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車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

輪島界隈ちょっと散歩 in 石川県輪島市

2017年12月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

輪島市河井町、町の一画に輪島塗の生地づくりから、漆塗り、漆器などの各工房が集まった交流施設「輪島市工房長屋」があります。こちらでは直に職人の技を見学出来ると聞き、早速訪ねてみることに。黒塗りの下見板張りに白漆喰の壁。いかにも長屋風の佇まいが、職人の手仕事大好きというご亭主殿の心を鷲づかみ。

開放されたそのうちの一軒では、今まさに職人さんの手で漆が塗られているところ。室内にただよう張り詰めた空気、邪魔をしてはいけないと思うと、息をするのもはばかられます。

別の長屋で漆塗りの工程を見ていると丁度取材のカメラが入り、おかげで職人さんのお話も聞くことが出来ました。実際に見る職人技の凄さは、とても言葉や文字で伝えきれるものではありません。 日本の職人技による工芸品が世界に賞賛されるのには、それ相応の理由がちゃんとあるのです。

町を歩くと沢山の漆器のお店が並び、それと知らせる看板は、どれも趣向を凝らしたものばかり。それらを見て歩くだけでも充分に観光気分に浸れます。

そうそう、漆器といえば欠かせないのが「漆の木」。と言っても実物を見たのは・・多分、初めて。 子供の頃、山に入ってウルシにかぶれた事がありますが、あのウルシはもっと細かったような。確か私の田舎では「マケダ」と呼んでいました。

輪島にはもう一つ、とても有名な観光スポットッがあるのですが、それがここ「永井豪記念館」。「デビルマン」「キューティーハニー」「マジンガーZ」等々・・結構沢山の人が「ああ、あれか」と頷かれると思うのですがその作者『永井豪氏』は輪島市出身。彼の作品の中では「デビルマン」が好きで、テレビアニメの主題歌なんて、今でもフルで歌えます(笑)

そういえば昨夜、「道の駅・ふらっと訪夢(ほーむ)」にデビルマンのラッピングバスが来てました。 デビルマンと並んでいるのは「キューティハニー」。やっぱり彼女は華があるから、見栄えが良いのでしょう。

もう一つ忘れていけないのが「輪島温泉 のんびり癒しの足湯:湯楽里」。でも一度目は時間切れで終了、二度目は人が多すぎて利用できませんでした(^^;)

そういえば二度目の来訪では、何と犬専用の足湯「ワンダフロ」が出来ていて、ちょっと吃驚。 最近は愛犬と一緒に旅行を楽しむ人も増えているし、これは愛犬家にはきっと嬉しい施設なのかも。

和島温泉の飲泉コーナー。一度試してみましたが、好奇心もほどほどにと思い知りました。 体に良くても美味しくないものは精神に良くない、これは偏食の際の言い訳にも使っています(笑)

輪島朝市通りにはたくさんの小路があり、それぞれに場所を表す素敵な名前が付いています。 何で名前が付いているのが分るかって?。だって路上にはこんな洒落たプレートがあるのですよ。

「市姫参道」と言うからには神社が?と思ったのですが、鳥居の奥に小さな祠が鎮座していました。 

それでもこの祠に祭られるのは、朝市の守り神様。何しろ輪島のキャラクター『朝いっちゃん』は、この神様がモデルなんですから。

朝市と上町通りをつなぐのは、輪島塗をイメージして作られた真っ赤な「いろは橋」。 川に写る影さえも赤く、それはちょっと神秘的ともいえる美しさ。ここまで歩いたら町並み散策も終り、大量に買い込んだ干物を持って車に帰るとしましょう。

2011年の神社参拝の折に立ち寄った夕暮れ近くの輪島漁港、沢山の漁船が着岸していました。 こんな風景を見ると、何故かわけもなくこみ上げるものを押えられなくなります。

訪問日:2011年10月16日&2015年5月24日

 


輪島の朝市 in 石川県輪島市

2017年12月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

能登といえば輪島、輪島と言えば朝市、朝市と言えばお買い物・・と、まるで三大噺のようですが(笑)。一度でいいから、その威勢のよい空気を直に感じていたいと思い続け、二度に渡る石川県の車泊旅。二度に渡って「輪島の朝市」楽しんできました σ(´∀`*)

