの巨木が900年の時をかけて育った事を思うと、自然界の凄さにただただ圧倒されます。

上戸町の「倒さスギ」は、昭和44年に石川県指定天然記念物に指定されました。

ここから再び海岸線を走り、珠洲神社、金剛崎、狼煙を経て折戸町木ノ浦の椿峠に。2011年に一度来ていますが、今回もまた「椿展望台」に立ち寄ってきました。

眼下に広がるヤブ椿の林と、その向こうに広がる能登・外浦の海岸線、何度見ても雄大で美しい。「奥能登絶景海道」、看板に偽りなしです。

2月下旬から4月頃にかけて、この椿山一帯にはヤブ椿が真っ赤に咲き誇るとありました。 さぞかし見事であろうと思いながら、結局その季節に訪れる機会がありませんでした。

展望台広場の中心に、一本の大きなヤブ椿の木が植えられています。濃い葉陰の下に立つと、何とも言えずさわやかな風が吹き抜けていきます。

ツバキ展望台を後に、奥能登絶景海道をドライブ。途次に見かけた小さな島と橋桁らしきもの・・お天気が良いと何でも素敵に見えるね(〃∇〃)

訪問日:2015年5月23日

 


ランプの宿 in 石川県珠洲市三崎

2017年11月22日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

珠洲市三崎町、能登半島の突端・金剛崎の小さな入江にある「葭ヶ浦(よしがうら)温泉」。かっては船でしか行けない海辺のギリギリに建ち、奥能登最先端の秘湯とも評され、約450年前から続く一軒宿の温泉。

能登の旅を計画中に、初めてネットでこの画像を見たときの衝撃は、今も鮮明に覚えています。市の観光案内やウイキペディアなどによると、数年前まで電気が通っていなかった為、館内の照明はすべてランプの灯りだけでまかなわれていたとか。現在は電気も通り通常に供されていますが、客室には今も変わらずランプが灯され、その幻想的な美しさゆえに「ランプの宿」と呼ばれ、海外の富裕層からも注目を集める名所となっています。

「葭ヶ浦温泉」の創業は天正6年(1578年)。もとは刀禰(とね)家が営んでいた廻船問屋。豪商であった刀禰家には千石船が出入りし、その為の港は現在よりもさらに絶壁の入り江にありました。そのため陸路からの出入りは難しく、ほとんど船を使って海から出入りしていたと言います。

初めて見た「ランプの宿」。その時の感動は何年たっても褪せる事はありません。秋の午後、打ち寄せる日本海の波は岩にぶつかり、真っ白の泡となって砕け、岩を噛んで渦になります。宿泊者以外立ち入り禁止なので、私達が見るのは駐車場の上からと言う限られた場所から。

お手頃価格のコンデジに目一杯頑張ってもらって、何度も何度もズームを繰り返し・・そうして最初の訪問から三年半たっての再訪では、もう少しグレードアップしたコンデジに頑張ってもらいました( ̄^ ̄) 

ところで、この素晴らしい上からの眺めを、更にもっとよく見られる場所があるのですが・・それが海抜30mに位置する空中展望台「スカイバード」。敷地内にある「聖域の岬」に行く事も出来て、入場料は大人1名500円。ですが足場が無い空中の高所なんて、たとえ十倍のお金を貰っても無理!絶対に!無理!(笑)

二度目の来訪は五月の午前中という事もあって、時間的に付近の散策が出来る余裕があり、海に続く遊歩道をのんびりと散策。眼下に見えるのは、「ランプの宿」のプライベートビーチ「みかづきヶ浜」。当然一般人は立ち入り禁止。というか降りられないようになっています。

駐車場の一画にある石のモニュメント。真四角な穴は絶対に覗き窓を意識してるに違いありません。 だってこの穴から見えるランプの宿も日本海も、まるで小さな絵葉書みたいに素敵。

訪問日:2011年10月16日&2015年5月23日

 


ゴジラ岩と垂水の滝 in 石川県珠洲市

2017年11月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

私たちの世代にとって「ゴジラ」とは、特撮映画の代名詞であり、日本が誇る怪獣(笑)何度もリメイクされ、性格や状況を変えて登場するゴジラは、ある意味、不滅の存在でした。そのゴジラが、珠洲市馬緤町の外浦沿岸にいると聞いては、確認しないわけには行きません!