2011年10月。念願かなっての朝市通りは、昨夜の雨の所為もあってまだ人通りも疎ら。 自転車に乗ったお客さんはお仕事で買い物に来られた人でしょうか?忙しげに幾つかの出店を廻り、野菜や魚をカゴに入れていきます。

初めのて朝市なのに雨の中を歩くのは・・・としょげる私に同情してくれたのか😅  。何とか雨も上がったようです。 流石に風が冷たくて肌寒いけれど、今更上着を取りに帰るには駐車場は遠すぎて、ここはグッと我慢。な~に、その内お日様が出てきたらきっと暖かくなる!筈・・・気が付けばいつの間にか出店の前には人だかりが。団体さんらしい一群も。

【一千年以上も前から続く輪島の朝市。売る者も女、買う者も女・・】 とは、公式サイトの説明。 だからと言って男子禁制かと言うと、これは全くの比喩的説明。「売る者にも買う者にも」沢山の男性がいます。もちろんご亭主殿もいます😆 2015年5月に訪ねた朝市通りは、季節柄もあってか更に団体の観光客も多く、通路は人で溢れています。

二度に渡っての朝市なので、画像はごちゃまぜ。台に並ぶ品揃えは季節無視の品々なので、季節を勘違いされても一切責任は取れません(笑) 周辺農家のおばちゃんたちが並べる野菜はどれも新鮮。 おばちゃんと楽しそうに会話をしながら、てきぱきと希望の品を選んでいるお客さんは、多分常連さん。

お手製の漬物や梅干、乾燥させた豆類も自家製。何と言っても作り手の顔が見える商品は魅力。 可能な限り国産にこだわる私たちにとって、自家製の加工食品なんてもう最高の贅沢・・しかも決してお高くない😍

活きのいい魚貝が並ぶ市では、漁師町の女衆がひときわ活きの良い掛け声で客を呼びこみます。 びっくりするような大きな魚も、買い手が望めば狭い膝の上で器用にさばいて見せてくれます。

ここでは日本海で取れた多彩な魚が干物になって、生魚はちょっと・・という人も大丈夫(笑) それにしても、本当に何でもかんでも干物になっていて、吃驚、かつ、興味津々😲

良い香りに誘われて立ち寄った出店で試食したホタテの貝柱・・なんとも美味ではないですか! 車泊の旅はまだ前半、買い物はだめと固く心に誓っていたのに、ついついお財布を取り出し・・・(こんなんばっかり)

こんな具合で、360メートルの通りには200以上の出店が並び、「買うてくだぁー」の呼び声が一杯。うっかり(笑)足を止めようものなら、次々に並べられた魚をこれも、これもと重ねられ、「これで千円!!、どうだっ!」。押し切られて買ってしまった大量の干物・・・どうするんだ??私😓

でも大丈夫!何と今回は買った魚介類をその場で焼いて食べられる場所が用意されているのです。 大漁に買ってしまった干物類をコンロで焼いて小分けし、車泊での食事のおかずに。炭火で焼いた新鮮な魚の干物は、流石に一味も二味も違って贅沢な一品となり、旅の楽しさを倍増させてくれました🙏

こんな調子で、一回目も二回目も、気が付けば両手に一杯のビニール袋・・・・・ 朝市の教訓その①「絶対に買う意思がないのなら、決して立ち止まってはいけません」 て言ってもねぇ~😓😄  

そうそう、二度目の朝市では、今日が最初の「重蔵神社の産屋(うぶや)」にも参拝してきました。 昨日御朱印を頂いたばかりなので、神職の方ともお話が弾みました。

輪島朝市組合のマスコットキャラクター『市姫朝子』。 愛称『朝いっちゃん』。輪島の「市姫神社」から誕生した永遠の18歳で、朝市の売り子になるために修業しています。

訪問日:2011年10月16日&2015年5月23日


門前町あちこちウォッチ in 石川県輪島市門前

2017年12月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

門前町剱地、日本海に面した白砂の「琴ヶ浜海岸」は、「鳴き砂の浜」として知られています。 曇り空の下、北陸の秋の海は灰色で、打ち寄せる波は白く砕けて直ぐに彼方に消え去ります。

海岸にそそぐ仁岸川の上流には、白亜紀に形成されたと考えられる花崗岩が広く分布。これらが仁岸川によって運ばれて河口付近で堆積し、琴ヶ浜海岸の美しく白い砂浜が成立したのだとか。

「泣き砂の浜」に伝わる「土地の娘お小夜と若き船乗り重蔵との悲恋物語」。 砂浜を歩くと聞こえる「キュッキュッ」と言う音は、お小夜の泣き声だとか・・日本各地に残る「泣き砂伝説」は、いつもいつも悲しい物語ばかり。

腰細海岸沿いの道で見かけた休憩所。北前船の看板らしきものを見かけて立ち寄ったのですが、何かの記念碑ではなくトイレの目隠しのようなものでした(ーー゛);

近くの柵にあった北前舟のレリーフ。こういうの実はとっても好き(笑)

門前町赤神に位置する「道の駅・赤神」

展示されている「猿山灯台」のランプは、2007年の能登半島地震の際に被害を受けたものとのこと。 灯台の灯りが消える・・・・どのような状況で、どうなったのか知る由も有りませんが・・自然災害の恐ろしさを決して忘れる事無く伝えるには、充分すぎるほどの存在感を示しています。

海抜約230メートルの断崖の一角に立つ「猿山灯台」。もちろんここからでは肉眼では見られません。 そういえば細く突き出た猿山岬、弓なりになった「琴ヶ浜海岸」のはるか向こうに見えていましたね。

訪問日:2011年10月15日&2015年5月24日

 


總持寺祖院(そうじじそいん)~其の二 in 石川県輪島市門前町

2017年12月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

こちらの絵図は、曹洞宗大本山「總持寺」であった当時の境内図でしょうか? 広大な境内に整然と立ち並ぶ伽藍の数は圧倒的で、まさに「能登国の大本山」。

御朱印の依頼や内部の拝観受付は、香積台と呼ばれる建物の中にあります。ここも登録有形文化財の指定を受けていたのですが、工事中のシートに覆われて見学は不可。

窓から差し込む光の中、ひんやりと心地よい廊下を進み「仏殿」へ。

緑の木々に包まれるように「放光堂」が見えます。

大正元年(1912)に再建された「仏殿」は、開口20m、奥行16.3m。欄間に施された彫刻、見ごたえありました。

仏間正面には御本尊:釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)、右に大権修理菩薩(だいげんしゅりぼさつ)、左に達磨大師(だるまだいし)が配されています。

客殿を兼ねた相見の間。奥に並ぶ四つの書は、剣・禅・書の達人として知られる『山岡鉄舟』の襖書。「鉄樹枝抽 石樹花開(鉄樹 枝を抽(ヌキ)んじ 石樹 花を開らく)」。頼まれればいつでも気さくに応じたという鉄舟。全国各地には鉄舟の書が数多く残されており、私たちも幾度となく目にしました。

外は初夏の日差しが強く、この心地よい仏殿の空間から離れるのは、正直勿体なく思えます。 だからといってご亭主殿、いつまでもここで涼んでいるわけにはいきません。おいとまの時間です(^^;)

境内の一画に「峨山道 ここより始まる」の駒札。【峨山道とは当本山より羽咋永光寺五老峰に至る約50kmの能登半島の中央を貫く難路の古称である。 当本山二祖 峨山韶碩禅師は本山の2代と永光寺4代の御住職を兼ねられ、毎朝早く永光寺の朝の勤行をお勤めになって、この峨山道の難路を越えて、ここ総持寺に馳せつけ、総持寺の朝の勤行をされたと伝えられております。】
50kの難路の山越えを毎日・・・・もはや超人といっても良いレベル。

「三松関」の近くに鎮座されていた「穴熊稲荷」。御祭神は『穴熊稲荷大明神』

青銅製の御狐様は柔らかい曲線がとてもチャーミング。多分これまで見てきたお狐様の中で、一番美しい。

由来の確認を見落とした像。何を表しているのか全く不明(-_-;)

右手後方に見えるのは、坐禅堂の西に位置する「鐘鼓楼」。手前に保存されているのは、明治31年(1898)の大火の折、境内の類焼を防いだといわれる「火伏の松」。表面の焼け焦げが痛々しくもあり、また誇らしげにも見えます。

北陸三十三ヵ所観音霊場 第15番「大本山総持寺総門跡」

参拝日:2015年5月24日

 