10月の能登の海は岩に打ち付ける波が泡立ち、海岸近くに立っていると飛ばされそうです。あれ・・でもない、これ・・でもない、海風に飛ばされそうになりながら、海岸線を探す事、数分。もしかしたらアレかも!

言われて見たら、確かにゴジラに見えなくも無いけど・・・本当にアレかなぁ?? 

確かに、看板もあるし、他にそれっぽいものも無いし、じゃあ多分、きっと、アレがそうなんだろう(-_-;)

それから3年半が過ぎて、再度能登に行くとなった時、もう一度例のゴジラを再確認してきました(笑) 確かに、ネットで紹介されている「ゴジラ岩」は、空に向かって咆哮するゴジラに見えます。前回は場所が悪かった??。確かにあの時は吹き付ける波しぶきで、良いショットを探せる余裕も無かったしね。

と言うことで、5月の晴れ渡った空の下での再撮影ですが、どうです?ゴジラに見えますか?

訪問日:2011年11月16日&2015年5月23日

とりあえず再挑戦も果たし、次に向かったのは能登半島・曽々木海岸にある「垂水の滝」。 輪島市と珠洲市の境界にあり、八世乃洞門(はせのどうもん)上の断崖から直接海に注ぎ込むと言う珍しい滝。

特に冬場は、強風のために水が舞い上がり滝壺に落ちてこない事から、通称を「逆さ滝」とも。 この現象は全国でも大変珍しいのですが、流石に真冬の能登半島を訪ねる根性はありません(^^;)

私たちには、滝の水に直接触って楽しめる今くらいが、丁度合ってるのです。

落差およそ30メートル、日本海の荒波によって浸食された海岸線は荒々しく尖って、人外のモノ以外は誰も近づくなと拒否されているような錯覚さえ覚えます。

遊歩道に戦国時代の武将『太田頼資(すけより)』の句碑

【 雉子の声 山ほろほろと 崩れけり 】

見知らぬ観光客の方とお互いに写しあった記念写真・・ああ、懐かしいねぇ~

訪問日:2015年5月23日

 


禄剛埼(ろっこうざき)灯台 in 石川県珠洲市

2017年11月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

能登半島の最先端、外浦と内浦との接点にあたる禄剛埼(ろっこうざき)。ここに、明治時代に造られた「禄剛埼灯台」があります。普通灯台を紹介する時は「〇〇に立つ」という言い方なんですが、この灯台は平地にしっかり座っています(笑)

通称「狼煙(のろし)灯台」とも呼ばれる白亜の灯台、むろん今も現役で、航路の安全を担っています。通常の灯台は、レンズを回転させることにより光を点滅させますが、この灯台はレンズを固定し、灯火の遮蔽板(しゃへいばん)を回転させることによって点滅させる方式。その歴史的・文化的価値の高さからAランクの保存灯台に指定され、「日本の灯台50選」にも選定された「禄剛埼灯台」。いや、実にお美しい。

この実にお美しい(くどい!)白亜の灯台が設置され初点灯されたのは、明治16年(1883)7月10日。白色塔形の石造灯台に使用された石材は穴水町から船で運び、崖下から索道を架けて人力で引き上げて・・・・・。海抜50mほどの断崖絶壁が続く場所での工事は困難を極め、その完成までには二年の歳月が費やされたといいます。おっかなくて下を覗き込むなどと大それたことは出来ませんが、彼方に広がる海は雄大で美しい。