總持寺祖院(そうじじそいん)~其の一 in 石川県輪島市門前町

2017年12月03日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

輪島市門前町門前に門を構える、曹洞宗寺院「大本山・總持寺祖院(そうじじそいん)」。元亨元年(1321)に『瑩山(けいざん)禅師』によって開創され、正しくは「諸嶽山 總持寺(しょがくさん そうじじ)」
境内地正面に建つ切妻造桟瓦葺の高麗門は、登録有形文化財「三松関(さんしょうかん)」

頂いた御朱印は、はじめて購入した御朱印帳の、最後の参拝地。 その事をお話しすると「では、何時もより以上に心を込めて書かせていただきます」と・・ もちろん、いつもが適当の筈も無く、私に対しての思いやりを言葉にしてくれたのでしょう。手渡された時には「結願、おめでとうございます」と暖かい言葉までいただきました。

寺伝に【大本山總持寺祖院、正しくは諸嶽山總持寺と言い今から約7百年前元亨元年(1321) 瑩山紹瑾禅師によって開創されました。翌元亨2年夏禅師に帰依された後醍醐天皇は綸旨を下され、總持寺を勅願所として「曹洞賜紫出世第一の道場」と定められました。 その後寺運益々隆盛を極め全国にその末寺1万6千余を数えるに至りましたが、明治31年4月13日不幸にして災禍により七堂伽藍の大部分を焼失しました。 これを機に布教伝道の中心を神奈川県横浜市鶴見に移しました。 当院は、祖廟として次々に堂宇が再建され、山内約2万坪の境内には焼失をまぬがれた伝燈院、慈雲閣、経蔵などのほかに七堂伽藍も再建されました。】

「總持寺祖院」の象徴とも言える総檜造りの山門は、昭和7年に再建。「空・無想・無作」の三解脱に入るという意味から「三門」とも呼ばれ、登録有形文化財の指定を受けています。

約5,000冊の大蔵経を収納する「経蔵」は、六代目加賀藩主『前田吉徳』より寄進されたもので、寛保3年(1743)に建立。石川県指定有形文化財に登録されています。

一回転させるとすべての経を読んだのと同じ功徳が得られるという「転輪蔵(てんりんぞう)」。 不信心者の二人には何て有り難いアイテム(^^;)。「南無釈迦尼仏」と唱え、二人でしっかりと一回転させてきましたが、でも本当にこんなので良いんでしょうか?

「大祖堂」とも称される「法堂」は1912年~1925年にかけての建立で、同じく登録有形文化財。 丁度この時は、平成19年の能登半島地震で損壊した建物の修復作業が行われていた最中で内部ので見学は不可。当事者で無い私たちは、一日も早く復旧できますようにと願うだけです。

それでも表門などは普通に見学できたので、それだけで上々。本当にため息の出る凄さ。 できればもっと詳細に、一つずつの彫刻を残したかったのですが、私たちの腕ではこんなもん・・

天翔ける鳳凰、波間をゆく海亀、波頭の彼方を睨む龍・・・どれもこれも見事でため息の出る美しさ。ああ、足に根が生えそう(-_-;)

こんなささやかな場所にも滝を登る鯉の姿が

貫には迫力満点の獏

どの部分にあったものだろう?見返りの親子獅子

木々にもたれて寛ぐのは、蓬莱山に住むという仙人だろうか

何かを見るたびに立ち止まってタメ息をついて・・それからもう一度見上げてまたタメ息。中々先に進めない(笑)・・と言う事で明日に続きます。

参拝日:2015年5月24日


天領黒島の町並み in 石川県輪島市門前

2017年12月02日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

輪島市門前町黒島に現存する、黒島の代表的な廻船問屋住宅「県指定重要文化財:旧角海(かどみ)家」。明治4年(1871)に大火に遭いましたが、地元の名匠『工野藤兵衛』により、配置や構造も含めて元通りに再建されたと伝えられています。

平成19年(1989)の能登半島地震によって大きな被害を受けた後、土地建物ともに輪島市へと寄贈。平成23年(1993)7月に復元工事を終え、8月13日より角海家の収蔵品等と共に一般公開されました。「下見板張り」の壁に残された、旧建材と真新しい建材が不思議なコントラストを見せています。

「旧角海家」がある黒島地区は、日本海航路による海運業の発展の中で北前船の船主および船頭や水主の居住地として栄え、江戸後期から明治中期にかけて全盛を極めた集落です。2009年には「船主集落」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。今日の町歩きは懐かしい潮の香りが道連れです(*´꒳`*ノノ゙

「黒い屋根瓦」に「下見板張りの壁」。整然と並ぶ「格子窓」。伝統的な家屋が特徴的な黒島の町並。北前船で栄えた天領の町と、内海の小さな漁師町では比べようが有りませんが・・それでも郷土愛贔屓を発揮して言うなら、これに似た風景が町の幾つかに残されていました(^^;)

「旧角海家」同様、地区一帯も地震の被害を受けましたが、今は美しい町並みを見せています。 黒瓦の屋根の上にいた恵比須さん、町並みを見下ろす満面の笑みが私たちを振り向かせます。

街道を進むと道は徐々に勾配が強くなり、重なり合う黒瓦の向こうに日本海が広がります。 航海に出た家族の安否を祈った人たち、もしかしたらこの高台から海を眺めて帰りを待ったのでしょうか。

もと来た道を引き返し「旧角海家」の近くまで帰ってきました。真新しい鳥居は、黒島近郷の産土神「若宮八幡宮」で、船運海産の守護神として鎮座されています。本来ならば参拝をするべきところなのですが、町歩きは思った以上に足に負担をかけていたようで、鳥居前での拝礼で終わらせていただきました。

「北前舟資料館」に展示されている「大阪城と名古屋城をかたどった曳山」。とても楽しみにしていたのですが・・8月13日で閉館したとの貼り紙・・・・充分に調べてきた筈だったのに、まさかの確認ミス。

駐車場から見上げる集落への石段、これとよく似た風景が記憶の中で再現され、潮の匂いと共にわずかに残った郷愁を誘います。

訪問日:2010年11月15日

 


のと里山空港 in 石川県能登半島

2017年11月30日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

飛行機は絶対に乗らないと言い切っている私ですが、何故か近くで見るのは好き。で、機会があれば空港見学に行くのですが、伊丹空港を除いてそのほとんどが地方空港なので、飛行機が離着陸する場面は中々見られず、いつもかなりの時間を費やして「あ~~あ (-_-;)」とため息(笑)
それでも懲りずに、今回は輪島市、穴水町、能登町にまたがる「のと里山空港」にやってきました。

いかにも可愛いゆるキャラは、のと里山空港のマスコットキャラクター『スカイのっぴー』。 広げた両手は飛行機の翼、ブルーの機体に機長の帽子がとてもよく似合っています。可愛いお子様的な風貌ですが、実はこう見えて「演歌」が大好きなんですって(笑)。

素敵な係りの方に勧められて「スカイのっぴー」と記念写真(^^;) だって帽子までお揃いで用意してくれたら断れませんよ。(笑)

こちらの一画は、某テレビ局・朝の連続ドラマ「まれ」に登場する「朝市食堂まいもん」のセット。 リヤカーを改造したテーブル、ランプ、トロ箱・・・不思議な空間を背景に、早速記念撮影。でも「まれ」って一度も見た事ない(笑)

側に置かれた巨大ケーキは、「まれ」の主人公が作りたかったケーキの逸話にちなんだもの・・らしい(笑)。 薄暗いセットと華やかなケーキ、全く正反対の二つの撮影スポットは、意外と人気のようです。

折りよく流れてきた飛行機の到着を知らせるアナウンス。早速送迎デッキに。 デッキから見る飛行場は、意外と広い・・。まぁ当然ですよね、何てったって飛行場なんですから(笑)

あれは搭乗の準備でしょうか、真下に見る光景に思わずフェンスに張り付いてしまう私(笑) もう本当に田舎モノ丸出し(-_-;)。でも誰にも迷惑かけてないし騒いでないし、良いじゃないですか。

滑走路を走り、やがて空に飛びたつ飛行機。滑走路の向こうにははるかに能登の海が見えます。 とりあえず離着陸も見たし、本日の空港見学はこれで終了。いや、中々楽しい時間でした。