灯台が設置されている一帯は綺麗に整備されており、能登半島最北端の碑なども設置。

さらに、日本地図付きの「日本列島 ここが中心」のモニュメント。日本の中心地的な碑は結構色んな場所で目にしますが、中心ってこんなにたくさんあるもの? と、疑問一杯。説明によると「国土地理院が算出した日本国土の重心が、能登半島最先端の禄剛崎沖にある。そこから一番近い陸地である禄剛崎に、この碑を作った。」だそうです。

もう一つ、草生した東屋の近くに、大きな方位盤が設置されているのですが、各方位には姉妹都市提携を結んだ3自治体の「町章」が刻まれています。西は「島根県美保関町(現・松江市)」、北は「北海道江差町」、東は「新潟県小木町(現・佐渡市)」。江差町以外の町章は、平成の大合併で消滅してしまいましたが、こんな風に旧自治体の印が残るって素敵ですよね。

なにかと見所の多い禄剛埼灯台。実はもう一点、絶対に見逃せないものがあります。それは灯台の説明版。灯台名の下に大きく ~日本で唯一「菊の御紋章」がある灯台~の文字

実はここ、日本で唯一、日本の国章でもある「菊の御紋章」がある灯台として知られています。 菊の御紋と言えば、伝統的に天皇が紋章として使用されている「十六八重表菊紋」が知られています。日本が近代国家へと足を踏み出したこの時代においては、これは最高の栄誉だったでしょう。

この禄剛埼灯台へは「道の駅・狼煙(のろし)」の向かいにある登り口から徒歩で登るしかなく、足腰の弱い人には、とっても!つれない名所(-"-) 整備されているとは言え、この勾配・・・・でもあの美しい灯台が見られたのですから、愚痴なんて言えません(笑)。

余談ですが、現在の珠洲という地名は「すすみ(古訓で、狼煙のこと)」にちなむともいわれ、今でもこの道の駅がある狼煙町をはじめ、狼煙港、狼煙海岸などの地名が残っています。禄剛埼灯台が出来るまでは、航路の安全を守る手段は人の手による「狼煙」しかありませんでした。そうした歴史が地名に反映されるのも漢字の国ならではの事。決して安易に捨ててはいけない文化だと思います。

最後の画像は、禄剛埼灯台登り口の入り口にいた、沢山の猫たちの一匹。きっと飼い猫であろうと(信じたい)思うのですが・・・どうか健在でありますように。

訪問日:2011年10月16日

 


見附島(軍艦島) in 石川県珠洲市

2017年11月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

能登半島の先端部、珠洲市の鵜飼海岸の沖合に浮かぶ白亜の島「見附島(みつけじま)」。高さ約28mの無人島は、その形が軍艦に似ていることから、「軍艦島」とも呼ばれています。

言われて見れば見えなくも無いですが、生茂る木々が、ちょっと小首をかしげたおばちゃんの髪の毛みたいで(^^;) しかも上手い具合にそれらしい位置に目と口・・・(笑)更に、おばちゃんの陰に隠れてこっそりこっちを見るお子様の顔も・・・(ーー゛);

アホな妄想は置いといて・・・見附島の名前は、『空海』が佐渡島から当地方に渡った際、最初に見付けた島である事に由来します。島内には「見附神社」の小さなお社があったそうですが、今は崩壊したままとの事。

「見附の社:唐の国に渡り恵果阿闍梨のもとで修行された空海は、三国伝来の伝承者と認められ密教伝来の三杵(さんしょ)を 授けられた。 唐の僧達はその三杵を奪い返す為、日本に帰ろうとする空海を海岸まで追いつめて来た。 その時空海は東方を望まれ「密教有縁の所に行きて我を待つべし」と三杵を大空高く投げられた 帰国された空海は三杵を求めて海路佐渡より能登沖を通られた時波の音とともに法華経を誦す る声が聞こえてきたので島を頼りに着岸された。 そこで村人達の案内により山の桜の樹に探し求めていた三杵の一つ五鈷杵が光り輝 き白夜法華経を唱えていた。 空海は深くお喜びになりここに一宇を創建され吼木山(ほえぎざん)法住寺と名づけられた。それより島を見附島と呼び縁結びの神を祭り海難の守り神と共に小社を安置し4月18日を祭日と し舟を繰り出し島上に登り祝詞を奉じて来た。 しかし今は歳月による風化に加え能登沖地震や台風の被害により島に往時を偲ぶ姿はなく島上の社も崩壊したまま今日に到る。」現地案内より

見附島から能登沖地震の際に落下した株を植樹したという、樹齢千年の見附千年椿。しっかりと網カバーに保護されており、画像では今ひとつ。

ところで、ここにはもう一つ、同じ様に網カバーで厳重に保護された「恋路椿」があります。なんとこの椿、隣の内浦町恋路から珠洲の見附千年椿のもとへ輿入れした椿。ちゃんと珠洲市長・内浦町長立会いのもとで結婚式まで挙げた、れっきとした夫婦椿なのです!(^^)!

五日前のブログ「恋路海岸 in 能登町」でも触れましたが、恋路海岸からここまでの海岸は「えんむすびーち」。その名称どおり、樹齢千年という超(笑)長寿の椿のご縁まで結びました(^^;)

ちなみにこの「見附島」、歩いて島まで渡れるという事で石積みの道が一直線に続いています。私達が行った時は、これから満ち潮になる時間帯らしく、石積みの道は徐々に波に洗われ始めて・・・

結構好奇心旺盛な二人ですが、美しい景色は遠目で見るからこそ美しい。島に渡って、白い島肌を見上げるより、貸し切り状態の恋人たちの聖地を満喫する方が、多分楽しい(笑)

見附海岸を去る前に見かけた句碑、作者は能登の人で『辻口静夫』。   【 月に鳴く 葭切(よしきり)もまた 能登荒磯 】

訪問日:2011年10月17日

 


春日神社 in 石川県珠洲市飯田町

2017年11月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

珠洲市飯田町に鎮座される「春日神社」。御祭神は『天児屋根命、武甕槌命、経津主命、 比咩大神』

由緒【初め「若山社」と称え『天児屋根大神』を祀り、近郷七か村の総社として仰がれた。今より約七百拾余年前に、奈良春日大社の御分霊を此の地に奉遷せしめ「春日神社」と改称。その後、文明年間に現在地に遷され明治に到る。】

拝殿前、石段参道の両脇より神域を守護されるのは、2004年奉納の護国タイプ狛犬さん一対。台座には『石工・川元 純』「古代狛犬石彫」の刻。古代型狛犬は「大宝神社」の木彫狛犬が元で、いわゆる護国型狛犬はこれに相当します。

参道左右より神域を守護されるのは、大正11年奉納の出雲丹後系狛犬さん一対。相変わらず大きな口で笑っています。

境内社「愛宕神社」は火伏・防火の神。木製の鳥居が風格を感じさせる佇まい。

本殿は江戸時代初期の築で珠洲市指定文化財。また、境内には『大伴家持』が詠んだと言われる歌碑。あれもこれも写し忘れてしまったようです(-"-)

三年半経って偶然見かけた「春日神社」のお神輿のモニュメント。春日神社からは目と鼻の先、若山川に架かる「吾妻橋」の親柱です。

さらに橋の途中には「飯田町燈籠山祭り」の大黒様と恵比寿様の「燈籠山人形」

さらに、さらに(笑)橋の柵には「飯田町燈籠山祭り」の様子を描いたレリーフ!!・・・・もっとも、これらが春日神社の祭礼に関するものだと知ったのは帰宅してからの事(^^;)。 それでも縁と言うものは時空を超えて繋がり、ある日唐突に姿を表すものなんだなと・・しみじみと感じた一コマです。