お次は「道の駅・のと里山空港」へ。と言っても目と鼻の先。 何と!この「のと里山空港」には、道の駅が併設されているのです。空の交通手段としてだけでなく、能登地域の観光情報拠点としても活躍しているんですね。

訪問日:2015年5月22日


重蔵(じゅうぞう)神社 in 石川県輪島市河井町

2017年11月29日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

輪島市河井町、わいち通りの突き当たりに鎮座される「重蔵(じゅうぞう)神社」。御祭神は『天之冬衣命(あめのふゆきぬのみこと) 、大國主命』。 『延喜式神名帳』にある「鳳至比古(ふげしひこ)神社(能登国・鳳至郡)」に比定される式内社の論社。

創祀年代は不詳、社伝によれば「遠く崇神天皇の御代の鎮座とされ、「延喜式」の神名帳に載せられる「鳳至比古神社」、あるいは「辺津比咩(へつひめ)神社」にもあてられてきた。天平勝宝八年(756)五月、『泰澄』により寺院が建立された。以後、神仏習合の社として、「十蔵権現」あるいは「重蔵宮」と称せられたが、後に「重蔵神社」と称された。七堂伽藍の立ち並ぶ、壮大な境内で、多くの社人・社僧・衆徒の奉仕するところであった。明治5年9月郷社に列せられ、本殿は明治三十九年特別保護建造物に指定せられた。」

本殿玉垣の近くより神域を守護されるのは明治二十八年(1895)八月三日建立の出雲構え狛犬さん。反対側には阿形さんがおいでなのですが、立ち入れない位置の為、吽形さんのみ。

境内入り口より神域を守護されるのは慶応四年(1868)建立の狛犬さん一対。本来なら鳥居のうちなのですが・・ 一の鳥居は能登半島地震で倒壊したそうで、それを知れば、狛犬さんの無事が何よりも救いと思えます。

西側入り口より神域を守護されるのは昭和十五年(1940)十一月建立の護国狛犬さん一対。

神仏習合の名残を伝える拝殿。

拝殿前左右より神域を守護されるのは。明治十五年(1882)三月吉日建立の狛犬さん一対。阿吽ともにあどけなさの残る顔は、今でいうところの癒し系?

拝殿の前、赤い鳥居の奥には、地震を鎮めるとされる「要石」が玉垣の中に鎮座しています。人の世界と神の世界との結界とも言える鳥居の崩壊。その後に起こった未曾有の東北大震災。 どうかどうか、地の神様がお鎮まりになりますように・・・人はただ首を垂れて祈るのです。

境内には六つの境内社があり、左手に「秋葉社」「白山社」「金比羅社」が鎮座します。 「金比羅社」の御祭神は『大物主神』

鳥居の内より神域を守護をされるのは、丹後系出雲構えの狛犬さん一対。

境内右手には『菅原道眞』を御祭神とする「天満宮」『稻荷大神』を御祭神とする「稲荷社」

「稲荷社」の前より神域を守護されるのは、明治三十六年(1903)一月吉日建立の丹後系出雲構えの狛犬さん一対。阿形さんのあごがわずかに欠損しているのは、もしかして地震の所為?

『稻田姫神』を御祭神とする「子安社」。『須佐之男神』と結婚された事で、縁結びの神ともされます。灯りが入った拝殿は独特の張り詰めた空気に包まれて、それだけで非現実の世界を彷彿させます。

御朱印を頂く為、2015年に二度目の参拝をしました。とても素敵な女性の宮司さんにお目にかかり、御朱印まつわる話など一時の楽しい時間を過ごさせて頂きました。明日は朝市通りに「重蔵神社 産屋」が開かれるという事で支度にお忙しい中、心温まるお時間を頂き、感謝で一杯です。巫女さんが写してくださった記念写真を見返すたびに、胸が一杯になります。

参拝日:2011年10月16日&2015年5月23日

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御神名一口メモ

『天之冬衣命(あめのふゆきぬのみこと)』、十七世神(とおまりななよのかみ)の一柱で国津神。「刺国若比売」を娶り『大国主大神』の父神となる。「重蔵神社」社伝には、出雲よりはるばる能登まで来臨し、同地を平定した神とされる。

 