で・・・結局、春日神社への再参拝はしなかったんですけどね(-"-)

参拝日:2011年10月17日(2015年5月23日)

 

 


須須(すず)神社 in 石川県珠洲市三崎

2017年11月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

珠洲市三崎町寺家(じけ)、能登半島の先端、葭ヶ浦(よしがうら)を前に鎮座される「須須(すず)神社」。御祭神は『天津日高彦穂瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)、美穂須須美命(みほすすみのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)』。

「当社は高座宮・金分宮の両社にご夫婦の大神様を祀り、須須神社と称し「三崎権現」・「須須大明神」と尊崇され、東北鬼門日本海の守護神として、あまねく信仰され、災難除けの御神徳あらたかな御社であります。第十代崇神天皇(約2000年前)の御代能登半島最東北端の山伏山(鈴ヶ嶽)の頂上に創建され、天平勝宝年間に現在の地に遷座した国史現在社・延喜式内社であります。境内由緒より

二の鳥居と社号標

二の鳥居前より神域を守護されるのは、皇紀二千六百年奉納のソフト系獅子顔の狛犬さん一対。阿形さんは玉の上に手を重ねています。一見気難しそうでいて何故か懐の深そうな顔は結構好みかも(笑)

さらに進んで、三の鳥居前より神域を守護されるのは、同じく皇紀二千六百年奉納の出雲丹後系狛犬さん一対。出雲に縁の祭神が祀られる社に、これ以上強力な守護獣はいませんね。阿形さんの足の間には大きな玉を抱く子狛さん。

思いのほか距離のある参道は、まるで緑のアーチに包まれたような深さで、先へと続きます。国の特別史跡・名勝・天然記念物に指定された須須神社の社叢(しゃそう)。ここにはほとんど自然のままの生態系が今も大切に残されています。

流造の拝殿

拝殿前左右より神域を守護されるのは、大きな鼻と真っ直ぐ太い尾が特徴の狛犬さん一対。浪花でも丹後でも無い・・このタイプのお顔にはあまりお目にかかった事が無いので、おそらくこの地域独自の狛犬さんかもしれません。

文治3年(1187)、奥州平泉へ下向途中の義経一行は、ここで航海安全の祈願をしたと伝えられています。願いが通じたのか、それまで大荒れだった海は静まり、義経は神威に感謝して「蝉折(せみおれ)の笛」を奉納。その笛は社宝として大切に保存されています。絵馬には大河ドラマ「義経」の原作者である『村上元三氏』の句と共に、「蝉折の笛」が描かれています。

【 義経は 雪に消えたり 須々の笛 】

珠洲市の人・一路の句碑【 行く雁や 北の海守る 須須の神 】

神社の入口近くに有った「キリコ庫」。中には「日本一の大キリコ」が収蔵されています。高さ16.5m、重さ4t、屋根の大きさが約12畳と、文字で書いても実感がわきません。まぁ、少なくとも屋根が私の寝室の二倍の大きさだと言うのは理解できました。庫の前に立ってもらった御亭主殿の存在感が・・(^^;)

参拝日:2015年5月23日

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御神名一口メモ

『美穂須須美命(みほすすみのみこと)』、出雲風土記にのみ登場する神で、父母は「大国主神」と「沼河姫神」。国引き神話で結ばれる出雲の「美保関」と越(能登半島)の「珠洲岬」に鎮座。島根県美保郷の由来となった神。


恋路海岸 in 石川県能登町

2017年11月14日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

能登内浦の景色を代表する海岸として知られる「恋路海岸」。能登町と珠洲市の境界付近に位置する1kmの海岸は、能登半島国定公園に指定されており、沖には赤い鳥居の「弁天島」が、不思議な形に木々を生い茂らせて浮かびます。

神秘に満ちた「弁天島」、干潮時になると歩いて渡る事が出来るそうです。 ・・・あと何時間ぐらい待てば良かったんだろう・・

恋路海岸は、その響きから「ラブ・ロード」として能登のロマンチックスポットとしても有名。近くには「恋人の聖地」にもれなくついてくる「幸せの鐘」も用意されています(笑)

さて・・一見とてもロマンチックに聞こえる「恋路海岸」ですが、実は一方的な三角関係の果てに命を落としてしまった恋人たちの物語・・なんて言ってしまうと身も蓋も無くなりますが・・(^^;) 

「今より約700年余の昔、鍋乃という娘が助三郎という若者に命を助けられた事から2人は深い恋仲となりました。しかし娘に好意を抱く別の男にだまされ、助三郎はおぼれ死んでしまい、娘も若者の後を追って海に身を投げてしまいます。2人の恋仲を裂いた男はその後、自らの過ちを悔い2人の菩堤を弔う僧侶となってこの地に住みつき、男女の仲を取り持つようになりました。その頃から「恋路」と言われるようになったと伝えられます。」

恋路海岸の一帯には想像をかき立てる奇岩が立ち並び、そこに立っている自分を主人公に、勝手に物語を作り出したくなる景色が展開されます。

青い海に浮かぶ島はお隣:珠洲市の「見附島」。そこから3.5kmの海岸線が、「えんむすビーチ」σ(´∀`*) 一緒に居るだけで幸せな二人なら、3.5kmの海岸線を歩くのもきっと素敵な思い出。・・・私たちはパスですが(笑)

2005年、のと鉄道能登線が廃止になるまで、ここには「恋路駅」という駅がありました。廃駅となった後も、その素敵な駅名に惹かれて多くの観光客が訪れました。そして2013年、約300mの小さな奥能登トロッコ鉄道「のトロ」が新に再出発しました。小さな可愛い生き物君は「奥のとトロッコ鉄道」のマスコット『のトロ』君です。

訪問日:2015年5月22日

 


式内社:賀茂(かも)神社 in 石川県かほく市横山

2017年11月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

かほく市横山に鎮座される、式内社「賀茂(かも)神社」。御祭神は『加茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)、貴布禰神(きぶねのかみ)、天照大神』

御朱印には、「守り給い、幸え給え」の唱えことば。正確には、「祓(はら)え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え」神社参拝では、特にあれこれと願い事を言わずとも、これですべてが事足りるのです。

「創始は不詳。継体天皇十四年(520年)の頃に、御所村に遷座し、その後2度の遷座を経て、大同元年(806年)に鉢伏に遷座、翌大同二年に現在の横山の地に鎮座したものと伝えられる。天正十二年(1584)末森合戦の折に兵火に罹り、社殿始め古文書宝物その他を鳥有に帰す。万治元年(1658)本殿拝殿等を再建。明治5年郷社に列し、明治14年県社に、明治39年神饌幣帛料供進神社に指定される。」

境内の一画、万治元年(1658)に建立された旧本殿。

旧本殿前より神域を守護されるのは丸い耳としゃくれた顎が特徴の狛犬さん一対。阿形さんは何が有ったのかお顔の大部分を損傷されています。ちなみにこの狛犬さん、野々市市の「清金中宮神社」の狛犬さんと同じ作者ではないかと思われます。

ちょっとすっとぼけた向背の龍。貫に施された彫刻の獅子。いずれも力強く、こんな間近で見られてとてもラッキー。

さらに、通常の本殿の位置では多分見られなかった、神殿狛犬。こちらも目の高さで拝観できました。一見おどろおどろしく見える怖い顔は、笏谷石狛犬さんの個性と言うか・・まぁ、総体的にこんな感じなのです(^^;)

「延命・幸福祈願」の絵馬は、賀茂神社には珍しい「高砂の尉と姥」

参拝日:2015年5月25日