住吉神社 in 石川県輪島市鳳至町

2017年11月28日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

輪島市鳳至町、輪島魚港の近くに鎮座される「住吉神社」。御祭神は『住吉三神、神功皇后』。『延喜式神名帳』にある「鳳至比古神社(能登国・鳳至郡)」に比定される式内社の論社。『鳳至比古命(ふげしひこのみこと)、大己貴命』を配祀。

一の鳥居左右より神域を守護されるのは、安政二年(1855)建立の狛犬さん一対。鬣(たてがみ)にあわせたのか、横顔がどこかのおばちゃんみたいに人懐こくて・・、まるでさっきまで境内で市を開いていたお母さんみたい。

ちょっと珍しいタイプなので、別角度からもう一対。

社伝に寄れば「第16代仁徳天皇12年、『住吉大神』を能登に初めて奉斎し、海上鎮護、万民守護の大神と称えられたのが当社。一説には、第10代崇神天皇の御代の勧請とも伝わる。当社は初め、大屋庄の御霊地山に鎮座し、神宮寺を「鳳至院」と称した。その後、水難や兵乱のため現在地に遷座。明治7年(1874)に摂末社の「大国魂神社、八坂神社、稲荷神社、大姥神社、恵比寸神社、白山神社、金山神社、塗師祖神社」を合祀した。」

拝殿の後方にある覆屋の中、市重要文化財の社殿は文化10年(1813)に建造されたもの。垣の外からなので見えるのは本当に一部分ですが、それでも向拝に施された鳳凰の彫刻は優美。

本殿左右より神域を守護されるのは、とても美しい木製の神殿狛犬さん一対。外からのズームなので画像はこれだけですが、玉と思われる目がとても印象深く思慮深さを醸し出しています。

本殿と拝殿の間より神域を守護されるのは、明治四十一年(1908)建立の丹後系出雲構えの狛犬さん一対。

拝殿前左右より神域を守護されるのは、昭和56年(1981)建立のブロンズ製狛犬さん一対。時代を超えて何体もの狛犬さんが奉納されている事から、地域の方々の崇敬の篤さが伺えます。

境内社「市姫社」。女人厄除け、市場守護の神様として知られており、京都の「市比賣神社」が有名です。一千年以上も前から続く「輪島の朝市」。市場守護の神様が鎮座されるのは当然ですね。

奉納御神馬の腹掛けには「鳳凰」の神紋。

参拝日:2011年10月15日

 


輪島前(わじまさき)神社 in 石川県輪島市輪島崎

2017年11月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・石川県

輪島市輪島崎町、小さな半島中ほどの輪島漁港近くに鎮座される「輪島前(わじまさき)神社」。 御祭神は『少彦名神、菅原道真、伊弉冉尊(いさなみのみこと)、大山咋神』

創祀年代は不詳、社伝によれば「『少彦名神』を奉祀して、「天神社・手間天神社」と称し、仁平4年、京都北野から菅公を勧請して「天満宮」と称するようになる。文治2年、地頭職『長谷部信連』が社殿社領を寄進し、また、日本で初めて作った鳴る音が異なる、形の変わった鐘を蔵したというが、天保3年の津波、元禄3年の大火で社宝の悉くを焼失。従来は本社の外に左右に「熊野社・日吉社」の社殿を併立したが、天保13年、三社を現在の本殿内に併祀する。明治初年、「輪島前天神社」を現社号に改称。」

拝殿前より神域を守護されるのは、四肢の逞しさが際立つ大正七年(1918)八月建立の狛犬さん一対。 阿形さんの口元にはわずかに朱の後が見られ、奉納時は更に鮮やかに彩色されていた事が伺えます。

 

拝殿の横壁に収蔵されている竹の鯛は、輪島前神社大祭で使われる「鯛キリコ」の骨組みのようです。 動画などで拝見しましたが、漁師の祭りに相応しい豪快な「鯛キリコ」が走り抜けていました。

摂社「蛭子(えびす)社」は、大漁祈願の神様。漁師町には欠かすことの出来ない存在です。

かってこの神社が天神様であった頃の証。参道に奉納された一対の神牛。

輪島前神社の大祭で繰り出される神輿が収められた庫には、勇壮な瓦材の龍が屋根と庇の間から下界を見下ろしていますす。「キリコ」が舞い、「鯛キリコ」が走る夏の大祭、叶うなら一度は見たい祭りの風景です。

参拝日:2011年10月15日